リストラ危機をきっかけに渡米。その後ニューヨークで会社を立ちあげ永住権を取得するまでの6年間

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「1週間後にミーティングで発表します」


2008年4月に新卒として入社した会社でちょうど一年が経とうした時、緊急ミーティングが行われた。リストラ対象者を一週間後に発表するという内容だった。2008年と言えばあのリーマンショックが起きた年。コンサルティング業を営んでた会社は上昇トレンドから一気に傾いた。全国に支社があり自分は名古屋配属だった。同期と帰り道に王将に駆け込んだ。気を落す同期を見ながら、「60歳になってこの時を振り返ったら絶対おもろい経験になってるやろな」と俺は言った、ようだ(後で同期に言われた)なぜか無駄にポジティブだった。


即戦力ではない1年目の社員がメインのリストラ対象になることは誰もがわかっていた。悔やんでも仕方ない。たらふく餃子を食べたその夜には次の行動に移った。転職サイト、留学会社を片っ端から検索した。そしてリストラ発表までの一週間で転職会社5社、留学会社5社を回る。いろいろ話したり聞いたりする中で転職は違うなと思った俺は、まずは世界で見聞を広げに行くかとカナダのワーホリを決意する。


そしてやってきた一週間後の運命の面談。この日同期の半分(全社員の3分の1)はワークシェアという名のリストラになるのだが、自分は残される側だと通告された。ある意味ふっ切れた気持ちで臨んでいた自分は複雑な気持ちだった。海外に心を決めてた自分、そして名古屋支社での同期はこれで俺一人になるという現実。同じ名古屋配属だった3人の同期のうち2人は会社を去ることになったのだ。色々な思いを抱えながらも就職してまだ一年、まだ会社に恩返しができてないと感じていた自分は会社に残ることを決意し、カナダワーホリの手続きをキャンセルすることを選ぶ。


少しこの会社の説明をすると、当時一斉を風靡した人材コンサルティング会社。ベンチャー起業とはいえ、名だたる大手企業の内定を蹴り入社してきた有名大学出身の優秀な同期たちで溢れていた。2017年の今、その同期35人のうち3分の1は社長か役員以上になって各地で活躍している。ちなみに僕はこの会社のことを全く恨んでいないし(当時も)こういった優秀な仲間に巡り合えたことを今でも感謝している。


残留が決まった後の1年半ガムシャラに働いた。でも一度海外を決意した自分の気持ちを消すことはできなかった 。そしてちょうど入社してから2年半が経ったとき退職の意思を伝える。ワーホリ、語学留学、インターンシップといった海外留学手段、オーストラリア、アメリカ、ヨーロッパ、カナダといった国々、いろいろな選択肢の中から最後に選んだのは、ニューヨークでの有給インターンシップだった。


語学学校に行くには金がいる。でも貯金がない。アメリカに行きたい、でもワーホリがない。その制約条件から導き出されたのが、「ニューヨークx有給インターンシップ」というプランだった。ニューヨーク、当時の俺はその響きだけでテンションが上がっていた。世界に見聞を広げに行くには、世界中から人が集まるニューヨークが一番手っ取り早い。しかしニューヨークには1ミリも興味のない不動産会社の募集しかなかった。ロスには興味のある仕事があった。悩んだ。やりたいことをとるか、行きたい場所をとるか。そして俺はニューヨークを選んだ。それぞれの都市にいる自分を想像したら、圧倒的にニューヨークがワクワクしたからだ。理由はいくらでも後付けはできるが、はっきりいってほぼ直感だったと思う。


早速ニューヨークの不動産会社に申し込みスカイプで面接をすることに。そこで面接では日本語半分、英語半分だと聞かされる。まじか、全くしゃべれん。TOEIC500点くらいしかない。何より外人と話したこともない。そこで考えた。丸暗記しよう。早速 想定質問を予想し、それへの回答を日本語で準備することに。Lang8というサイトで英語を添削してもらい、その文章をひたすら暗記。ただひたすら暗記。そしてレアジョブを使いフィリピン人とひたすら英語での練習、練習。


そしていよいよ迎えた当日、緊張しながらビデオスカイプをつなげることになる。マンハッタンに本社を構える敏腕社長とまず日本で半分面接。志望動機や過去の経歴などを伝える。そしていよいよ英語の質問。


当たった!予想質問がことごとく当たったのだった。もちろん若干の問答があり、やばい時もあったが何とか乗り切った。結果100人以上の応募からあなたを選びました、と本当かどうかわからないがそう言われ何とか合格。3ヶ月後の2010年の年末からニューヨーク行きが決まる。


ニューヨーク行く前に日本を経験しておこうと、日本一高い富士山を一人で登り、日本一のバンジージャンプを群馬に飛びに行ったり、ハワイに一人で行きドミトリーで外人と触れ合う練習をしたり、ととりあえず動く。無駄に動く。そして迎えた12月31日、前日に主催した高校の同窓会の流れから、同級生に見送られいよいよ旅立つ。年越しはタイムズスクエアと決めて。だがその夢はすぐに崩れさることになる。




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