【スマホ人間】無くしてはじめて知る依存

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友人Aはそのイベントで歌いたいとのことでピアノを弾ける人を探していた。


ピアノときいて、すぐにQが浮かんだ。

Qという子がいる、とは伝えてしまったが

2年前から不義理をしていたし、AとQの音楽は相容れそうになく、

それぞれにその好みが変わる様子もなさそうだったので、はじめは断った。


しかしAはだいぶんとしつこかった。


ということでわたしはしぶしぶQにLINEをしてみた。


すると、Qはそのイベントに別の形態で参加することがわかり、Aは諦めた。


近々彼が所属しているジャズバンドのライブがあることを知り、声をかけた手前、私は出かけていった。


ライブはとても良いものだった。

彼のバンド以外はプロというような話もきいたが、わたしは彼のバンドの演奏に感動した。


帰りに、Qにささやかな花束を渡すと、後日のイベントでお返しにハンカチをくれた。


その後、Qは例のグループ関係の悩みをきいてくれたが、私は突然の入院で音信不通になってしまった。


彼からすれば、2回目の音信不通である。


久々に会ったとき、私はまだ入院中で

彼はダニエルウィリントンの白い文字盤の時計をしていた。


それをほめると、黒い文字盤の方もほしい、ということだった。


同じ種類の時計の色違いを欲しいなんて、すごく変わっていると思ったと同時に

私も腕時計がほしいな、と思った。


私の病室には時計がなく、困っていたのだ。

それにその腕時計はすてきだった。


それで病院に帰る前に一緒に買いにいった。


ダニエルウェリントンの黒はなく、代わりに私はクラッセ14の黒い腕時計を買った。


私が退院してからも、今でもときどき、まだ、彼はダニエルウェリントンが黒い文字盤の腕時計が欲しい、と言っている。


ほんとうに、そこだけ、よくわからない。

とくに無くしてもいないのに。


私の退院を待たずして私たちは付き合うことになった。



退院前に手に入れたのは腕時計だったが

退院してすぐに欲しいと思ったものがデジカメだった。


それからすぐにヨドバシカメラでソニーのサイバーショットを買った。

ちなみにスマホカメラとの機能差はズームができることくらいだ。


中学生のころ携帯電話に、広告会社を辞めるときにスマホに、出会うまで

私は時計もカメラも嫌いだ、と思っていた。


いや、違う、今でも好きかどうかは疑わしい。


でも、スマホ断ち、という私の個人的プロジェクト発令中のこのタイミングで

時計とカメラを欲しいと思ったことは不思議に思う。



私にとってスマホとは何だったのか





腕時計とカメラに関しては思うところがある。


腕時計に関しては、物理的に腕まわりになにかをくっつけている、ということがまず苦手であり

心理的な面では時を「忘れさせてくれない」ものだ。


楽しいことはいつも、時を忘れさせてくれる。

私は小学生のころから思っていた。

それはおそらく、ひっきりなしに習い事をしていたことも関係するかもしれない。


中学生のころ、教科書で出会った辻仁成さんのエッセイの中で

「自分は時間にとらわれたくないので腕時計をしない」というようなことを書いているのを見て、

これだ、と思ったのかもしれない。


しかし、携帯電話をもつようになり、特に好き嫌いの感覚が消えていった。

時間を携帯しているのではない、電話を携帯したら時間がついていた。



カメラについては、スマホをもった当初すぐに便利だと気づいた機能だった。


私はもともと写真を撮ることも撮られることも好きではなかった。

レンズを向けられると何か特別なポーズを採らなければという気にもなる。

それが面倒だったし、勝手に世の中のものを撮ることに対しても、そんなことはないのだろうが、申し訳ないという思いがあった。


一方でパーティなどでその場にいたはずなのに自分が写っている写真がないと残念にも思うのだった。

実際はカメラへの苦手意識から、自らレンズから逃げているのに、おかしなものだ。


ガラケーのカメラとスマホのカメラと何が違うのかというと、保存データのありかだ。

ガラケーの場合、ブログにアップしたり、当時まだ力のあったmixiに保存するのがせいぜいで、データとして残すためにはデジカメが主流。

しかし、スマホはパソコンに接続できる。

取捨選択なし、否応なしに写真は保存されていった。

これは迷惑というよりは画期的なことであったように思う。

たまに保存された写真を見返すと、ああこんな事もあったな、と懐かしく、消えてしまった日々が蘇る思いがした。

それまでは日記を書くなど、意識的にしか日々は残せなかったが、

スマホは本当に何気ない指の動きで日々を保存してくれていた。


わたしにとってのスマホは「時計とカメラの苦手克服機」だったのかもしれない。



そして、現在。





しばらくは時計とカメラとQの存在で十分だった。


なので2017年の1月、iPhoneを正式に解約した。

違約金が1万円とすこし。残っている本体料金も、毎月2000円弱払っていかなければいけないが

解約できて、すっきりした。

完全に別れてからの自分の心の動きも確かめたかった。


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