きれいでいるのがフツー幸せなのがフツーの私になる
①やっぱ離婚しよ、私を生きよ

そう決意したのは、28歳のとき。
運命の人とビンビン来て、家出同然に結婚したのは20歳
母との折り合いが悪く、正直いって母から逃げたい気持ちのほうが強かった。
夫はひとまわり年上。
きっと大人の男性で甘えられるだろうと、幼い頃に父と別れた私は期待を抱いていたが甘かった。
これ以上ないほど激しく深く愛してはくれたけれど、これ以上ない裏切りも受けた。
今、大人の私ならわかる。
夫は、分裂した自分を持て余していたんだろう。
自分の内に抱える葛藤を、自分の力で、意志でどうしても乗り越えることができなかった。
そんな夫を支えなければとも思ったけれど、それまでの生活で私は疲れ果てていた。
このまま、一緒にいたら、わたしはきっと病気になるだろう。
この確信だけはあった。
すべてに追い詰められていた状態だった夫に離婚を切り出すのは、相当な覚悟がいった。
殺されるかもしれない。
でもこのままいても、殺されるかもしれない。
私には、守らなければならない息子ふりたがいる。
緊張の針が最大限に振れないよう、言葉を極力交わさず納得してもらうまで時間をかけた。
私が望んでいることを、当然だと知ってもらうまで。
怒らせないよう
ヤケにならないよう
日常をなるべく淡々と過ごしながら、自分のこれまでの言動、そしてその結果である目の前の現実を冷静に受け入れてもらえるよう、自分から認められるようになるまで、息を殺しながら静かに待った。
離婚届に判子を押すとき、押せるのかなと心配するほど夫の手は震えていた。
夫が自分の感情をコントロールし、私への最後の愛を見せてくれた最後の場面。
離婚という目的を果たせた喜びと同じくらい、どうしようないくらい切なかった。
そしてどうしようもないところまで来てしまっていたこと、それも同時に知った。
離婚届を提出した帰り
私は大声で叫びたいくらいの喜びと哀しさを同時に感じた。
自由という解放感、ひとりになれた喜び
そして何かとっても大切なものとはぐれたような孤独感。
でもこの手にした自由
これはどんなことがあっても、二度と離さない。
そして自分らしく、自分の生きたいように全力で生きようと決意した日だった。
あなたの親御さんの人生を雑誌にしませんか?

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