世界旅後手持ち300ドル、家族も友人・恋人、時間もお金もすべて失い失意のまま帰国したバックパッカーが自分の夢を叶えてきた記録(12)

最初から決まっていた?

コーポレートオフィスの扉を開けると、ミスターイマドの席がガラス越しに見えました。ところがその席は空席で、誰も座っていません。

「あの・・ミスターイマドは?」

オフィスに隣接した秘書席に座っている、ふくよかな女性秘書に聞くと

「食事中よ。今に、帰ってくると思うわ」

彼女は不愛想にそう答えてまたガサガサと手元の書類をまとめ始めました。

「やあ、ケイシー来ていたのかい」

しばらくして席に戻ってきたミスターイマドの表情から何かを読み取ろうとしましたが、無表情の彼からは何もわかりません。だんだんと不安が募る中、ケイシーは彼のデスク前に置いてある丸椅子に腰かけ、ミスターイマドが気の遠くなるほどゆったりとした動作でデスクの後ろに置いてある冷蔵庫からスパークリングウォーターを取り出すのを眺めていました。

「さて、と」

イマドはケイシーにそのボトルを手渡し、自分のデスクの大きな背もたれによりかかると太ったお腹を突き出して言いました。

「まずは結論から言おう。君の研修期間のひと月が過ぎたね。君のこのホテルでの勤務も、来週頭で最後になる。その日までに、今入居している従業員寮も引き払うこと。それがホテルの結論だ」

「えっ・・・・」

あまりに唐突な内容に、ケイシーは驚きのあまり表情を凍り付かせました。

来週というと、今日が火曜日なのでムスリムの慣習にのっとれば後二日しかありません。

いえ、そんなことよりも・・

「どうしてですか!あなたは、私を雇うときに約束したじゃないですか。ひと月猶予をやるから、一人前になってみせろって。私はその言葉を信じて、このひと月一生懸命やってきました。それを、フードチェックもせずにいきなり来週から来るなって?!ひどい話にもほどがあるってものじゃないですか?」

「だけど、残念ながらこれがホテルの上の決断なんだよ。君は、多くを知りすぎたしその秘密を話しすぎてしまった」

「秘密を話すなって言われたから、BENIHANAの誰も私が雇われる際のいざこざは知りません。あの約束は何だったのですか?私・・・シェフジェマールのフードチェックだって受けてないのですよ?そうだ、私シェフに直接会ってなぜなのか聞いてきます」

ケイシーは興奮して一気にまくしたてました。

「行ったって無駄さ。もう決定したことなんだ・・・」

ミスターイマドの最後の一言も聞き終わらぬうちに、身体は勝手に彼のオフィスを飛び出して地下に向かう廊下を走っていました。

「BENIHANAのキッチンにシェフは四人もいらないのさ」

ジェマールのオフィスで、ケイシーはいつぞやのソファの上に腰かけてシェフジェマールを前に座っていました。目の前にはジェマールが座り、久しぶりにオフィスで彼と二人きりになっていました。ジェマールの横顔の筋肉が壁の表彰状の前でピクリと皮肉めいて動いたように見え、ケイシーは彼の放った言葉の意味をもう一度頭の中で反芻しました。

「でも、そうだとすればシェフ。私を雇うって決まっていたのに、そのうえ彼を採用したってことですか?シェフラミエロはフィリピンから来ました。ビザの手配やらなにやら、それなりに時間がかかったはずです。そうだとすれば、契約書は交わしても私のことは雇わないって最初から決められていたのですか?」

ケイシーは質問をしながらハラハラと涙をこぼしだしました。

「私はここに就職することが分かっていたから、自分の時間もお金もすべて使い果たしてしまいました。ヨルダンで帰る家もありません。日本に帰る航空券も買えません。どうしてこんなことに・・・こんなことになってしまったのですか?」

しばらくの間沈黙が流れ、沈黙の中にケイシーのうっうっという小さな嗚咽の音のみが広がりました。するとずっと苦虫をかみつぶすような顔をしていたジェマールが、やっと口を開きました。

「・・だったらどうして君は、人事部にあのことを話したんだ?」

「あのこと・・・」

「いいかい、僕はこのホテルに二十四年勤務している。わかるかい?二十四年という長い歳月だ。君には想像もつかないだろう?僕には妻も子供もいる。子供は、大学生になったばかりだ。僕は家族を守らなくてはならない。僕の言っている意味がわかるかい?」

「・・・」

「どうして、人事部のメアリーに話したんだ?僕のオフィスには君の前にいた女シェフもよく遊びに来ていた。彼女たちは今君が座っているソファで昼寝をしていったこともある。いつも、僕のオフィスを訪れては寛いでいた。僕は君に対して敬意を払って接していたつもりだ。君が訪れればいろいろもてなしただろう。君も僕のハートは感じただろう?」

確かに、彼の人格者としての一面も感じていたことは事実です。ですが、ケイシーの中でどうしても納得できない部分もあるのでした。

「私だってシェフ、この仕事がしたい。私はこのヨルダンという国に、ずっと住みたいと思って仕事に応募したのです。この国にフィアンセもいます。あなたのことを尊敬しているし、

二度とあってはならないと思ったから軽い気持ちで言ったのです。まさか、こんな事態になるとは夢にも思わなかったのです」

ケイシーが熱心に語りかけるとジェマールはふっと険しい目を緩めました。ケイシーはその目から敵への警戒心がほどけてゆくのを感じ取りました。

「そうか・・・わかった。君と今日話せて良かったよ。どうなるかわからないけれど。僕の方から、支配人にどうにかできないか話をしてみるよ」

「はい・・・有難うございます」

何かもやもやとした気持ちをかかえたまま、ケイシーはジェマールのオフィスを出ました。一気に肩の力が抜けて、未来に対する不安が襲ってきます。気がつけば昼休みの時間は後五分で終わるところでした。ケイシーはひとまず、重い足取りをひきずりながらBENIHANAのキッチンへ向かうのでした。


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