死なないよ、死ぬまでは。

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そこで衝撃の事実が判明する。

おっぱい!味しない!

当たり前だ。するわけがない。皮膚なんだから。

おっぱいに幻想を抱きすぎていて、甘ったるい蜜でもでてくるものかと錯覚していたが、そんなことはない。おっぱいはおっぱいだ。蜂蜜が塗りたくられているわけでもない。甘美に溺れるような蠱惑的な味を製造しているわけでもない。皮膚なのだ。

それなのに、吸ってしまうからわけがわからない。

わけがわからないのに吸いたくなる、それがおっぱい。ありがとうおっぱい。

おっぱいを吸いながら、いよいよ股間にも手を出そうとしていたが、そこでストップがかかった。

そこから先はお風呂に入ってから、だと。

いっしょにお風呂に入るのは困難なので私はただ彼女がお風呂からあがるのを待って、その次に入ってシャワーを浴びた。

お風呂に入ってからはまたしばらくテレビを見ていたが、少し経験値をあげてレベルアップしたのか私は彼女を襲った。

ベッドに倒れ込んだ彼女は、電気を消して、と言う。

OK。そんなお安い御用なら電力会社ごと潰すさ。

部屋の明かりを暗くして、

いよいよ、

ようやく、

22年間かけて、

やっと、

生で、

リアルで、

女性の性器を拝むことができた。

林が生い茂った中心に佇む、追い求めてやまない秘宝。

いやらしく、暗闇の中でも恍惚と存在する果実。

あまりにも見とれていたので彼女から、恥ずかしいからあんまり見ないで!とクレームが入る。それをぺろりと口に含むと、彼女から少しずつ声がもれた。自分のした行為により感じてくれている。お風呂あがりで清潔になったばかりのそれを私の唾液が濡らす。彼女自身もそこから液体を流し、私の唾液と混ざりあう。

興奮がピークに達している私は、その暗闇の中のさらに暗闇へと指を潜らせた。

オナニーをすることは無かったが性欲は普通にあるのでアダルト動画はよく拝聴していた。その際によく見かけた激しい手マンが童貞には難易度が高すぎた。

彼女に同じようにやってみると、痛い!と怒られて、初めてのエッチは中断することになった。しかし性欲のおさまらない彼女は、オナニーするから手伝って!と言って、何故かそのままオナニーを見せられ、たまに言われるがままに身体を触ってサポートした。

そうして私の初体験は終わった。

果たして童貞は捨てたと言えるのだろうか。

童貞をクリアするラインとはなんなのか。

挿入しなければいけないのだろうか。

それから彼女が滞在していた3日間のうちに小倉競馬場や小倉城などの観光名所を巡り、夜はひたすらホテルや自宅で彼女と二人で楽しんだ。

私はなぜか女性の股間の扱い方を指導され、最終的に上達していっていると褒めれた。これが経験者は語るというやつか。

一方、私の股間はというと、初めて口に含んでもらったのだが感じることはなかった。こんなにも美人にうらやましい行為をしてもらえているというのに、私が感じることはない。ただ、刺激をすれば起つことは起つのだ。そこは身体の機能として正常に動いていたが、持続時間が短い。

その気持ちよさを知っていたのなら喪失感はあるのだろうが、最初から知らないのでそれがどんなに気持ちいいものなのかは判断がつかない。

彼女の口が私のモノを覆うと、足がピクピクと反応を示すことはある。喜んでいるサインだろうか。やはり気持ちがいいということなのだろうか。私と足は意思疎通ができない。

最終日に、ここ数日の短い間で鍛えられたテクニックで彼女が果てた頃、やっぱり挿入したい!と言い出した。彼女は私の股間を奮い起たせて馬乗りになって動いた。彼女の中に私が包まれているはずなのに、何も興奮はない。そんなものは自身のオナニーの時からわかっていたはずなのに、女性器の中でもそれを感じることはできない。私の股間はすぐにしおれて、彼女を満足させることはできなかった。

結果、わかったことは私のエッチというものは、ひたすら女性を快感に導くものだけでよかった。私のテクニックにより女性が満足してもらえれば、それだけでいい。私が気持ちよくなる必要はない。

