祖父と保育園。

私の祖父は保育園の園長先生でした。

祖父は、定年退職するまで市役所で公務員として働きました。そして、その退職金を投じて、町で唯一の保育園を夫婦で始めました。家の畑だった土地を開き、立派な保育園をたてました。

私が生まれたときから私の家は保育園で、私の祖父はおじいちゃん先生でした。

私の兄、姉、そして私自身もその保育園に通い、幼少期を楽しく過ごしました。

他の園児が帰るとみんなのおじいちゃん先生は、私のおじいちゃんになります。

祖父の肩に跨り、禿頭をいじくり回すことが私の日課でした。


祖父は寡黙な人で、あまりたくさん会話をした記憶がありません。

しかし、一緒に虫取りに行ったことや一緒に新聞を読んだこと、一緒にキャッチボールをしたことを今でも思い出します。

いつも黙って、私と遊んでくれました。記憶にあるのは言葉よりも背中です。


言葉の少ない祖父が、何を思いながら保育園を続けていたのかは、今となっては私にはわかりません。

しかし、その保育園があることでたくさんの人の助けになったことは確かです。

祖父は思いを言葉にする人ではなく、思いを行動に移す人だったのだろうと思います。


そんな保育園も少子化に伴い、経営が厳しくなり閉園することになりました。15年間で162人の子どもたちが卒園していきました。

たくさんの人に感謝され、惜しまれながらの閉園でした。

その後、土地は介護福祉施設に売り渡され、保育園は老人ホームになりました。現在では、要介護の高齢者の方々が、日々生活されています。

畑しかなかった土地は、たくさんの感謝が集まる場所になりました。


最近、よく祖父のことを思い出します。

祖父が亡くなった日、たくさんの人がお通夜やお葬式に来ていました。その中には、保育園の卒園生たちも来ていました。

すっかり大人になり、幼少期の数年間を過ごしただけの卒園生が祖父のために涙している様子を見て、祖父の大きさを感じました。

祖父は、私のおじいちゃんであると同時に、みんなのおじいちゃん先生でした。

とても誇らしく、そして余計に悲しかったです。


私はこれから社会に出ます。

祖父は、祖父にしか出来ないことをして、たくさんの感謝を受けました。

私はこれから人生をかけて、私にしか出来ないことを探していかなければなりません。

感謝されながら迎えられる最後を私は目指します。 

みんなの読んで良かった!