夢はいつまでも --働きながら大学院にいく--

人生には色々な道がある。

あの時、ああすれば良かった。

と後悔する事もある。でも、過ぎ去った時間は戻ることはない。私たち人間は前に向いて進むしかないのだ。


私が大学院に行きたいと思ったのは大学 工学部の4年生の時であった。

すでに就職が決まっていて、卒業研究の論文の提出だけが残っていた時期である。


卒業に必要な授業の単位はすべてそろっている為、出席する授業はない。だが、卒業研究の論文を作成するにあたり、初めて研究という分野に興味が湧いてきたのである。

大学院に進学して、もう少しだけ勉強したいという思いだけが募ったものの、月日だけは過ぎ、悶々としている日々を送っていた。

担当の教授に

大学院に行って勉強し博士号が欲しいんです。

そんな事を話した事もあった。


教授は笑いながらこう言った。


教授
大学院に行かなくても、論文を三本書いたら博士号をやるよ。
えっ?大学院に行かなくても博士号が取れるんですか?
教授
行かなくても取れる。
僕、やります。


いわゆる「論文博士」というやつだ。もちろん、教授は私の言葉など本気にはしていない。私が有頂天になってしまっただけの話だ。


でも私は、その言葉を信じ大学を卒業し、とあるIT企業に就職した。


工学部を出て、多少の知識があったので仕事はバリバリやるつもりでいたのだが、打ちのめされる毎日を送っていた。上司には毎日のように叱られ、罵声を浴びせられた。あまりの罵声に表情には出さなかったが、心が涙で溢れる時もあった。

でも一方で、大学を卒業する時の教授の言葉を信じて過ごしていたので、いろいろな意味で気持ちが折れる事はなかった。


僕は負けない。必ず博士号を取る!


結局その会社での仕事は数年でやめる事になった。仕事では結果を出す事ができなかったけど、着実にITの知識が身についてきている事は実感できていた。


その後結婚し、落ち着かないといけないというのに、数年でIT業界で数社ほど転職した。転職が多い事自体は自分の中でコンプレックスになっていた。子供も生まれ、私は30歳になっていた。

自分自身は、その時その時で、いろいろな理由があり転職したのだが、

僕は一つの所で長く勤められない人間なのか?

と不安を抱くようになった。同時に、一向に進展しない博士号取得への道にももどかしさを感じていた。

大学卒業時に教授から聞いた

論文を三本書いたら博士号をやる。

この言葉を信じていたものの、いったい何をしていいか分からないのだ。

そんな時、通信教育で大学院の修士課程が開講される事を知った。私は、そのニュースを見た瞬間に小躍りした。

大学院に行こう!

そう決心した。


通信教育の大学院とはいえ、結構な授業料はかかる。結婚して子供もいる自分にはポンと出せる金額ではなかった。しかし、ラッキーな事に「正科生」としてではなく「科目修得生」として入学し、単位を取得していけば、卒業に必要な「正科生」になった場合、その単位を認めて貰える事だった。


私は、少しずつ単位を取得していく事を選んだ。大学院の修士課程は卒業(終了)まで30単位必要で、そのうちの8単位は修士論文の単位である。だから22単位を授業で取得しないといけない。


この22単位を1年間に2~3科目ずつ取得していった。講義はCDにしたものを通勤途中の車の中で聞き、半年毎に単位認定試験を受けていった。

私は31歳の時に転職した会社で仕事を続けながら、4年かけこの22単位を取得した。22単位取得した時は、まるで大学院を出た気分になった。単位認定試験が終わった直後のあのすがすがしさは何とも言えなかった。一方この頃は、勤めていた会社が自分の性にあっていたのか、順調に過ごしていた。


これで、あと修士論文だけ・・・。

ここから1年半の空白期間ができる。

もういつでも取れる。

こう考えると前に進まないのだ。いったい、いつになったら卒業できるんだ?

これでは、ダメだ!

と思い直し、今度は正科生となる為、大学院の入試を受験した。1次試験は、専門科目試験、英語、2次試験は面接があった。


試験終了後、1ヶ月たって12月になった。僕は合格していた。大学院生になれるのだ・・・。

4月が待ち遠しかった。早く大学院生になりたかった。


そして、待ちに待った4月がやってきた。私は入学式とガイダンスに参加した。

自分のゼミのメンバーと初めての対面。そして指導教員との話である。私のゼミのメンバーは16人。大学院に入学して注意や心得なんかを聞いた後、担当の教授から思いもしない言葉を聞いた。

教授
では、みなさんの研究の進捗状況を教えて下さい。
えっ?

