どうして帰ってきたの?

2 / 2 ページ

        K病院ってなんでよ?? K病院に運ぶつもり?? 

        K病院は自宅から50M程先にある整形外科である。 

        全く、冗談じゃないよ!!!  


        症状が頭痛と高熱ってことだけだって、絶対甘く判断されてる。

       「昨晩も救急車で運んでいただいたのに今朝になってもこんな状況なんですよっ!!

        S病院に聞いてくださいっ!! お願いですからっ!!」


        昨晩と同様またもやS病院に受け入れを断られる。

        F病院(救急指定病院)が受け入れてくださるとのことでF病院へ向かう。


        F病院にて、ドクターの診察、検査、そしてあわただしく駆け回る看護士さん達。

        息子に絵本を読んでとせがまれ、読みながらそんな光景が流れていく。 


       「奥さん、今の段階ではっきりと特定はできませんが髄膜炎の疑いがあります。

        うちで診れる病気ではないのでA脳外科に行ってください。」


        ズイマクエン…っってえーっと、どんなビョウキだっけ。

        それって大変なビョウキなの?? あたまがマッシロになる。


haru
A脳外科って、家の近くのあの病院ですよね。
ホントに大丈夫なんですか! その病院で??

       「大丈夫ですよ。専門の病院なんですから。うちには脳外科はないので

        診れないんです。とにかく移ってすぐ処置してもらってください。」


        そのとき偶然watoの会社の同期のIさんから携帯に電話が入る。 

        ふと一瞬我に返る。会社にも連絡しなきゃいけない、実家にも・・・。


 PM1:00 A脳外科へ救急車にて搬送

        到着後、入院手続きを済ませ、すぐ検査。CTをとるため検査室へ。

        厚みのあるドアが閉まる間際、ふと私の方を振り返りしばらく不安の入り混じった

        なんとも言いがたい表情をしたのを今だに忘れることができない。


DC
私が担当の●●です。ご主人は髄膜炎です。脳炎をひきおこすのが一番心配ですから これから点滴による投薬をしていきますね。


haru
どうかどうか、よろしくお願いします。


        watoの体がおそろしいほど震え、熱が上がる。41度。まだ上がる。

        全く下がらない熱を下げるため、座薬を入れる。

        そして、38度台まで下がる。今度はずぶぬれになるほどの大量の汗。

        1時間程度は寝ることができてもまた見たこともないほどの震えが来る。


        そしてまた熱が上がる。41度。

        熱があがったらまた座薬。

        延々とその繰り返し。


        容態が酷いので病院に泊まる。


        実はこの日、watoは単身赴任で大阪に転居するため、荷出しの予定があった。

        watoは10月1日づけで大阪赴任が決まっていた。


        朝、救急車を待つわずかな時間、引越し業者に引越し中止の連絡を入れ、

        保険証、印鑑、通帳、おくすり手帳等、持って出ていた。

        後で考えると怖い程の冷静さで対応している。


haru
この病院、どこか分かる?家から車で10分ほどの所のA脳外科だよ
wato
そうか……よく、わからない


        深夜にかけて高熱に加え、酷い下痢を15分~30分おきに繰り返す。

        おむつをしましょうと、看護士さんに言われるが、どうしてもイヤだと激しく

        抵抗し、自力でトイレに行こうとする。

 

        なぜ点滴がついているのかもはや理解も出来ない程の朦朧とした状態の中、   

        腕につけた点滴をガーゼごとむしりとり、トイレへ行こうとする。 

        足もふらつきまともに歩けない。

        私の肩に腕をかけさせ、熱く重い体を引きずるように支えて連れていく。


        トイレに入ったら30分は出てこれない。

        ようやく出てきたかと思えば15分程、ベッドに横になり、また激しい下痢に

        襲われる。再びつけてもらった点滴が邪魔になるのかまたむしり取ろうとする。


これはお薬なんから、つけてなきゃいけないんだよ。お願いだから・・・。

        もはや何のために点滴をつけているのかWATには判断する力も能力もなくなって

        いった。その夜、夜勤をしていた看護師さんと悪戦苦闘し、長い長い酷い夜を越す。


●2007.9.29

        朝になり、少し熱が落ち着いてくる。

        41度まで出ていた熱が39度MAXになる。

        引き続き、熱が出ては解熱する、の繰り返し。

        身体中が激しく震えるほどの寒気の後には額に浮かぶ大粒の汗が流れ落ちる。

        こんなことを続けていて体がもつのか心配で、先生に詰め寄るものの

        投薬しつつ対処療法しかないとのこと。

        規則的に落ちる点滴に望みをかけながら、時間は流れていく。


        この時WATは現実認識があやふやになっていたし、なぜ腕にチューブがついている

        のかわからなくて取ろうとしたりしていた。

        日付、時間は聞いても答えられなかった。転勤のこともわからなくなってた。


        絶望、恐怖、このまま苦しみながら終わっていくのか。

        体が震えてくる、涙があふれてくる、耐えられず嗚咽の様な声をあげる。

        なぜwatoがこんなに苦しまなくてはいけないのか?

        なぜ私はこんなに悲しみで心が引き裂かれようとしているのか?


        そんな時、私の携帯が鳴り響いた。

        とにかくこの状況から目を背けたくて電話に出る。

        最初に診察してもらった会社が契約してる内科病院の院長からだった。


        私の携帯番号はおそらく会社から聞いたのだろう。

        何の件にかと恐る恐る話を聞いてみると。

院長
いまどこの病院にいるんですか?
ああ、そこじゃだめだ。
大学病院に話を通したから、すぐ転院して。


haru
えっ、どうしてですか?


院長
いや、来院した時検査したんだけど、
その結果が尋常じゃないんだ。
私もこんな数値今まで見たことがない。
すぐ大学病院にいって。

       救われるかもしれない。

       その院長の言葉に藁をもすがる思いで従う。

       大学病院へ・・・。


●2007.9.30

       watoはもう何も理解できなくなっていた。

       朦朧としたwatoをストレッチャーで救急車に乗せ大学病院へ向かう。

       暫くして大学病院に到着。


       なぜかこのとき、助かったんだ、という気持ちがしてまた号泣する。

       ストレッチャーで処置膣に運ばれていくwatoの意識はもう失われていた。




それから2カ月近く意識不明の状態が続いたようだ。

病院側からは、意識が戻っても誰のこともわからないでしょう。体はもちろん動きません。

全身麻痺です。入れる施設を探しておいてください。などと酷い言葉を投げつけられていたらしい。


面会の許された日には、子供たちが似あわない白衣を着て大声で叫び続けたらしい。

「お父さん起きて!」と泣き叫んだ。 

家族、親族がすべて泣きつくした。一生のうちもう涙が残ってなくらいに泣いた。


病気を発症して相当な時間が流れた。

もう覚悟をするにも十分な時が与えられた。

治療は最後の望みとしてステロイドの大量投与が行われた・・・。




意識が戻ってどうですかと聞かれても、

あの時は気道確保のために喉にチューブがついてて声が出せなかった。

それに体から沢山の管が出てて、もちろん手足は動かない。

家族の一様に不安げな顔が印象に残っている。


そのあと、とても辛い、生きてきて一番辛い時期を過ごすことになる。

それが解っていてもこの世に戻ってきたのかと問われると、・・・YES。

「どうして帰ってきたの?」

「いや、・・・もう自分の為じゃないから」


著者の広瀬 亘さんに人生相談を申込む

著者の広瀬 亘さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。