第3章 軌跡~600gの我が子と歩む道 2

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周りのお母さんからは、「どうしたの?」と声を掛けられることが多く、その度に2人の事や学校とのことを話さなければならない。気が重くなる毎日のプール。でもこの場所に慣れていくためには、この努力は不可欠だ。実際プールに入り子ども達の様子を観察していると、今二人は集団の中でどういう位置づけにあるのかがよくわかる。ショックを受けることは多くても、ヒントも見つかる。


唯一学校で安心なことは、隣の6年生の女の子が、小さなころからよく2人の面倒をよく見てくれる優しい女の子だということだ。両親が小さな頃に離婚し、一人っ子でお父さんと二人暮らし。Nちゃんのことはいつも気がかりで、よくおかずを作っては持って行ったりしていたので、2人もNちゃんが大好き。学校でトイレに付き添ってくれたり、帰って来ると自転車の練習に付き添ったり、サッカーをしてくれたり、勉強を見てくれたり。一緒にお料理をつくることもしばしば。年頃になると、お父さんには聞けないことを私に聞いてくれることもある。Nちゃんのお蔭でこんな2人でも学校で孤独ではない時間があることがありがたかった。

今年のお盆は、地元の役員をやっていて行事の運営があり、故郷の両親に会いに帰省することが出来なかった。細々だけれど、二人で老々介護をしながら静かに暮らす日々に安堵していた。


仕事にも少し慣れてきたある日の出来事。短大の実習生が入ったのだが、軽度な発達障害を持った方との事。あるクラスのベテラン先生が放った一言に私が深く傷ついた。「何とかしてくれよ!あの実習生。子供にも拒否されるくらいなんだから。」と陰で罵倒していた。Aも将来こうなってしまうのかとまるで未来予想図を見せられているような気持ちになった。

そして、こんな気持ちが弱っている最中の病院受診で「Aちゃんは学習障害を併発しているかもしれません。そうなっても不思議がありません。心配な事があればいつでも受診してください。場合によっては、薬物の投与をして本人の学習意欲を高めていきましょう。」と言われた。そんなこともあるんじゃないかと分かっていたけど辛すぎる。

そのころカウンセラーの学校での授業内容は、仲間同士の中でカウンセラー役と話し手役どちらも経験していく学習に入っていた。私はとにかく色々を吐き出さないと限界だったのだろう。話し手役をすると号泣し止まらなくなる。私に巻き込まれて泣いてしまった仲間は怒られてしまったけれど。仲間がいるってあったかい。秘密を守って吐き出せる場所があることは、私にとって最高の救いだった。

夏休みが終わるとすぐに参観日。足取りが重くなる。気持ちが落ちているときは、お母さん仲間の中に入っていくことさえしんどく感じる。懇談会での話は運動会のことだった。参観日のAの様子を見た後の落ち込みに更に輪をかけるように運動会の話で気持ちが落ちていく。

体育は泣いて授業に参加しないことが多いA。不器用で身体の使い方が下手くそ。視力にも問題があり、ボール競技は苦手。暑さ寒さも大の苦手で、暑いだけでばてて練習にならない。校庭には大好きな石がごまんと転がっていていじりたい誘惑がごろごろ。一人だけ際立って出来ないAを一日目の当たりにするかと思うと、もう私には限界を通りこし耐えられないことだった。

「先生、私運動会はものすごい気持ちが拒否していて行けそうにありません。自分が壊れてしまいます。」

そう連絡帳に書いた。先生は否定せず私の気持ちを受けてくれた。時間がありますから、ゆっくり考えましょうと書き添えて。

運動会当日には、カウンセラーの学校の登校日。言い訳を残したかった私は、休みをとっていなかった。すでにTには「パパ一人で行って欲しい。」と伝え、Bには「お母さん、学校があって行けないと思う。」と伝えてあった。ココロガイタイヨ。コンナヨワイココロノオカアサンデゴメンナサイ。

もし本当に行かなければ、もしかしたら私は6年間、運動会に行くことはないかもと思う恐怖心。もし頑張って行ったとしたら、その場にいられたとしても自分の限界を越えてしまうかもしれないと思う恐怖心。心の中で戦ってた。夜考えすぎて体に蕁麻疹が出てしまった。

それからの毎日、連絡帳には全力で先生に行きたくないをぶつけた。ぶつけるところがそこしかなかったからかもしれないけど。

Bが真剣に机に向かって何かを一心に書いていた。








初めて障害名をクラス懇談で話す。少しずつ理解者が増えていく。


眼底出血。緊急手術。未熟児網膜症の毛細血管の破裂による出血。視力が殆どでなくなる入院付添。


2年


震災。妹夫婦の弟さんが職場を失う。親戚も被害にあう。

そんなさなか妹が離婚。シングルマザーのヘルス嬢と付き合っていた夫。それでも信じる妹。泥沼の離婚劇。


手術付添の疲れで全身じんましん。

再度の目の手術。学校での生活の制限

障害を理解してくれる仲間との出会い。6年まで続く5家族でのキャンプ。

3年

老々介護の父が脳梗塞で倒れる。母は施設に措置入所。父が半身麻痺に。

トレーラーで暮らしながら付き添い。


網膜剥離。手術。視力は光のみ感じるだけに。


妹の再婚

友だちの家のデッキを作る。2ケ月毎週通い協力して出来たデッキ。

4年

さらに差は大きくなる一方。担任が代わり、支援級から原級での時間を増やすことに。

登校拒否気味に。周りとの違いを感じるように。担任が2回変わる。臨時の教員。どうつきあったらいいかわからない。二人三脚で子どもを支える。

空手との出会い。

周りの子ども達から理解をされず苦しむ。意地悪をする子どもも

紙芝居にして、子ども達に特徴的な行動について理解をしてもらえるよう考える。


登下校の付添を辞め、行事への付添も、事前に予告や疑似体験をすることで自立を促す。

父と母の新しい生活スタイル。

5年

仕事が週5日に。

サイパン家族旅行&新婚旅行


6年

母が亡くなる。

犬を飼う。

友だちが出来ない。うまくコミュニケーションが取れない。悩み。


卒業。謝恩会での孤独

中一

いじめ


父が台風で被災。半身まひで流され奇跡的に救助。家がなくなる。

アレルギーで犬が飼えなくなり手放す。


全ては、12年間で書いた160冊の日記帳の中に。
































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