私は思わず自分の耳を疑った。今日は大学院の入学式。そしてガイダンス。そんな日に自分の研究の進捗状況なんてあるはずがない・・・。

ところが、私以外のゼミ生のほとんどは、自分の研究している内容、思いを語り始める。私は焦った。入学願書の為だけに記入した、「研究計画書」を記憶の片隅から思い出していた。自分の発表はしたが、シドロモドロになって、しょうもない事を言ってしまった。


このガイダンスに参加した事は大変有意義だった。

勉強しないと!

と私の心に火をつけたのである。

帰ってからは、図書館に行き参考文献やら資料集めを中心に勉強を始めた。過去の先行研究なんかは色々と調べて、どんな事を書いているのか読んでいった。

ゼミは1ヶ月に1度、関東で開催されている。しかし、四国 徳島県在住の私にはなかなか交通費が捻出できず、参加できずにいた。


ゼミに全く参加できない日々に少々焦っていた。初めて参加できたのは12月だった。そして進捗の発表。なんと、トップでの発表だ。ガイダンスに参加した時と同様、シドロモドロになって、発表した。同じ修士課程の1年生のしっかりした発表に打ちのめされた。まだまだ頑張らないといけないと思ったゼミの参加だった。

結局、修士課程1年目のゼミに参加できたのはこの1回だけだった。


大学院に入学して1年がたった。後1年で私は修士号を取得できる。そう考えたら嬉しくなる。4月もゼミに参加した。前回12月のゼミで要領はつかんでいた。発表もスムーズに出来た。もちろん、私の研究には突っ込みどころは満載だった訳だけど、参加出来てよかった。教授からいろいろ指摘やアドバイスを貰うと、自然とモチベーションが上がってくるのだ。


このモチベーションの高さがゼミに参加する意義なのではないかと思った。


続いて6月にもゼミに参加した。なんと、このゼミは四国、高松で開催された。徳島県在住の私には、こういった近場で開催されるゼミは本当に助かった。ゼミを午前中で終え、教授の研究である場所を訪問した。自分の研究とは全く関係のない体験であったが、

教授
研究は足で稼ぐのだ!!

という教授の言葉を体験でき、大変有意義なゼミであった。


ただ、修士論文は進まなかった。まだ時間があるなんて甘えがあり、9月20枚、10月20枚、11月10枚で計50枚。これくらい書ければ十分だろう。そんな簡単な思いがあった。ある程度書いた状態で、11月のゼミに参加した。これが正真正銘最後の大学院のゼミである。

だいぶん、書けたなぁ(^_^)

と思いながら11月のゼミに望んでいたのだが、またもや打ちのめされる事になる。この部分は盗作になる。この書き方は悪い。何を論じているか分からない。

おいおい。修士論文の締め切りまでもう1ヶ月もないよ。

とにかくゼミから帰って、すぐに指摘を受けた部分を直して、教授にメール。修正してメールと、ほぼ最後の1ヶ月は、仕事が終わると修士論文を書く事に専念した。なんとかギリギリの12月16日に宅急便で提出した。


修士論文を提出してあとは口頭試問を待つのみとなった。口頭試問は年が明けてすぐ、1月15日である。発表は15分、質疑応答15分の計30分が自分に与えられた時間である。のんびりとした時間が流れた。もうすでに気分は卒業して修士号を取得した気分である。口頭試問をなめきっていたのである。


口頭試問1週間くらい前から、どの部分を発表するのか、論文を削り始め、発表当日の資料を作り始めた。この作業は意外と面倒で、15分でまとめようとすると、結構たいへんである。60ページ位の内容を少しずつまとめ、1月14日、前日にやっと提出する事になる。あとは口頭試問を受けるだけだ。良くても悪くても、なんとかなるだろう。こんな思いが少なからずあったのだ。


口頭試問当日は、11時50分に会場に集合で、12時からが自分に与えられた時間である。当日は5時半に起きて、徳島発7時30分の飛行機で東京へ向かった。

羽田空港で降り立ち、モノレール、電車と乗り継いで、口頭試問会場を目指す。開始1時間前に到着した。簡単に食事を済ませたあと、図書館の静かな空間で、口頭試問のシュミレーションを行い、頭の中でイメージを完成させてから、集合場所の部屋へ向かった。