快感をしらなければ後悔のしようもない。

股間で快感を得ることはできないのだ。

ちゃんと起つのに。

女性の裸に興奮するのに。

一番大事な部分は、喜びを知れない。

排泄物を放出するためだけにしか存在していない。

私は障碍者なのだと、ここでも烙印を押される。

だが一応、挿入もしたことだし童貞は卒業したと言えるだろう。

それが卒業したことに値するのかどうか。どうなんだろう。

彼女を車で空港まで送り届けると、最後にお別れのキスをした。

初めてはディープで、お別れはフレンチ。

それから彼女とリアルで会うことはなかった。

素敵な経験を、ありがとう。

祖父が老衰で亡くなった。

死は、人生で最大のイベントである。生まれた時にはこんなに大げさな式をあげることはない。死者の為にあるのではなく死者を悼む遺族のために催されるイベント。

多くの関係者や親族、村の人々が参加してくれた。皆、祖父の死を悲しんだ。

私も泣いて、信じることができなかった。

私はおじいちゃんっ子だったのだ。

共働きで忙しい両親よりも、祖父とどこかに出かけることが多かった。

弟と祖父の三人でお寿司を食べにいったり、ゲームを買ってもらったり、いっしょに将棋をしたり、おすすめの小説を教えたり、社会人になってからはご飯をおごるようになったり。

両親ももちろんそうだが、私にとって祖父とはもっとも好きな家族だった。

その祖父が亡くなった。

一人暮らしをするようになってからは会う回数が減っていた祖父。

身体も弱ってきたため車の運転も任せられないようになり、最後のほうは老人センターに入っていた。年末年始に帰省した時、兄弟で祖父に会いに行った。

老人センターのベッドで眠っていた祖父に申し訳ないが起きてもらって、久しぶりに挨拶を交わす。その別れ際に言われた一言が未だに忘れられない。

「また、正月やろ?」

絞りだした枯れた声で、祖父は悲観を嘆く。

その声を少しでもすくいとることができれば良かったのに。

それから生前の祖父と会えることはなかった。来年の正月に会うことも。

忘れることなんてできないだろう。

心の中のどこかで、死ぬわけないと思っていた。なのに、死んだ。もう、どこにもいない。

私はいつも気づくのが遅い。驚く程、何もかもが無くなってから叫ぶ。

あの時、すぐに会いに行ってやれば良かった。

何故、死ななければならないのだろう。

こんなにもたくさんの人が悲しむのに。いいことなんて無いのに。

生きている限り死ぬんだろう?

生きていればいるほど悲しさが増すだけじゃないか。

棺の中で眠っていた祖父は、焼かれて骨になった。

祖父の身体をしていたものが、完全にこの世から消失した。

誰なのかも判別できない骨となった。

祖父はどこにいったのだろう。

身体を抜け出した魂は、どこへ向かう。肉体と乖離すると消えてしまうのか。この世界との関係を繋ぎ止めていたものを無くした瞬間、別の世界へと旅立っているのだろうか。

死、とは。

なんだ。

死ぬ、とは。

なんだ。

何もかもを置き去りにして。

いつか、その想い出も連れて行ってしまうの?

消えないでと願っても。

生まれる限り、死ぬ。

死ぬために、生きる。

死を迎えるまでに、満足に生きれるように。循環していく。

自己の正当性を証明するため?

わがままな欲物を満たすため?

死を悟れるまで、生き続けるため?

理由なんて、そんなもの、なんでも。

だって、もう、そこに、いないから。

会いたいと思っても、もう手を握ることもできないから。

脳内にインストールされた想い出を。

壊れないように繋ぎ止めておくしかできないから。

残された人たちは、もう何もできない。

私は怖くなった。

触発されたイメージは両親の死を連想させた。恐ろしく凍える程、そのフレーズが突き刺さる。死ぬ予兆があるわけではないのに、死んだ時のことを考えた。死は突然やってくることもあるのだから、事前申告なんてそうそうない。

両親が、死んだら?

死んだら、

私は、

………私は…………?

余計なことを考えては、また涙を流した。葬式で何を考えているのだろう。両親が死んだ時のことを考えるなんておぞましい。怖い、ひどい、人でなし。

私を取り巻いていた数少ないものがひとつずつ瓦解していくようで、その先に行きたくない。

何を甘えた考えを持っているのだ。

私は。

私は、もう。

いい年した、大人なんだ。

私は、大人なんだぞ。

死なんて、誰にでもやってくる。

そうさ。

皆、最終的には死ぬんだよ。

だれ彼、例外は無い。

全員死ぬんだ。私も死ぬ。

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