アナザーカップオブコーヒー、、、バリスタの恋
「ご搭乗のご案内です。ノースウエスト航空138便デトロイト行きにご搭乗のお客様は、J搭乗口までお越しください」
これから体験するであろうことに胸を踊らしている僕をなだめてくれているような、女性の声。
しかし、それは、まだ日本を出たことのない僕には、はじめて聞く無骨な機械的なものにも似ており、すこしばかり、不安にも苛まれた。
1999年、大学3年生の冬、僕はギターを一本持って単身New Yorkへ旅立った。
理由なんてなんにもなかった。ただ、なにか夢が見つかるかな?なんていう、中二病にも似た甘い考え。
とりあえずは、長年やってきたBLUESギターの勉強にと、あてもなく長期滞在で乗り込んだ。
過ごしたのは、チェルシーのマックバーニーYMCAという格安ホテル。
すぐ横には個人経営であろうバーガーショップがあり、とても美味しそうな香りがホテルの前まで充満していた。
足まである、ベージュの長いコートをきた、いかにも金持ちそうな黒人の紳士たちは、バーガーを頬張りながら、足早にお店を出ていく。
裏路地には警察があり、24時間サイレンが鳴りやまない。
部屋の唯一の窓は、中庭に向いており、空気を吸おうと窓をあけると、世界の負の部分をすべて表したかのような匂いが部屋に入ってきて、咳き込んだ僕はすぐに窓を閉め、それ以降開けることはなかった。
二つの匂い。
ホテルの前の美味しそうな匂い。
だけれども、この格安ホテルの部屋の窓の外はえげつない匂い。
その表向きと、内向きの匂いの差は、ニューヨークという町の貧富の差を明らかに表してるようにも思えた。
平日の毎朝、ベッドメイキングに来てくれる南米系のジェシカという女性がいた。
すこし足が不自由で、歩き方がぎこちない。普段は車イスを使って町に出ているらしい。しかし、ベッドメイキングというその仕事に誇りをもち、シングルマザーで二人の子供を育てていた。
僕より7歳年上。褐色の肌に、綺麗なセミロングの髪型をしていた。
朝が遅い僕は、毎朝、彼女に起こされた。
一人だったということもあり、僕はとにかく寂しかったのだろう。毎朝、ホテルの申し訳なさそうに作られた自販機コーナー兼ロビーで売られていた、一杯のミルク薄めのコーヒーを彼女と僕の部屋で飲むのが日課になった。
売られていたといっても、1$を集金ボックスにいれて、ポットに入ったのを自分で紙コップにいれて持って帰るシステム。
でも、それは、彼女のお気に入りのコーヒー。
彼女の2週間ごとの給料日には、
「テルはいつも起きるのが遅いから、朝御飯食べてないでしょ。」と言って、となりのバーガーショップで、チキンをはさんだバーガーと、たっぷりのケチャップをかけたポテトを持ってきてくれた。
それまでは、コーヒーなんて興味もなかったし、あまーい、コーヒー牛乳しか飲めなかったにもかかわらず、初めての異国の地で、僕は大人びたかったのだろう、、今思えば。
いや、彼女という日本人の自分とは違う人種の女性が好きな味を、自分も好きになりたかったのだろう。
僕はチップ代わりに、彼女が僕の部屋で仕事をしている間、ロビーまでコーヒーを買いにいくのだった。
話すことと言えば、僕のギターや音楽の話、彼女の身の上話、日本料理の話、あわよくば、将来ギタリストになりたいという話、、、
ある晩に僕は時間が出来たので、老舗ライブハウス、ヴィレッジバンガードに彼女を誘ってみた。子供たちを彼女の母に今晩だけという約束で預けることできたみたいで、快くokしてくれた。
寒いニューヨークの町を彼女の車イスを押してあるいた。風でなびいた彼女の髪の毛から香る、甘いけど、スパイシーなかおり。
彼女の巻いていたマフラーをすこしだけ、僕の首にも巻いた。
ライブハウスにつくと、僕は、ステージがある地下まで、すこし足の不自由だった彼女を抱き抱えた。
「テル、そこまでしなくても、自分で降りれるわ」と、頬を赤らめて、迷惑そうだけど、すこし嬉しそうな顔をしていた。
その日はロンカータートリオ。定番の「枯葉」ですら初めて聞くような感じ。それは、一人で過ごすニューヨークの夜ではなかったから。
ふと、彼女をみると、笑顔で僕の顔を覗きこんでいた。
「子供みたいね。目がきらきら光ってるわ」
「僕はまだ学生だよ。子供だよ(笑)」
ライブが終わり、僕は彼女をタクシーに乗せた。年下のくせに心配した僕自身も同乗し、当時まだそびえ立っていたwtc近くのアパートメントにまで送ると、彼女は僕の頬にキスをして、愛する家族の待つ部屋へ帰っていった。
そのキスが、挨拶なのか、愛情なのか、、、僕は後者だと今も信じている。
次の朝、いつものごとく、起こしにきてくれたジェシカは、将来の僕の夢について、いつになく真剣に聞いてきた。
日本では音楽で食べていけるの?
本当にギタリストになりたいの?
テルに家族ができたら、音楽で養えるの?
私もいつか、テルの住む日本にいってみたい。
もう、ニューヨークにはこないの?
それは、ある種、彼女なりの僕がデートに誘った応えだったのかもしれない。
なぜか、それ以降、僕は彼女といつものコーヒーを飲まなくなった。ありもしない用事を作って、早くホテルを出るようにした。
というのは言い訳で、うすうす感じた彼女の気持ちに応える自信がなくなった。情けなかった。と、同時に、なんのちからもないくせに、彼女をその気にさせてしまった、でも、なにもできない自分に腹が立っていた。
そして、日本に帰らないといけない現実をどこかで受け入れていた。
帰国の日の朝、僕は彼女に連絡先を渡そうと手紙を書いて、最初の頃みたいに小銭を持って部屋で待っていた。
しかし、待てども待てどもこない。
ノックの音がした。
焦る思いに、こけそうになりながらドアを開けた。
すると、立っていたのは白人の若い男性。
「ジェシカは今日はお休みです。だから僕がきました」
今思えば、その人に手紙を渡しておけばよかったのだが、、、
その白人の若者が口を開いた。
「彼女からコーヒー代を預かってます」
彼は1$を僕の手におくと、同時にメモも上から重ねるように無愛想に置いた。
紙切れに書かれていたのは短いメッセージ。
「あなたの夢の為に、私の大好きな一杯のコーヒーを賭けるわ。」
その白人の男性が部屋を掃除していたのに気づいたのはしばらくたってからだった。
空港に向かう為にバスに乗ろうとすると、ホテルの横のバーガーショップの店員さんが
「おまえ、いっつもチキンバーガーとポテト大盛りだろ?」
といってわざわざ持ってきてくれた。
いつも、僕が頼んだのではない。
ジェシカが買ってきてくれたんだ。
僕はビーフが好きなのに、いつも、チキン。
ビーフよりすこしだけ安いんだ。でも、ジェシカはなけなしの給料から僕におごってくれていたんだ。
その日のバーガーはとてもおいしかった。
「ありがとう!またいつか来ます!」とその店員に別れの挨拶をした。
バスに乗り込み、武骨な感じの音に紛れ込みながら、窓側の席へ、、、
そして、出発した途端、道をはさんだ向こうの歩道に、車イスに乗っていた女性が目に入った。寒いニューヨークにはマフラーは必需品だ。
「まだ若いのに(といっても僕より上)大変だな」
口に茶色の袋をくわえて、ベーカリーから車いすに乗り、出てくるのはジェシカだと気づくまでに、時間はかからなかった。
ジェシカは、こっちを見て、ギターを弾くジェスチャー
そして、袋を膝に置き、精一杯の投げキスのジェスチャー
泣いていた。微笑んでいた。
道行く人も見ていたんだ。
愛してるジェシカ、、、
堪らなくなり、泣いていた僕に、隣に座っていた身なりのしっかりとした
背の高い黒人の老人が、肩を寄せてくれた。
そういえば、一緒にいったライブの夜、彼女はこう言っていた。
断片的にしか覚えていない。
「皆、一人では生きていけないのだけど、そこに甘えていてはだめね。」
「まず、自分で立てるようにならないと、誰も支えられない」
「私は毎日、あなたに甘えすぎてたわ。あなたは優しすぎるわ」
「今日はありがとう。久しぶりに楽しかった。でもさみしいわ。テルは日本に帰るから。私も夢をもって生きるわ。最初の夢はもうだめだったけど」
それは、彼女自身も、自分にも言い聞かせてたのかもしれない。かなわぬ恋なのだと。
だから、次の日、僕にあんなに色々聞いてきたんだろう。ジェシカも抑えきれなかったのだろう。
ミュージシャンという意味では僕は鳴かず飛ばずだったけど、
今は本当に自分の好きな仕事で生きている。
それは、
彼女が賭けてくれたコーヒーを僕自身が淹れる仕事。
日本人としては初めての、イタリアカフェテイスティング協会のトレーナーという資格もとったよ。ジェシカ。
君に淹れてあげたい。僕のコーヒーが今は一番なんだって!ジェシカにとっても僕のコーヒーが一番なんだって!
いまなら、言えるよ、ジェシカ、、、
元気でいてるのだろうか・・・
僕が帰国して二年後、ニューヨークのテロの時、ジェシカの住んでるアパートも被害にあったらしい。
日本のテレビで映し出されるそれは、僕たちの思い出の場所も、壊滅的だった・・・
どうか元気でいてほしい。
そして、望むことはただひとつ。
人種が違えども、国籍が違えども、人は人として、人を愛せる。憎むことなんて、話し合えばあるはずもない。
僕は、この一杯のコーヒーで、彼女が賭けてくれたコーヒーで、平和という理想かもしれないものの、ほんの少しでものちからになれるようにしたい。
アナザーカップオブコーヒー。僕はまだ、恋している。
そして、毎日、あわただしくコーヒーを淹れている。
ジェシカ、、、もしかしたら、天国にいてるかもしれないお前に届くように。
でも、どうか元気で、あの素敵な笑顔で・・・
著者の山下 輝久さんに人生相談を申込む
著者の山下 輝久さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます