文部科学省選定ドラマ「愛を乞うひと」を観て感じたこと

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児童虐待当事者の一人として感じ考えたこと


まず「愛を乞うひと」は作家下田治美さんの小説で1998年に映画化された作品だ。当時は見たいと思わなかったので小説も映画も見ていない。事前に多少ネットで内容をリサーチしたが、今回のテレビドラマしか知らないことをご了承頂きたい。


簡単なあらすじは、幼少期から凄惨な虐待を実の母親から繰り返し受けていた女性が、自分の過去と対峙し過去の自分自身と母親像を受け入れる話だ。

実の父親は亡くなっており父親の遺骨を探す旅を娘さんと一緒にする。

篠原涼子さんが一人二役の主演で話題になっていた。娘役の広瀬アリスさんも「こんな理解のある娘さんがいたら素晴らしいなぁ」と思うようなある意味娘ではあるが母性的な包容力のある演技を見せている。

そして何よりヒロインの幼少期を演じる鈴木梨央ちゃんの迫真の演技は、幼少期に虐待を受けた私にとっては過去の記憶を呼び覚まし涙を流さずには見れない演技だった。


母親の顔色を伺いいつも怯えながら虐待を繰り返されて生き延びる姿。演技がトラウマにならないのか?と心配する程に、当事者としてはリアリティがあった。


※今現在PTSDなどフラッシュバックの症状が辛い状態の方が見ると、精神的な負担が大きいと思った。


断片的ににメモした内容を脈絡なく書いて行こうと思う。





・殴られる。逃げる。追いかけ回される。

暴力から逃げようとしても大人(私の場合両親だった)の力で追いかけ回されて捕まえられ、大人の腕力で殴られたり蹴られたりする。服ごとまたは髪を引っ張られながら、壁だろうが柱だろうが思い切り叩きつけられる。

例えば自分の身体の肉付きの良い部分への痛みならまだしも(それでも当然痛いが)骨に衝撃や痛みが響く度に「自分は今度こそ殺されるのではないか?」と言う恐怖に駆られる。


・親の顔色を伺う

本当に怖かった。毎日学校から家に帰るのが恐怖だった。今日は両親の機嫌がいいのか?悪いのか?

家が近づく度にとても憂鬱だった。

「このまま永遠に家にたどり着かなければ良いのに。」と思うこともあった。

父親の機嫌も母親の機嫌もいつ悪くなるのか分からない。朝の時もあれば夜の時もある。

妹がウソ泣きをして「姉ちゃんがいじめた」と言うことで原因の追究もせずに虐待が始まることも日常茶飯事だった。妹は私の教科書に落書きをしても私の物を勝手に壊しても何をしても怒られなかった。




・雪の日に裸足で家を追い出される。

私にも経験がある。裸足だし上着を着せてもらえる訳でもない。玄関の戸にしがみつこうとしても力づくで外に追い出される。地元は岩手県なのでドラマのようにチラつく感じではなく雪が降り積もっている日でもお構いなしだった。雪の日と言うよりは季節を問わず家から閉め出されたり、または両親と妹だけが外出する時に私だけ家に閉じ込められることも多くあった。

しかしこのような状況を何度も繰り返されることで、物理的に両親と妹から隔離されると言うことはその時間は虐待を受けなくて良い。つまり身の安全も感じていた。


・弟が怯えている

私には6歳下に妹がいる。私が3歳から両親に虐待を受けていたので、妹が母親の胎内にいる頃には既に虐待は行われていた。

子供頃の6歳差は大きい。自分よりも6歳上の私が両親から虐待を受けている姿を見て、無意識に自分の身を守る術を身に着けたのかも知れない。

生まれる前から虐待をする家庭環境で、妹は両親の虐待に加担するしか生きる術が無かったのだ。

虐待を受けている最中は「殺されないように暴力に耐える。逃げる隙があったら逃げる。足蹴りされている時は次の蹴りの瞬間までに息を吸わないと吸えないので息を吸う…」など自分のことしか考えられないので周りの状況を見ている余裕がなかった。その後で「ざまみろ!」などと妹に言われることが多くあったが、もしかすると妹はテレビ中の弟のように怯えていたのかも知れない。


