19歳の時にラリって自室から飛び降りた話

19歳の1月、私は自室(2階)の窓から飛び降りた。



某精神安定Aをワンシート、某精神安定剤Bをワンシート。ドンキで買った上下ドピンクのスウェット姿。死にたかったわけではない。たかが2階で死ねると考えたわけでもない。ただ「消えたかった」のだ。ラリった私は地面に落ちないと思っていた。地面に着く寸前にどこか異次元のワープホールに吸い込まれて消えることが出来ると思っていた。



どうしてこんなことをやらかしたのか、私の人生の「ぶちのめされポイント」を語ることにする。




小学校卒業までは我ながらやっかいで、手のかかる子供だったであろう。その最たる原因が「不登校」だ。別の幼稚園からひとりポロッと小規模でクラス替えもない小学校へ入学してきた私は、どうあがいても浮いていた。少食だった私の最難関・給食。スズメがつっついた程度しか食べられない私。「食え」「残すな」「好き嫌いするな」の大合唱。同調する担任教師。逃げ場なんてない。

当然学校には行けなくなるが、家さえも「逃げ場」ではなかった。無理矢理学校へ行かせようとする両親。母親は仏教に助けを求め、「流産した水子の霊が憑いてるかもしれない」などと言い私を寺へお祓いに連れていこうとする。ちがうよ、お母さん。私には何も憑いてないよ。私の話を聞いてよ。言えなかった。学校が嫌すぎて大泣きしたら目の前で泣きながら念仏を唱え始めた時はさすがに怖かった。父親は私に無関心だった。でも1度だけ怒鳴られながら蹴りまわされたことがある。両親に詰め寄られ、「学校に行くぐらいなら死んでやる」と私が泣き叫んだ時だ。その時のことは今でも忘れられない。

なんとか地獄の小学校は終わった。男子が担任を泣かせて授業中に釣りに行くような学級で、本当に無駄に過ごした6年間だった。



中学校は町に一つだけ、町内数カ所の小学校が集まるようになっていた。当然比べものにもならないくらい生徒数は増えた。

1年の時。スタートダッシュをどこかで間違えた私はクラスの男子達にいじめられた。

2年になり、クラス替え。私は「1年の時のあやまちは繰り返すまい」と固く決意し、ハイテンションなおバカキャラを作った。無理矢理。根暗でネガティブ、被害妄想癖バリバリの私が。結果それはみんなに受け入れられ、表面上楽しい中学校生活を送っていた。表面上。沼地の上に無理矢理コンクリート製高層マンションを建てるようなものだ、グラつかないはずがない。放課後ふと我に返り、根暗な自分が出てくる。

3年に進級し、教室は4階。西側の突き当たりの大きな窓だけロックが掛けられておらず、私の体ひとつやふたつやみっつ、余裕で通るくらいの開閉が可能だった。毎日私は沈む夕陽の中、泣いた。舗装された地面に叩きつけられた私を想像して、泣きながら笑った。そんな生活をしていれば、当然身体にも不調は出てくる。毎日のようなだるさ、腹痛、下痢、失神。「自律神経失調症」「過敏性腸症候群」だった。美術だけが唯一の取り柄だった私は、電車で1時間の美術科のある高校への進学を諦めた。ここが「ぶちのめされポイントその①」だった。 


結局私は近さを重視し、自転車で5分の普通科高校へ入学した。偏差値平均・可もなく不可もない自称進学校。うつ病も発症した私は、通院・服薬をしながら相変わらず処世術として身につけた「ハイテンションなおバカキャラ」として生き続けた。そんな中にも夢はあった。美大の工芸科へ進学し、ガラス工芸を学ぶことだった。部活はもちろん美術部、週1回の絵画教室、深夜までのデッサン。結果私は3本の指に入るランクの美大に合格した。

だが、問題はそれからだった。金だった。私立の美大はべらぼうに金がかかる。合格してから母が放った絶望の一言。「うちこんなお金無いよ」。奨学金をフルに借りても家賃と生活費に消える。非課税対象になってしまうほどの我が家からは仕送りなど到底望めない。私は病弱でバイトも出来ない。ああ、「詰んだ」とはこのことを言うんだ。そもそもうちが貧乏なのは知っていたが、そこまでとは知らなかった。というかなぜ受験前に言わない。

結局私は血便が出るまで努力して入った難関大学を、辞退した。ここが最も大きな「ぶちのめされポイントその②」であった。


そのあとの1年間はとにかく狂ったように金に執着した。ノンアダルトのライヴチャットで小金を稼ぐ毎日。谷間とかパンチラとか、もうどうでもいい。金さえ入ればそれでいい。だってお金が全てでしょ?お金があれば私は今頃大学生活送れてたんでしょ?


冬になり、飲み屋街が賑わう季節。私はネットで求人募集をしていたスナックに適当に面接に行った。結果は合格。運がよかったのかそこは客層も良くママさんも優しく、先輩のお姉様方もとっても優しかった。いられる限りここで働こうと思った。が、「いられる限り」は2ヶ月で終わりを告げる。事実上の閉店だった。あんなに賑わっていたのになぜなのか、理由はわからない。


ようやく手に入れかけていた「居場所」を、私は2ヶ月で失った。居場所を無くした私はみるみる病んでいった。「消えたい」だけが頭の中を支配していた。「ぶちのめされポイントその③」。ここで冒頭に戻る。



もちろん飛び降りたからには地面がやってくる。痛い。動けない。息ができない。でも死ぬほどのダメージを受けていないことは分かった。失敗した。情けないことに私は砂利を拾って1階の窓に向かって投げ、その日たまたま家にいた母にSOSを送った。それからのことはよく覚えていない。気がついたら病院にいた。「自殺未遂患者は入院の際、邪険に扱われる」と本で読んだことがあったので、必死で「窓掃除をしていて足を滑らせた」と弁解していたことだけは覚えている。



今も私の脚と腰には金属のボルトが埋め込まれている。未だに痛む。一生後悔するだろう。でも、飛び降りて良かったことがひとつだけある。皮肉にも今回のことでかなりの衝撃を受けたらしく、親が私を理解しようと歩み寄ってきてくれたことだ。


しかし声を大にして言いたい。ラリった勢いで、2階から飛んではいけない。ひとはそれを、「バカ」と呼ぶ。



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