おばあちゃんの時計の向きを変えたとき、私の人生が変わった


2000年。20歳の私は、カラコン、鼻ピアス、厚底サンダルで老人ホームに出勤していた。ひょんなことから働き始めた、中野の特別養護老人ホーム。なんとなく人の為になることをしたくて、深い意味もなく選んだ老人介護の仕事。食堂でほとんど動かず椅子に座るお年寄り達が、ムーミン谷のニョロニョロに見えた。資格も経験もないので、最初は洗濯婦として働いた。

当時の私は、高校生の頃からずっと大人嫌いだった。短いスカートとルーズソックスを履いているだけで、大人と呼ばれる人達から疎ましそうに見られ、学校の先生と呼ばれる人たちからも見下されていた感がある。真面目な両親は、私を問題児としか見ていなかった。大人=怒る人、軽蔑の目で見てくる人、威圧的な人、つまんない人etc..でしかなく、別世界の生き物として距離を置いていた。

最初は、老人ホームの仕事自体が面白かったのかも覚えていないけど、同年代の同僚が多く、お喋りしたり一緒に出掛けるのは20歳らしく楽しかった

ある日、個室でほぼ寝たきりの生活を送るYさんの部屋の前を通り過ぎたとき、ベット横の台に置いてある小さな時計が、廊下の方を向いていることに気が付いた。これではベットに横になっているYさんは時間が見えないだろうと思い、部屋に入ると時計の向きを変えた。

「ありがとう。」

無表情のまま遠くを見つめ、小さいけれどはっきりした声でそういったYさん。一瞬驚いて動けなかった。かなり弱っていて、普段言葉のほとんどないYさん。正直、時計がちゃんと見ているのどうかも怪しかった。大人からありがとうと言われるなんて、そういえばずっとなかった。たかだか右手の指二本を使って、時計をちょっとひっくり返すたった1秒足らずの行為。そんななんでもないことに対して大人から、なんというか大人以上の人から感謝されてしまった。純粋に嬉しかった。頑なだった大人嫌いが溶けた瞬間だった。ダメ人間だと言い聞かされていた自分が、ちょっとのことで人の役に立ってしまった。ダメ人間→生きていていい人間へ、自己評価が変更された。

またある日、Aさんというおばあちゃんのタンス整理を手伝っていたときのこと。Aさんはいつも愛想笑いをして、職員や入居者たちに気を使っているところがある人だった。服をたたみながら、私が何か自虐的な冗談を言ったとき、Aさんが声を上げて笑ったのだ。いつもの愛想笑いでなく、本当に楽しそうにしばらく笑っていた。そのとき、自分がバカなこと言ってこのおばあちゃん達が笑ってくれるなら、私はバカでいいと強く思った。

人間の日々は、起きて、仕事して、お金使って、食べて、うんちして、寝るの繰り返しで、結局その人がいてもいなくても世界は変わらない。きっと特別いいところにもならないし、もしかしたらちょっとの環境汚染で悪いところにしているのかも知れない。一瞬でもいい、誰かを自分の人生の中で幸せにすることができたのなら、それは生まれてきた意味に十分なり得ると、私は思う。

もうひとつ、鮮明に残る、おばあちゃんとの辛かった記憶がある。Kさんというものすごく小さくて可愛らしいおばあちゃんは、体が弱っているのに人に迷惑をかけたくないと、職員に対して助けを求めず何でも自分でやろうとするおばあちゃんだった。ある日自分でトイレに行ったものの間に合わず、トイレの床を便で汚してしまった。トイレの中で何やらごそごそ音がするので声をかけてみると、Kさんが自分でそれをなんとかきれいにしようとしていた。転倒してしまうのかもしれないので慌てて手伝うと、Kさんは泣き出し、

「ごめんね。汚いでしょ。こんなことも一人でできなくなっちゃって、情けないよ。」

小さい皺しわの顔を、さらに小さくくちゃくちゃにした。私も悲しくなり、一緒に泣いた。励まそうと思ったけれど、介護の勉強をしたわけでもない私はどう言ったらいいのかわからず、

「全然大丈夫だよ。私、Kさんのこと大好きだから、全然気にならない!」

と、お粗末に言うのみだった。このときどう言うべきだったのか、その後ずっと問い続け、それが社会福祉士の学校に行き、ちゃんと勉強することにつながったのだと思う。もう17年も前のことだけど、この時のことを思い出したり、話したりするといつでもどこでも100%涙が出る。仕事の面接でも2,3回は泣いてしまった。そして今も書きながら、ティッシュ6枚消費した。説明はできないけど、奥底のどこかに触れるものがあるのだと思う。

老人ホームのおじいちゃん、おばあちゃんたちからは人生を学んだ。本当に、ここには書ききれないほど。人は生きたように死んでゆく。そんな一言では片付けないでほしい。お年寄り達の生き様、死に様はもっと複雑で豊かである。

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