・見て見ぬふりをする父親

私自身は始め母親から虐待を受け、後に両親から受けるようになる。暴力は途中から父親しかしなくなったが、どんなに酷いことをされても母親は

「お前が悪い」と見て見ぬふりをした。

私が高校を卒業すると、それまで私に向けていた暴力を父親が妹に向けるようになる。

「警察を呼ばないと、って言いながらお母さんは警察を呼んでくれない。」と妹が言っていた時期があった。

それでも父親だからとか、必死に家の中で起こっていることを隠そうとしていた。


家族であっても命を守る為に外部に助けを求めることはとても重要で必要なことである。

例え自分の配偶者が警察に逮捕されるとしても、それで助かる命があるのなら…。

渦中にいると冷静な判断が出来ないのも理屈的に分からなくもない。無意識に共依存の関係性に捕らわれていては的確な判断などしようとしても出来ないのだろう。なぜなら彼らは無自覚にそのような閉塞的な関係性の中に捕らわれているからである。

そもそも冷静な判断ができるのであれば自分の子供に酷い虐待をしないのだろうが。

仮にどんなに愛して結婚した相手であっても、抵抗できない命に危害を加えたり命を奪う可能性があるのなら、それを防ぐことこそが「本当の意味での愛」ではなかろうか。


・中学の制服を父親の眼の前で着替えろと命令する

私も中学・高校と母親から性的な虐待を受けていた。

自分が母親と同じ女であることが罪深く汚らわしく、中学1年の頃から「子供を産まない」と決めていたし、虐待の記憶を取り戻す前の20代前半に男性のTシャツを着ていた時期があった。


・自殺しようとしていた

私も小学生の時に生きている意味が無いと思って死のうとしたことがある。方法はドラマのように包丁ではなかった。幼過ぎて自殺方法の知識が足りなくて死にきれなかった訳だが、仮にも当時成功してしまっていたら、今このようにして自分の人生を人様にお伝えすることが出来ないことになる。

そして何より私自身が生きている限り19歳と20歳で自ら命を絶ってしまったMちゃんとAちゃんの存在を人に語り継ぐことができる。私はこれからも彼女たちの儚い人生や命と共に在り続けたいと思っている。


・おこずかい

おこずかいを定額でもらった記憶がない。お年玉も辛く嫌な記憶でしかない。くれた方に返す名目で時にその中から多少もらえることもあったが、その後で妹が金額の差を親に訴えると、妹と同額または全額没収になった。

冬休み明けに学校の先生が「みんなお年玉はいくらもらいましたか?」と金額を挙手させることが苦痛だった。お年玉をくれる大人の中には「お母さんに渡さないでちゃんと自分でもらうんだよ」と手渡してくれる人もいたが、親に内緒で受け取り報告しないと虐待されることは目に見えていたので出来なかった。

近所のおばさんが道端で直に千円を手に持たせてくれて「お母さんに言わなくていいから黙って自分で使いなさい」と言ってくれても、それも親に報告していた。黙って使った後に起こり得る出来事を考えると親に報告して全額取り上げられる方が命の危機回避に繋がると子供ながらに学んでいたのだろう。

お年玉も近所のおばさんからお金をもらう時も嬉しそうな作り笑いをして「ありがとうございます」と言いつつ心の中では自分が目の前の大人に嘘をついていることや実際には貰えないことがとても残念でだった。

1度その場で「いりません。」とはっきりと言った時に「子供らしさがなくて全然可愛くない子だね。」と言われたことがある。


・服

家が貧乏だったが親戚のお姉さんがくれたお下がりの服があった。

しかしそれは妹が成長した時に着る服なので私が着てはいけない決まりだった。中学からは制服になったので自宅にいる時はボロボロの服を着ていた。近所の人が家に来る時に会うのさえ恥ずかしく嫌だった。

「贅沢は言わないから友達と家の外に遊びに行ける私服が欲しい」と心の中で思っていた。もちろんそんなことを親に言えなかった。私はおこずかいと着る服がないので休日に友達と遊ぶことを避けるようになった。ドラマでは主人公の母親は派手な服を着ているのは私の家の状況とは違うが、鈴木梨央ちゃんの着ていた衣装の印象で色々と思い出した。