集合場所は会議用の部屋であった。教授の他、同じ2年生と1年生のゼミ生が集まっていた。何度かゼミで会っていた、数名の方とたわいもない挨拶をすると、すぐに口頭試問の開始時間になった。


なんと私は口頭試問のトップバッターとなっていた。私はこのトップバッターが苦手である。なんせ、前年の口頭試問を見学していれば、勝手がわかるのだが、どうやって発表をして良いのかも分からない。しかし、そんな余裕もなく、発表が始まったのである。


緊張はしていたが、事前におこなっていた、シュミレーションの通りに発表をする事ができた。アッと言う間であった。そして、先生の質疑応答が始まる。まずは副査の先生が色々と聞いてこられたのだが、全くうまく自分をアピールできなかった。同時に主査の先生にも色々つっこまれたが、やっと質疑応答にも慣れてきたという事もあり、ある程度は答える事ができた。


しかしながら、修士論文の考察が足らない等、いろいろ指摘を受けたのである。でも修士論文は提出している。

今更どうしたら良いのだろう?

という疑問がでてしまった。とにかく自分の順番は終わったのである。私に与えられた時間は終わってしまったのである。


後は優雅に他のゼミ生の発表を聞くだけである。自分の席に戻り、次の発表者の口頭試問が始まった。私は途中で退出し、休憩を取ることにした。私に与えられた時間は終了したのだ。実はもう帰っても良いのだ。しかし自分のけじめとして、ここで帰る訳にはいかなかった。修士論文の発表者は、私を含め、7名くらいいたように思う。それらが終了する頃には、午後4時を回っていた。


これで正真正銘の終了なのである。終わった後、教授から今日指摘された所を修正して、郵送するようにとの指導が入った。

えっ?郵送?これで終わりじゃないの?

単純に私はそう思ったのだが、他のゼミ生も同様に思ったみたいだった。

口頭試問が終わった後は、教授とゼミ生との懇親会が開かれた。私はこの2年間で初めて参加した。いつも行きたかったのだが、日帰り東京という事で、時間が取れなかった。懇親会では2年生も1年生もない。楽しい時間を過ごした。これだけ楽しいと思えた懇親会はなかなか無かったなぁと思う。

懇親会が終わったらもう8時であった。東京駅で中学時代からの親友と待ち合わせをし、夜中まで酒を飲んだ。寝付いたらもう、夜中の2時になっていた。


翌日は新しい東京タワー、浅草のあたりを観光して、午後3時の飛行機で徳島へ帰った。気分はすっかり卒業である。ところが、1月17日の夜遅く、教授からメールが届く。1月25日までに口頭試問で指摘された部分の修正・加筆を行い先生に再提出するようにと。しかも、この再提出は単位取得の条件であると。


まさに

OH! MY GOD!

の状態。その日から1週間、自分の論文とにらめっこが始まった。考察・考察・考察。家族サービスをしていても考察である。


そして、1月24日にやっと教授から「OK」の連絡を貰った。後は神のみぞ知る修士論文の合否だけだ。

結果が出るまでの1ヶ月間はものすごく長かった。こんなに時間というものはゆっくりと流れるものなのかと思う日々だった。そしてついに・・・。


やった!合格だ!!

 私は口頭試問に合格していた。すべての力が抜けた。3月20日の終了式に出た。学位記をもらうと


これが欲しいが為に、頑張ってきたんだなぁ。

と感慨深いものがあった。私の大学院生活は終わった。


この間、転職をする事もなく仕事は順調に続けていた。上司になった方が自分と合っていたのも大きかった。仕事が順調で生活できていた事も、大学院を最後まで完遂できた事の大きな要因だ。

しかし、大学院を出たからと言って、その生活に変化がある訳もないし、恩恵も受けることはない。また、それを期待している訳でもない。

じゃあ、なぜ大学院なんかにいくの?

それは損得ではない。他人との比較ではなく、自分自身の心が納得できるかどうかなのだ。人生は1度しかない。未来の自分に問いかけた時、「あの時、やっておけば」と後悔する事が想像できたら、挑戦してみればよいのだ!

通信教育での大学院生活であったが、師と呼べる先生に出会えて、充実していた期間だった。一人では書けなかった修士論文であったが、書き上げたあの充実感は一生忘れる事ができないだろう。


20代の頃に憧れた「博士号」という夢はまだ達成していない。私の夢も過ぎていく時間と共に形は変わっていっているが、まだ途中。これからの人生を全力で生きていきたいと思う。



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