母子手帳

毎年春になるとここへやってくる。桜の時期はもう過ぎているが東北地方から新幹線で東京方面へ向かう私にとって、その年初めて感じる春の匂いだ。

半月ほど前、長女が地元の高校に合格した。そんな長女を「東京で買い物でもしないか?」と誘ってみた。

「お父さんはチョット寄るところがあるけど・・・。」

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私は親戚の男の子と車のおもちゃで遊んでいる。

母は冷たくなり白い着物を着て棺の中に横たわっていた。

周りでは黒い服を着た大人たちが忙しそうに家の中を動き回っている。

 

自宅近くにある保育園を卒園し、私が小学校へ入学したのはこの日の僅か1週間ほど前のことだ。

入学式の日、教室の後ろで私を見守ってくれたのは母ではなく祖父だった。

入学式を終えた私は父が看病を続ける母のもとへ向かった。

母は鼻に管のようなものを通し、自分の力だけでは起き上がることも出来ないほど衰弱していた。

初めてみる真新しいランドセルを背負った私に枕元の財布から五百円札を取り出し渡してくれた。何を話したのかは覚えていない。

ただ、母は力なく手を差し伸べそっと私の頬をなでた。

その4日後、母は安らかに息を引き取った。

母の記憶は皆無に等しい。曇りガラスに遮られたような映像しか残っていない。病に身体を蝕まれる苦しみの中、そっと私の頬をなでる姿が生きている母の最後の記憶だ。

 

保育園の卒園式は母が私の姿を見に来てくれた。子供ながらに母の顔色が悪く見えたのを覚えている。

それから一月と経たないうちに母は旅立ったのだ。

病名は膵臓癌、発見したときにはもう手遅れだったということを30年以上たった今なら理解するのはたやすい。だが、まだ子供だった私には理解できなかった。もしかしたら【死】というもの自体をよく理解していなかったのかもしれない。また会えると、帰ってくるかもしれないと本気で思っていた。

そのために、私は葬式の間、涙を流す父や兄に反してほとんど涙を流していない。

「お母さんはずっと見ているから」と親戚の誰かに言われ本当に母が見ていると思って参列者に向かい堂々と胸を張って立っていたほどだ。

母の死後2年して婿養子だった父は母の家から籍を抜き再婚をする。私はその新しい母親と上手く接することが出来ず、祖父母とも離れて暮らすようになり初めて母のいない淋しさを味わうことになった。

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先日、妻が荷物の整理をしている最中、私の母子手帳を発見した。4000gを越える私を母は帝王切開で産んでくれていた。幼いときにお風呂で見た母のお腹の傷は私を産むためのものだった。

母親の愛情を知らない私に妻は「愛されていた証拠が見つかったね」と言った。

妻の言葉は母に愛された記憶の乏しい私をいたわる優しさなのだろう。

私は母子手帳を手に取った。1ページめくるごとに覚えているはずもない記憶が、恐らくは私の想像だろうが、次々に私の胸を締め付けていく、想像の中の母はいつも優しい。

その優しさが涙となって頬を伝った。

頬を伝う涙の温かさは、最後に力なく差し伸べたあの母の手のぬくもりを思い出させた。

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二人で母の墓参りに来たのは初めてだ。見たことも会ったこともない祖母の墓石に向い私の隣で長女が手を合わせている。

今はっきりと母にありがとうと感謝することが出来る。亡くなった直後、淋しいと思わなかったこともごめんなさいと伝えられる。

そんな気持ちをこの子が私に教えてくれた。

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