【第1話】認められた記憶などほとんどない僕がSTORYS殿堂入りの知らせを受けた日・・・ふと思い出した、忘れられぬ友人と交わしたある「約束」

後編: 【第2話】認められた記憶などほとんどない僕がSTORYS殿堂入りの知らせを受けた日・・・ふと思い出した、忘れられぬ友人と交わしたある「約束」

その人は、富岡太郎君と言った。

彼は、僕が今まで出会ってきたすべての友人の中で、最も印象深い人物であったに違いない。

それは、生まれて初めて親元を離れ東京で暮らすことに決めた、人生におけるターニングポイントの年に出会った友人だからなのかもしれないし、お互い地方から出てきて慣れない東京での浪人生という中途半端な境遇も、僕達の関係性にとってはまことに親密さを増す結果になっていたのだろうと、今振り返ってみると、そんな気もするのだ。

球界にその名を轟かすイチローこと鈴木一朗が、颯爽と世に登場するのはまだだいぶ後のことで、日本における「太郎」と「一郎」は昔話の登場人物の名前という認識以外の何ものでもなく、これは「太郎」や「一郎」という名が世間的にいうところのイマドキの名前とは正反対に位置づけられていたころのお話である。

世の中はバブルで浮足立っていて、オシャレであることが自己肯定のような時代に「太郎」という名を持つ同じ年の彼に、興味を持ったことは否定しない。

「太郎」という名前の持つイメージは、まさかり担いだ何とか太郎のように勇ましいものであるのに対し、彼の容姿はそれとは正反対のものだったことも、彼と仲良くなることが出来た一つの要因だった気がするのだ。

東京都練馬区練馬で浪人生を対象として自宅の部屋を貸しだしている、とある下宿で僕たちは出会った。

静岡県出身だという彼は、俗に言う牛乳瓶の底のような鼈甲の縁の眼鏡をかけ、髪はアメリカのアンティークの上品なお人形のような薄い栗毛で、肌は透けるほど白かった。

張り付いたような笑顔が育ちの良さをうかがわせ、3度の飯よりコーヒーが大好きなのだという。

屈託なく笑うその顔は、やたらと人懐っこかった。

「体の色素が人よりも薄い」

という身体的特徴により、中肉中背の背格好よりは華奢に見えるこの人と一緒に暮らしたのはたった1年間だったけど、僕にとっては、それだけ忘れがたいものだったということだ。

その年は、ザ虎舞竜の「ロード」が有線放送でじわじわと世の中を席巻しつつ、バブルと呼ばれる得体のしれない大人の事情で浮足立ち、生まれて初めて見る東京という街は、田舎育ちの僕達にとっては異次元と言っても差支えがないほどの別世界であったのだが、親元を離れた解放感と都会の喧騒とが相まって、それはそれでこの街での暮らしもだんだんと居心地がよくなってきたのは、浪人生にとっては勝負の夏になるはずのころだった。

下宿で振舞われる晩ごはんの時間まで、練馬駅前のパチンコ屋「ニュー亀」で羽根物を並んで打つのがたまの息抜きだったのだが、浪人生という曖昧な境遇と、偶然にも僕たちが一緒に下宿生活を送ることになった「瀬尾宅」の下宿部屋事情とが相まって、世間一般の情報網を遮断された生活を送っていた僕達が、唯一口ずさめるヒットチャートのこの曲は、たまに訪れるパチンコ店内の有線放送でこれでもかと流されたいた。

「なぁんでもないよぉうなことがぁぁ」

「しぃあわせだぁあったとぉぉぉおもぉおうぅ」

誰が歌っているのかもわからないこの歌の、覚えたてのサビの部分だけを熱唱する。

「しかし、よく流れるね、この曲は」

右手でハンドルを持ち、くわえたばこで右足のくるぶし部分を左足の膝の上にのせ、裸足にぶら下げたサンダルを足の指部分のみでブラブラとさせながら、名前もわからぬこの曲を僕はよく口ずさんでいた。

