30年前に他界した母からのメッセージが今届いたら・・

『ソネさ~ん、ソネマサヒロさ~ん、ご実家から緊急の電話が入っています』

どう呼び出されたのかは明確に覚えていないが、
大学を卒業し、富士ゼロックスという会社で研修を受けていた7月初旬の週末
厚木の宿泊施設(寮みたいなところ)で疲れて寝ていたお昼頃だった

母、危篤 
という知らせだった

その2週間前の日曜日
『ちょっと心臓が変みたいだから、病院で検査してもらってくるねっ』
いつもの明るい笑顔でそう言われ
当時、まだ50歳と若く、元気に仕事をしていたこともあり、
『あ、検査入院ねっ』 などと
私はあまり気にもせず、週明けの研修の場へと実家を後にしたのが最後

危篤の電話を姉からもらい、文字通りすっ飛んで入院中の病院へと向かったが、
時すでに遅かった
まだぬくもりを保っていた手を握りしめることはできたが
私は一言も母と会話をすることができなかった

誰を恨んでもいけないのだろうが
『もう少し早く、ほんの少しでも早く、連絡を受け取りたかった!』
その時も、30年経った今でも
その悔しさだけは忘れることはできない

多くの、いや、殆どの母親がそうであるように
息子である私は本当に可愛がられていた
不登校になってしまった時もあったが
そっと回復を見守ってくれていたし
世間的に非難されるような、いささか間違った事をしでかしても
母だけは、何故そんな事を私がしでかしたのか
その本質を見抜き、いつも私を守ってくれていた

時が経ち
神様は、私にも3人の子供をプレゼントしてくれた
一人は、ちょうど私が母を失った年齢にまでなった
あと二人も高校生と大学生
ほぼほぼ手がかからない年齢になってくれた

今、自分の子供達を見ていて、ふと思うのです
母は、どんな気持ちで姉や私を育てていたんだろう・・?
私には、どんな大人になって欲しいと思っていたんだろう・・?
私には、どんな人生を送って欲しいと思っていたんだろう・・?
私は、貴方にとって、どんな子供でしたか?
馬鹿野郎な子供だったでしょ?
でも、何か一つくらい、自慢できる子供でしたか?
私は、ほんの少しでも、貴方を幸せにできましたか?

本当に、そんな事を聞きたくなる年齢に
私もなってしまいましたよ、お母さん

俺はね、母さん
とても悔しかった30年前の初夏の午後・・・
俺と同じような悔しい思い
自分の子供達にはさせたくないんだよ
だから、少し恥ずかしいと思うような会話も
そろそろ、少しずつだけどね、子供達に話すようにしているよ

でもね
やっぱり、どうしても恥ずかしくて伝えられないことはあるね
今言ってもわからないだろう? ってこともあるしね
だから、子供達にはこう言っている
俺に何かあったら、伝心メールというサイトを見てくれ・・・と
俺はその為に、素人のくせにこんなの作ったんだからね・・・と

そして、やっぱり悔しい思いは繰り返す
30年前に母が綴ってくれたメッセージが
ようやく貴方の言う事が理解できるであろう年齢になった
今の私の手元に届いたとしたら
どんなに嬉しいことだろう・・って

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