家族の自殺をきっかけに自分の人生を丁寧に生きると決めた17歳の私。38歳に近づくに連れて心の整理を始めた話。

私がずっと抱いているテーマは家族である。

私の家族は両親と私・弟で構成されている。サラリーマンの父が、大阪まで1時間のベッドタウンに家を建て、私達を育てた。普通の夫婦が、普通に子育てをする普通の家族だが、ここに時々追加されるのが母方の叔母であった。都合により(主に叔母の主張により)、私達は彼女を姉さんと呼んでいた。大阪府警に勤めていた彼女は、日本初の【女性白バイ隊】に属していた。凛とした強い人である。私が生後2ヶ月の頃に、20歳前後だった彼女がひとりで私を連れて長崎まで帰省した話は、今でも語り草となっている。私が物心ついた頃、20代後半から30代にかけて、彼女は咲き誇るように美しく、憧れの存在だった。

 

彼女は、私が高2の時に死んだ。私の17歳の誕生日は、彼女を荼毘に付した日でもある。

彼女はずっと父(私の祖父)と折り合いが悪かった。家族に悩み、大学進学と故郷を捨て、大阪で就職した。人に好かれる人だったが、家庭を持つことを恐れて結婚はしなかった。その選択が父親との関係をさらに悪化させた。38歳、彼女は沖縄の海で見つかった。漁船の乗組員が発見したとき、彼女の体はまだ温かかったという。

家族が育てた命が、家族を理由に命を絶ったことが私には衝撃だった。幸せを固めれば家族という組織になると信じていた私にとって、人生を変えるに十分な事件だった。

忌引きがあけ、提出が迫っていた進路希望用紙に心理学と書いた。当時、日本には独立した学部がなかったが、中京大学が文学部を改組して心理学部を新設すると知り、入学した。さらに家族に特化して学ぶため、大学院は立命館大学へ進んだ。

家族をテーマに勉強していたが、ずっと家族が分からなかった。自分の身の回りのこと、法律や経済は勉強するための○○学があるのに、家族学がないことが今でも不思議だと思っている。人の育て方や家族の機能について学ぶ機会は、なぜないのだろうか。

 

2016年夏。私は突然、人生を振り返るために、実家へメールをした。両親で私の写真を選んで送って欲しいことを伝えた。自分の小さいときから今までを、ただ振り返ってみたくなったのだ。父からの返信には、「かわいすぎて選べませんでした。小さい頃もかわいいですが、今が一番かわいいです。思い出がありすぎて選べませんでした。使う状況が分からないのですが、オチになる写真は必要でしたか?あと、あえてお姉ちゃんの写真は、外しました」。

両親の気遣いがありがたかった。しかし私はその時、彼女と笑う私の写真が一番欲しかった。そして、この両親の間に生まれた事、その幸せを感じることが出来ただけで、自分の人生を振り返る作業の大半が終わったような気がした。

このメールを受取り、写真を見ながら私はこの文章を書き上げた。そして、私の人生は少し変わったように思う。

先月、家族で石垣島へ行った。穏やかな夜、みんなが寝静まってから父が言った。「星を、見に行こうか」。

父と共に従業員用階段を上り、フェンスを越え、ホテルの屋上へ出た。やんちゃな父と、ついていく私の構図は今も昔も変わらない。エアコンの室外機が並ぶ屋根に寝転がり、ふたりで星を見た。

話し始めるには時間がかかった。「この間、写真送って欲しいって言ったやんか?あれな、何に使ったと思う?」

 私は、この文章をかいつまんで、父に話した。

父は私がびっくりするほど声をあげて泣いた。

そして何時間も、姉さんの話をした。初めてのことだった。

 

私は17歳の時「38歳になった時に、私を必要とする人間がいなかったら死のう」と決めた。私が生きることはカウントダウンだった。

20年だと思っていた人生も残り7年。やっと生きる覚悟ができた。

38歳になって私に支える家族も守りたい人もいなかったとしても、死ぬことが答えではないと、最近ようやく思うようになった。死んだつもりで別の人生を歩けばいいし、1人でいることは絶望じゃないと言えるようになった。

肩の荷が下りた。

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