おばあちゃんのドライバーは早稲田卒

そんな経緯で入社した外郭団体だが、この団体は特殊法人という事業形態をとっている。特殊法人とは1950年代から1960年代にかけて政府が行政目的を遂行するために次々と設立した中央官庁の外郭団体のことである。現在は廃止されてなくなったり独立行政法人に形を変えて残っている団体など全部で100近くある。よく知られたところでは日本道路公団、日本住宅公団(UR)、宇宙開発事業団(JAXA)、国際協力事業団(JICA)、日本中央競馬会(JRA)などがある。
私はそうした特殊法人の中でも事業規模が140人程度の世間的には全く知られていない小さな団体に就職したのである。その団体は先の民主党政権時の事業仕分けで国際型と分類された。なぜ国際型かというとその団体は海外事務所を15箇所ほど持っていたからである。これまでの人生でいろいろなものを最後までやりとげることができず、全部中途半端に終わってしまった私だが、なぜかこの団体には約20年間勤務した。もともと対人恐怖の私がなぜそのような長きに渡って勤務を続けることができたのか。それは正直な話をすると団体の雰囲気がとてもゆるかったからあろう。経営層は天下りで出身官庁の方ばかり見ていて、そもそもプロパーの仕事など関心がなかったのではないかと推測する。しかし、この他人任せ的経営層のおかげで人間関係が濃くなく、長期間にわたってやり過ごすことができたのだと今は思う。天下りを批判する向きもおられるが少なくとも私にとってはそのほうが楽だったと言える。英語力が必須なその団体になぜ私が入社できたのかは今もって謎である。ただ入社してしばらくして、ある先輩から「あの作文良かったよ。」と入社試験の日本語の作文を褒められたことがあったのできっと日本語で採用されたのだろうと今は思っている。とはいえ就職した時点で将来(おそらく30歳前後)海外赴任することが100%分っていたので苦手な英語を何とかしなければならぬと思い20代半ばの頃、水道橋にある英会話専門学校に通った。最初のクラス分けのレベルチェックテストの結果は中級レベルだった。40代でこの団体を辞めた時点のTOEICスコアが715点だったので英語力についてはほとんど変わらなかった訳である。そんな私も30代前半から40代前半にかけて2つの海外事務所に勤務する経験を得た。ここからは私の人生の転機となった2つの海外駐在の話をしよう。

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