【5話】スラム街でホームステイをしたときの話。そこには、日本にはないあるものがあった。

前話: 【4話】1人でアフリカに行ったら、タクシーで男2人に乗り込まれて、丸一日観光案内。最後は君と夜を過ごしたいと言われた女子大生の話①。
次話: 【6話】高校を中退した女子が上智大学法学部に入学して卒業するまで①ある子の言葉がきっかけで、高校をやめるまでに追い詰められた

スラム街には、日本にないものがあった。


私の初旅行はフィリピンでした。(写真はタイ(笑))

※前回の話から続かず、しばらく放置していたこちらの話から先に書いていきます。


あの時私は21歳。


期間はなんと1ヶ月間!


大学時代に入っていたNGOサークルの一環で、

様々な施設や場所を視察するという旅でした。


私は初旅行であったこと、しかもいきなりフィリピンのディープなところに行くことから、

とってもそわそわして、何をもってけばいいかもわからず、とりあえず梅干しを大量にもって行ったことは覚えています(笑)


フィリピンに行ってみると、

食事には毎回フライドチキンがでて、

私だけはひたすらチキンを食べ続け、

数本平らげることもあったので、トリさん、とまで呼ばれるほど(笑)

あと、洗濯機はないので、みんなで手洗い、手絞りして干す!

1日で乾く日もあれば、雨の日だとなかなか乾かず、それが1番の悩みだったな。

あとは、集団で生活していたのですが、1人になれる時間があまりなかったのも辛かった…。

そんな中でも、体調を崩す人が現れ、次第に元気な人が減って行く…。


すごい旅ですよ、今考えると(笑)


その視察の一環で、スラム街にホームステイをした。

一人一人、違う家を割り当てられ、

そこの家族にお世話になるというもの。

初旅行でスラム街に入って、

そこで家族と一対一。

これも、やはり改めて考えるとすごい(笑)


スラム街は、ゴミがたくさん落ちていて汚れていた。

狭い道路をバイクや車が走っていき、

排気ガス臭かった。


私がお邪魔した家は、生活用品を売る店。

よく、アジアで見かける、家と生活用品のお店が一体になったようなところ、

見かけませんか?

そこは、そんなような家でした。


中に入ると、キッチンがあり、

二階に上がると寝室やバルコニー。

思っていたよりも、素敵な家!!

なんと、DVDもあり、見せてくれた!

たしかタガログ語訳、英語字幕だったので、

訳分からなかったな(笑)

そこでは、娘さんが出稼ぎに中東まで行っているということで、

その収入が大きいのかな、と感じた。


そこのご家族には、外出にも連れて行ってくださり、

観光名所やスーパーなどに行った。

道端で売ってるバナナキューも買ってくれた。


なんて優しいのだろう。

家庭料理も美味しくて、夜にはバルコニーでおしゃべりをした。

(別の家では、その家のお父さんが謎の薬を口に含んでいたとか…。

場所によって大きな違い汗)


夜になると、若者たちの出し物を見た。

支援をしてる日本人が来た!ということでお祭り騒ぎ。

ちっちゃい子もダンスが本当に上手で、

かっこよかったな。

夜も遅いのに、みなさん名残惜しく何度もダンスを一緒に踊った。

良い家族過ぎて、どうしても気持ちを伝えたく、

私がとっておいた、とっておきの大大大好きな梅干を一つぶあげた。


ありがとうと口にほうばった瞬間、


即座に吐き出された(笑)


私たちが各家に戻る頃、

まだ若者たちが楽しそうに遊んでいた。


なんだか、街全体に温かさを感じた。


日本になくてここにあるものは、

人と人の繋がりだと思う。

隣の人が当たり前のように遊びに来たり、

夜になっても若者たちが、自分たちの街で遊ぶ。

このスラム街というコミュニティーの中で、それぞれ知り合いで、

何かあれば助け合う。

日本になくなってきているものだ。


帰ってから、私は日本のことに関心を持つようになった。

それが今の自分につながっている。


私の両親のことも含めて、
日本でやらなきゃいけないことは

たくさんあると思った。

続きのストーリーはこちら!

【6話】高校を中退した女子が上智大学法学部に入学して卒業するまで①ある子の言葉がきっかけで、高校をやめるまでに追い詰められた

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