奇跡、生きる〜小さな生命が私を救ってくれた〜パニック障害の私が命の危機に直面して少しだけ成長した話
【薬飲まなきゃ発作が出るかもしれない】という不安が脳を支配した。
看護師さんに話すと、少し時間はかかったが持ってきてもらえた。
持参薬の鑑別、処方確認などに時間がかかったようだった。
不安が襲ってきてから薬が来るまではすごく長い時間に感じられたが、服薬した瞬間に焦燥感は消え、落ち着いた。
薬の量は少ないが、普段から【薬を飲んでいるから大丈夫】という安心感もあったのだろう。
次に気付いた時には夫の両親が来てくださっていた。
案の定、眠気が強く目は開けられなかったが、ところどころの会話は耳に入ってきた。
(お義母さん泣いてる…)
「すみません、来てくださってありがとうございます」
って言ったつもりだったけど、きちんと言えてたのかも分からない。
夕方、ICUから一般病棟に移った。
私の両親も来ていた。
弟から父に電話がかかってきていた。
「姉ちゃんどう?今から行こうかな」って。
たった2人だけの姉弟。
昔はすごく仲悪くてケンカばかりだったけど、いまは本当に大切な存在だと思う。
父「もう帰るけど頑張りなさいよ」っておでこを触ってくれた。
母「いや、別に頑張らなくていーから!」って。
(もー…予想通りのやりとりでウケるんだけど!痛いから笑わせないでよー)
夫の両親も返事すらろくにできない私にしばらく話しかけてくれて、本当にありがたかった。
夫が病室に泊まってくれた。
少しの動作でもお腹が痛く、食欲がなかった。
ご飯もゼリーやジュースを準備してもらったがゼリーも一口食べるのがやっと。
甘さが口に残って気持ち悪かった。
「血栓ができないように足を動かして」
と言われたが、痛みが怖くて動かせない。
夫は夫で専門家なので、
「今動かさないと歩けなくなるよ!」とスパルタになった。
それでも夫がずっと近くで見守ってくれてる事がすごく嬉しかった。
夫「俺、しばらく休みます宣言してきたから〜」と言った。
私「って言ってもここ職場だよね…」
手術後に夫婦で初めて笑った。
この日も何度か夜中に目が覚めた。
その度に夫の姿を確認するが、椅子で寝てるのでとても寝苦しそうだった。
12月28日
ゼリーとジュースの朝食。
ゼリーを一口食べてジュースは冷蔵庫へ。
看護師さん2人がかりで清拭をすみずみまで丁寧にしてもらった。
この時自分が尿のカテーテル、オムツをしている事に気付いた。
その後坐薬を入れてもらうと便意が来た。
看護師さんに見守られながら、点滴スタンドを支えに自分でトイレまで歩いてみた。
体重は5kg落ちており、思っていたよりふらついたので、貧血と体力低下を実感した。
10分ほどトイレに座ったが、傷が痛み、腹筋に全く力が入らず諦めた。
お昼はみかんの缶詰を食べることができた。
食べた後はスッキリしたくなり、洗面所まで歩いて歯磨きをした。
なんとかフラつきながらもできた。
夜からお粥にしてもらって、少し食べられた。
安心してもらおうと、
【今日はトイレまで自分で歩けたよ。ご飯も少し食べられた。】
と母にメールした。
【時間が何よりの薬だよ。自分の力を信じて。】
と返事が来た。
弟からは
【無事で良かった。無理しないで、ちょっとずつ元気になってね。】
と送られて来た。
12月29日
相変わらず、食事はほとんど取れなかったが、
前日に歩いてから少し調子が良くなった。
自分でトイレに行けるようになったので、尿のカテーテルを外してもらうことができた。
パジャマのゴムが傷口に当たって物凄く痛かったので、夫にゴムを切ってもらう。
この時初めて自分のお腹を見た。
ガーゼは貼ってあったが、ガーゼに染みた血液で傷の大きさが予測できた。
絶句。
(こんなにお腹切ったの!?お腹に大きな傷が出来てしまった…今までのことが自分に本当に起こったことなのかも信じられなかったのに傷がちゃんとここにある…。何で私に起きてしまったんだろう。何で??)
すごくショックでしばらく言葉が出なかった。
今までの私なら、ここで泣いていた。
【なんで?どうして?なんで私なの?】と、
とことん落ち込んで、うつ状態になっていただろう。
しかし何故かこの時は、
(別に誰かに見せるわけじゃないし、生きてたからいいや。)
と落ち込んだのはほんの数分で、少し前向きに考えられた。
先生が来て、
「トイレも行けるようになったし、順調に行けば4-5日で退院できるかも」
と言われた。
傷の痛みや体力の面で、このまま帰って大丈夫なんだろうかと不安もあったが、もうすぐで家に帰れるという事がとても嬉しかった。
夜になり、夫からメールがきた。
【いなくなったら俺、無理だから。生きててくれて本当に良かった】と。
【一緒にいるよ、ありがとう】と返事をした。
12月30日
点滴をずっと流している分、夜中に何度もトイレに行かなければならなかった。
ベッドから起き上がる度に傷の激痛に襲われ、トイレがとても憂鬱だった。
朝になり、点滴が外れた。
許可が出て数日ぶりのシャワー。
夫に付いてきてもらい、身体を洗ってもらった。
オムツ姿、尿バッグ姿、お風呂の介助。
ここ数日で夫にはあらゆるものを見られた気がして、何かが吹っ切れた。
シャワーの間、まだ血が滲むテープが貼ってある傷口を見たが、落ち込む事はなかった。
お昼過ぎに父母弟、祖母が来てくれた。
病室を歩いてる私を見て少し安心してくれたようだった。
一緒にテレビをみたり色々おしゃべりをして、病院にいるのを忘れるほど、とても楽しい時間だった。
夜になると昼間に大勢で楽しい時間を過ごした反動からか、病室に1人でいる寂しさや孤独感に襲われた。
術後の自由の効かない身体に慣れない不安。
病院のスタッフさんはみんな優しく、とても良くしてくれていたが、慣れない病院生活。
家に帰りたい衝動に駆られた。
いてもたってもいられず、夜遅くに母と夫に【今すぐ帰りたい】とメールした。
2人ともになだめられたが、どうしても帰りたくてたまらなくなり、不安感が増し、朝までろくに眠れなかった。
感情のコントロールがうまく出来ず、
著者のNana Minchanさんに人生相談を申込む
著者のNana Minchanさんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます