おばあちゃんのドライバーは早稲田卒

しかし、こちらに来て半年くらいの間は、いろいろ面食らったことも多々あった。いわゆるカルチャー・ショックという奴である。 
たとえば、シドニーのシテイをりんごをかじりながら、裸足で歩いているスーツを着たビジネスマンを時々見かけるとか、自宅の庭でカメレオンのような舌の青いオオトカゲ(ブルータン・青い舌と呼ばれていた)を見かけたとか、電気屋へ行ってテレビを購入しようと思ったら、陳列している品物だけしか売ってなくて在庫は一切置いてなかったとか、家の電気製品が壊れたので修理を依頼したら、業者が来るのに数ヶ月かかったとか、話し出せば切りがない。 
初めのうちはこちらもイライラしていたのだが、やがて、そんなことはどうでもよくなってしまった。ここはニッポンではないのだ。それより、ビーチに行って日光浴を楽しんだり、のんびりゴルフでもエンジョイしようよと。やれやれ、いつの間にやら、こちらもオージー流が身に付いてしまったのである。 
そんなある日、たしか8月下旬(日本では2月)だったと思うが、私たち夫婦は市内のトーマス・クック旅行代理店で見つけたキャンベラ・ファームステイ(農場体験)ツアーに参加した。 
シドニー・キングスフォードスミス空港からアンセット航空を利用して約30分でキャンベラに到着。キャンベラは言わずと知れたオーストラリアの首都である。 
昔、シドニーとメルボルンのどっちを首都にするかという議論が巻き起り、なかなか決まらなかった。そこで政治的決着として、両者の中間点を首都にしようということになり人工都市キャンベラが建設された。政治的に造られた都市なので、国家の中枢機能である国会議事堂、現職のポール・キーティング首相が執務する首相官邸、最高裁判所、中央官庁、各国の大使館などが森の中に存在するが、それ以外は何もないという不思議な都市である。何となくSF小説に出てくる未来都市を想像してしまったのは私だけだろうか? 
ツアー一行はキャンベラ空港からバスに乗車し、オーストラリアの国家中枢機能を巡回してまわる。中でも名物は、各国のお国柄が良く建物に表現されている大使館巡りと連邦国会議事堂であろう。大使館街にはもちろん、日本大使館もある。
 
一通り市内巡りを終えると、バスはキャンベラ空港まで戻ってきた。そこで待っていたのは4WDのジープである。夕方4時過ぎのことである。ジープに乗り込んだのは、私たち夫婦と日本人の若者男女の計4人。 
ジープはキャンベラ市内からひたすら郊外に向かってひた走る。やがて日もとっぷり暮れる頃になるとジープは山道を登っていくようになる。人家がないためかあたりは真っ暗で、月明かりだけが妙に明るく感じられた。後ろを振り向けば、遥かかなたがうっすらと頼りなく明るくなっているのはキャンベラ市内の町明かりであった。 
 やがて、アバランチ・ファームという表札のかかった広い門をくぐると一軒の家の前にジープは止まった。ちなみにアバランチとは英語で「雪崩」の意味だが、何故このような名前がついているのかはついに分からなかった。車を降りると、農場の主である中年のご主人と奥さん、それに人懐っこいボブという名の元気のいいダックスフンド犬が出迎えてくれた。標高が高いのであろう。周りはひんやりしていて、家の中には暖炉が置かれていた。 
その夜、「面白いものを見せてやるよ」というご主人について近くの山に入っていった。しばらく、歩いていくと、突然ご主人が「ストップ。」とつぶやいて、一同の歩みを制し、ある方向を指差した。じっとその暗黒の方向を見つめていると、小さな2つの光が、あちらこちらで光っている。「あれがカンガルー、これがポッサムだよ」とご主人が説明してくれた。見上げると空には、無数の星が瞬いていた。およそ、日本では考えられないほどの星の数だった。ご主人は、指をさし示し、サザンクロス(南十字星)の位置を教えてくれた。 
次の日は快晴だった。私たちは牧場で乗馬を楽しんだり、また山に分け入り、落ち葉や枯れ木を集めて火を起して、肉を焼いて食べた。こうして、素朴なもてなしを受け2日間の充実した時間を過ごし、私たちはキャンベラを後にして、シドニーに戻った(シドニーに戻ったという事実がいやが応でもオーストラリアに住んでいることを実感させられた瞬間でもあった)。 

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