歌声は店内の騒音に紛れてしまうので、気分転換にでかい声を張り上げる。

「テレビがないから、世の中何が流行ってるのか、全く分からないからねぇ」

いつものように愛嬌のある笑顔で富岡君は僕に話しかける。

時折搔き上げる栗毛は「超やわらかい」と銘打たれた歯ブラシの毛先よりも柔らかいに違いない。

指を通しても、逆らうことなくその栗毛は元の位置に収まるのだった。

「テレビ見たいなぁ、テレビ・・・」

これが僕たちお決まりの率直極まりない愚痴で、18歳という多感な時期に花の都大東京で暮らしていながらにして、一切の情報網が遮断されているという生活は、いよいよもって苦痛を極めていた。

ポケットベルはおろか、ポータブルテレビ、携帯電話、パソコン、インターネットの類もまだ世に出回ってはおらず、ブラウン管のアナログの力を拝借しなければ、ろくろくテレビも見られない時代だった。

もっと言えば、テレビ以外の娯楽などそれほど存在しておらず、テレビの持つ情報という名の影響力は「時代」そのものだった。

瀬尾宅の下宿部屋にテレビのプラグはなく、唯一テレビが見られるのは食堂と呼ばれる母屋の1階部分のみで、14インチの小さなブラウン管が下宿生のために備え付けられていた。

夜7時からが晩御飯の時間で、7時から食事をしている30分の間だけ僕達はテレビを見ることを許されていたのだが、ゴールデンタイムに30分だけという後味の悪さが、より一層この生活の窮屈さを際立たせていた。

当たり前だが、テレビが見られない生活という物をここに来るまで送ったことは無く、たまたま住んでしまった下宿部屋でテレビが見られないという非常事態に対し、生活上何らかの困難が起こるかもしれないという想定自体しておらず、いや、むしろ、浪人生にはおあつらえ向きの環境で、たった1年大学に入るための勉強を必死でするだけの場所なのだから、大学入学という目標にとってはむしろテレビなど邪魔な存在だと高をくくっていたわけで、高々1年程度テレビがないというだけのことを、これほどまでに我慢ならぬとは考えてもいなかった。

このテレビがないという環境はむしろ、浪人生という特殊な境遇の人間のための、大家さんの粋な計らいであり親ごころであるには違いないのだが、当たり前のように毎日見ていたテレビがない生活というのは、実際経験してみると想像以上に苦痛なものだと思い知らされていた。

流行りの歌など、聞けるはずもない。

瀬尾宅は練馬駅から徒歩15分のところにあり、晩ごはんの時間に間に合うよにパチンコを止め、家路に着かなければ晩ごはんにありつくことが出来ない。

わずかばかり残っている球を景品に代え、暮れかかる街を石神井川に向かって歩き出した。

茶色い紙袋に入れてもらった景品は、缶詰やお菓子、ジュースにタバコで、2人で出したパチンコ玉はいつも合計され、その日の戦利品は仲良く半分こするのがいつもの習わしになっていた。

度のきつい眼鏡をかけ、近所のジーンズメイトで購入したジーパンとポロシャツにスニーカーをあわせるのが彼のいつものスタイルで、参考書の類が目いっぱい詰め込まれた見るからに重たそうなリュックを背負い、黄昏る初夏の夕暮れを急いだ。

国立大学に進学して、教師になるのだという。

高校を卒業して大学に入り、高校教師になるというのは彼にとっては決められた人生で、浪人するなど言語道断だという両親の愚痴を胸にしまい、もう二度と失敗が許されぬという背水の陣で東京までやってきていた。

だけど、富岡君の普段の生活にそれほどの悲壮感はなく、感情を内に秘めたままの彼の本当の想いを、僕は知る由もなかった。

パチンコ屋を出てすぐのところにある角の大判焼き屋からいい匂いがして、僕達はおどけて深呼吸をした。

戦利品の茶色い紙袋を左手で抱え、右手をジーンズのポケットに突っ込んで、学校の便所で履くような茶色いサンダルを引きずるように歩く僕の足元から、踵でアスファルトをひっかく音が大げさに鳴っている。

地元の中学生が集うゲームセンターの前には自転車が何台も止められていて、並びの精肉店の軒先には、主婦が数人ショーケースを覗いている。

夏の夕暮れにのんびりと陽が暮れていくこの街が、実は意外と気に入っていた。

続きのストーリーはこちら!

【第2話】認められた記憶などほとんどない僕がSTORYS殿堂入りの知らせを受けた日・・・ふと思い出した、忘れられぬ友人と交わしたある「約束」

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。