奇跡、生きる〜小さな生命が私を救ってくれた〜パニック障害の私が命の危機に直面して少しだけ成長した話

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【寂しい】

【怖い】

【もう明日帰りたい】

【おうちでご飯食べたい】

と夫にメールを送りまくっていた。

完全に駄々っ子化していた。


12月31日

眠れずに一晩中テレビを付けていた。

朝食のパンを3口ほど食べたところで吐き気と震えと動悸が襲って来た。

パニックの発作だった。

すぐに薬を飲んだ。

大丈夫大丈夫と頭の中で言い聞かせるけど、不安感が爆発して、治まらなかった。

この日、夫はやらなければならない仕事があったようだが、9時前には終わらせて来てくれた。

「もういや、帰りたい」と子供のようなことを言ってるのは分かってたけど、辛くて耐えられなかった。

夫は発作に苦しむ私の手を握りながら、

「昨日のメールで精神的にそろそろヤバそうだなって思った。俺から看護師さんに話してみようか。先生の判断次第だから、もし帰れなかったら俺今日泊まるから。」と言ってくれた。

2週間ほどの入院予定だったので、5日目での退院は夫も心配だったようだが、私の希望を聞いてくれた。


看護師さんに夫が説明してくれ、お昼頃に先生が来てくれた。

「採血の結果は大丈夫そうだから内診して決めましょう」と言ってくれた。

内診の結果、

「少し退院には早いけど、食事の問題以外は比較的落ち着いてるから帰っても大丈夫。何かあればすぐ連絡してください。3日後に来てください。」とのこと。

嬉しすぎてすぐに帰る準備をして、帰宅した。


それからテレビを見たり、寝たりして過ごした。

普段家事をしない夫が自分でお蕎麦を茹でて食べている姿を見て感動した。

食欲はなかったが、

(年越し蕎麦は食べなきゃ!)

と思い、一口だけもらって食べた。


退院後は実家に帰ることも考えたが、

もし何か起きた時に病院の近くがいいだろうと自宅で過ごすことにした。


お風呂の許可が出るまでは、

「シャワーだと寒いから」と

お風呂場と脱衣所を暖めてくれたり、

シャワーの間はずっと脱衣所で待っててくれていた。

夫が仕事の日は、「患者さん1人終わるごとに携帯見るようにするから何かあったら着信残しててね」と言ってくれ、お昼には様子を見に帰って来てくれた。

貧血がしばらく続いたので、貧血に効果のある食べ物を調べては夫に買って来てもらった。


父母も休みを見つけては私が食べられそうなものを買って、様子を見に来てくれた。


術後3週間過ぎた頃から傷の痛みは少なくなり、引きつるような違和感に変わった。

まっすぐ立つと少し痛みがあるため、お腹をかばって常に前かがみだが、以前のように生活できるようになった。



A産婦人科の支払いをしていないままだったので、夫と一緒に行くことにした。

病院の駐車場に着くと、

夫「行きたくないでしょ?俺が行ってくるからちょっと待っててね」と言ってくれた。

夫の帰りを待っている間、当時のフラッシュバックが起こった。

胸がドキドキしてたまらなかった。

30分ほどして戻ってきた夫は、

夫「マジありえない。ここでオペしなくて本当に良かった。きっと死んでたわ。」

キレていた。


A医師が話をしたいと言ってきたようだ。

「お産の前にパパッと終わらせるつもりだったんだけど、お産が重なっちゃってね」

「B病院でも輸血とかしなかったでしょ?」

「すぐ退院できたでしょ?」

と言われたらしい。


夫「出血も致死量超えてたし、ICUにも入ったし、生死さまよったのに事の重大さに気づいてないことに俺もうブチギレて、文句言ってやりたかったけど、これ以上関わりたくなくて何も言わずに出てきた」

きっと夫もあの日のことを思い出したのだろう。

辛そうな夫を見て申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

私「すごく嫌な思いさせたね。ごめんね。行ってくれてありがとう。」

そう言うのが精いっぱいだった。



夫が言うように、もしかしたら私はあの日死んでいたかもしれない。


⚫︎倒れる前に妊娠反応を確認していたこと

⚫︎倒れた時に頭の打ち所が悪くなかったこと

⚫︎倒れた後に目を覚ますことができたこと

⚫︎母にメールをしたこと

⚫︎母がたまたま休みで夫に病院へ連れてってもらいなさいと助言してくれたこと

⚫︎夫にメールだけじゃなく着信を残していたこと

⚫︎普段は仕事中に携帯を見ない夫が携帯を見て電話をかけ直してくれたこと

⚫︎すぐに帰ってきてくれたこと

⚫︎脳外科じゃなくて産婦人科に先に行きたいという私の意見を尊重してくれたこと

⚫︎A産婦人科でお産が重なり、手術を始める前にB病院に搬送されたこと


どれか1つでもズレていたら…。

不幸中の幸い。

奇跡的に全てがうまく重なり合って私は生かされたんだと思った。




ある日、昨年受けた国家試験の合格通知が届いた。

ちょうどその日は母が様子を見に来てくれていたので、2人で喜んだ。

母「今思えば試験の日の体調不良って緊張もあっただろうけど悪阻でもあったんだよね。でも本当に頑張って良かったね。生きてたからこの喜びも感じられたんだよね。本当に良かったね」と言ってくれた。

夫にも帰宅後に伝えると、

「よく頑張ったね!すごいわ!可能性が広がるね!」

と喜んでくれた。


パニック障害である事に引け目を感じ、

【何も取り柄がない。何もできない。】

とずっと自分に自信が持てなかった私。

そんな自分が嫌で、

(変わりたい。自分に出来ることを見つけたい)

と一念発起して勉強を始めた。


筆記試験は大人数いる教室の中で朝から夕方まで2日間みっちり。

(試験が始まると逃げられなくなる)

という不安から動悸や吐き気が時々襲っていたが、全部受けることができた。

実技試験の当日も朝から動悸と吐き気があった。

時期的に悪阻でもあったのだろうが、当時は不安や緊張によるものだと思っていた。

会場に着くとたくさんの人がいる、大きなホール。

私の席は奥の方で、出入り口から一番遠い場所だった。

(こんなにたくさん人がいる。パニックになったらどうしよう。逃げたくても出入り口が遠い。)

不安感が襲い、動悸と吐き気で呼吸が浅くなっていた。

(今出なきゃ試験が始まる!)

と試験開始までまもなくだったが、荷物も置いたままトイレに駆け込んだ。

(落ち着かなきゃ。逃げちゃダメだ。変わらなきゃ。今まで頑張ったのに今受けなきゃ絶対後悔する。倒れてもいいから受けてみよう。)

と思い、会場に戻り試験を受けた。

もう1つあった試験も吐き気を堪えながら受け終えることができた。



逃げ出さずに試験を全部受けられたこと。

パニックの症状は出たが、乗り越えられたこと。

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