・娘さんへ虐待をしてしまうかも知れない不安をずっと抱えていたこと

私は子供を産みたくなくて産んでいないので本当の意味で共感できると言えないが、もし子供を産んでいたら同じような不安を抱えていたに違いない。虐待は連鎖するとは限らないが、自分の肉体に刻まれた負の記憶の影響は…当たり前と言われる毎日を生きる上でとても大きな負担となるのも事実なのだ。



昨年5月に児童虐待福祉法の一部が12年振りに改正された。

関連URL

 ・朝日デジタル 

http://www.asahi.com/articles/DA3S12478061.html

・全国民生委員児童委員連合会

http://www2.shakyo.or.jp/zenminjiren/topics/2016/jidofukushihou.html


この流れを受けてだろうか?文部科学省が「愛を乞うひと」を選定ドラマと位置付けてくれたことは、とても大きな意義があると思う。



再度テレビのストーリーの流れについて少し触れると、児童虐待について今まで考えたことのない方も見れる配慮がなされていると感じた。虐待を大きく扱っているが光を失わずに過去と和解し前向きに生きて行こうとする姿は、ある意味では見る人に希望を与えるだろうし、別の角度から見ると少々綺麗にまとめ上げられている印象もある。

繰り返しになるが文部科学省が選定した意義が非常に大きい。

文部科学省が過去にドラマを選定したことはなく、選定の基準となるのは学校や社会的な教育上の価値が高く社会的に広く利用されることを目的としている。

分類は社会教育(教養) 対象は青年・成人向きとされている。

※個人的には児童虐待を受ける対象は乳幼児からいるので、対象の低年齢化も考えてもらえるとありがたい。そうすることで今まさに虐待を受けている当事者の子供自身が「自分が親にされていることが虐待」だと自覚するケースも出てくるかも知れない。


「愛を乞うひと」を製作したのは読売テレビ・日本テレビ系と書かれている。

昨年の7月~9月にテレビ朝日で放送された「はじめまして、愛しています」は、特別養子縁組の里親制度が主題だったが、里親に引き取られる役の子が母親から虐待を受けている設定だった。

昨年5月に児童虐待福祉法の一部が改正されてから少なくとも児童虐待を題材にしたテレビドラマを3つの放送局が製作してくれたことになる。

少し残念な視点だと感じたのは昨年の秋~冬に放送されたドラマでは、犯人が生育環境で虐待を受けていた設定になっていた。このような表現をすると「虐待を受けた人は犯罪を犯す」と言うステレオタイプの思い込みを持たれる可能性もあり、それを恐れて当事者がより声を上げにくくなるかも知れないことだ。

この件に関してはサバーバーズスターと言う児童虐待当事者可視化活動をしている方のTwitterページに

https://survivorsstar.themedia.jp/


「世界保健機関の調査結果として、全ての大人の4人に1人が虐待を受けた経験がある」と書かれている。上記ドラマのシナリオがそのまま仮説として成り立つと、全世界中の大人の4人に1人は犯罪者になってしまう。そのようなことは現実的にはあり得ないと言い切れるだろう。

虐待を身近に感じることのなかった方は虐待を受けたことのある人に偏見を持たないで欲しいのと同時に、あなたが幼少期から親に庇護される過程で虐待を受けた経験を持っているとしても「それが直接犯罪とは結び付かない」と安心して欲しい。

これらの動向から児童虐待に対する社会的な関心が少しずつ高まっていると期待したいと思う。


※すべてのテレビ番組をチェックしている訳ではないので見逃しがあるかも知れません。





昨年から関わらせて頂いている写真家長谷川美祈さんの「児童虐待可視化プロジェクト」は、多くの方のご協力と関心を頂いております。

私自身はブログやフェイスブックを通して

「協力できることがあったら是非協力させて下さい。」

「何か手伝えることはありませんか?」

「実は誰にも言えなかったのですが…自分も虐待の当事者です。」

と言う声を頂くことがあります。どの方のどのようなメッセージもとてもありがたく受け取っております。

現時点で皆様にお伝えできることは「今年11月児童虐待防止月間に写真展開催と写真集の販売をすること」が決定しております。

具体的な日程や動向は今後またお伝えしようと思います。

私たちのこの取り組みが良い意味で皆様に「児童虐待とは何か?」を考えて頂く1つのきっかけとなりますよう今後も努力して参りたいと思っております。


























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