死ぬまで生きる

約10年前、叔父が亡くなった。

なんとかいう、国の援助が受けられるほどの難病で、当時40代という若さだった。

彼の母、私にとっての母方の祖母はそのときまだ健在だった。故郷から離れて久しい私は哀しみを目の当たりにしたわけではない。それでも母たちから聞いた当時の祖母の様子は痛ましく、胸の締め付けられる思いだった。

「◯くんのところに行きたい」と何度も言っていたという祖母は、時が経つにつれて笑顔も取り戻したけれど、それまでより気落ちしていることも多かったようだ。

入院した祖母が私に会いたいと言っていたという話を聞いて、社会人になったばかりだった私は週末を使って帰郷し、面会に行った。病巣が痛むのか苦悶している祖母の姿に、私は笑顔を作りながらも涙をこらえることができなかった。病室を出た後、母に「情けない」と叱られてしまった。

もっと笑顔を見せれば良かった。翌週に、祖母は亡くなった。日本の女性が平均すれば80代半ばまで生きる昨今、早すぎる死だった。

そして、それから10年程経った今年の初め、今度は父の姉が亡くなってしまった。

父方の祖母は、喜寿を目前にした今も非常に元気だ。耳は遠くなったが、杖なしで歩くどころかスクーターで移動できるほど矍鑠としている。帰省するたびに1人では食べきれない位の食べ物を持たせてくれる祖母が、同じことを言っていた。

「◯子が亡くなってしまったから、私も早く死にたい」と。


人の寿命は、誰にもどうしようもない。

いつか死んでしまうことを止められないからこそ、命は尊いのだと未熟な私にもわかっている。

でも、と思ってしまうのだ。

でも、せめて、親より先に子の寿命が尽きてしまうという運命だけはどうにかこの世から無くなってくれないものだろうか。

オカルトの話をしたいわけでも、宗教に縋りたいわけでもない。私にできるのはこの先数十年、十分と言えるまで生き延びることだけだ。

3年前に、父が還暦を迎えた。来年は母も60代に突入する。私も妹もいい年になっても未だに独身で、それとなく心配されているような言葉を聞かされることも増えた。まだ、皆元気だ。

それでも、誰も、明日も生きていられるかはわからない。いつか突然現れるゴールに立ったとき、悔いの少ない人生を歩めるように。無力な私はそう決意を新たにすることしか出来ないのだった。


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