【2001年】孫さんとの思い出(YahooBB立ち上げ) 長編

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後ほど社長室長の三木さんは

「あんなに憤慨した姿を見たのは初めてだった。これは本気だと思った」とおっしゃっていた。


その会議の後、作業に取り掛かる前に頭を冷やそうと、土曜の朝、会社の周囲を散歩した。隅田川の畔を散歩した。土曜日の早朝の隅田川はゆったりと流れていて東京都は思えない静けさを感じることが出来た。


「この橋から川に飛び降りたら、タスク1,000個やらなくていいし、楽だろうな」


と一瞬、自分が橋の上から隅田川にダイブする映像を思い浮かべたが、そんなことをしても何も解決しないと思い、そそくさとオフィスに戻って、エクセルでタスク1,000個を書くことにした。結局は300個ぐらいしかできなかったし、そもそもタスクを網羅してるヒマがなかった。


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孫さんは20代の僕とほぼ同じ時間働いているのに関わらず、尋常じゃなく毎日ハイテンションで元気だった。


僕は毎日ユンケル2本飲んでいたが、孫さんは秘書から栄養剤をもらって毎日飲んでいた。錠剤を数粒と、何かハチミツのようなプロポリスみたいなのをスポイトでよく飲んでいた。


一時期、このプロジェクトはソフトバンクを潰しかねない(実際にその後一時的には数千億の損をする)とのことで、僕の上司から「ストップ・ザ・孫」に動くぞと指示があった。「お前、このケースで孫さん止めるにはどうしたらいい?」といった僕の社会人経験史上「最高の難問」を出された。上司は「北尾さん(元ソフトバンクCFO)に止めてもらうしかないか」と言っていて、僕は「秘書に言って、あのスポイトをとりあげたらどうですか?孫さんの常人ではないパワーの源、あれですよね?絶対普通の人間じゃないですもん」とSFミステリー小説のような勘ぐりをした記憶がある。どちらも実現には至らなかった。


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プロジェクトメンバーが100人ぐらいになって、一応、通信テストも繋がって、何となく会社っぽくなってきたところで、僕はそもそもの本業に戻ることになった。


本業ではソフトバンク子会社で放送事業をやっている会社の経営企画室で、上場準備の真っ只中だったのだ。上場準備の主担当であったのに、週1の部下との進捗MTGだけになっていた。歩いて5分ほどの近くの本社ビルに戻って、一人一人の報告を聞いて、


「みんな、仕事の調子どう?上場準備どう?ま、大丈夫そうだね。ま、なんとかなるよ。こっちの仕事と比べたら、ま、そんなに無茶じゃないよ。じゃ、俺、また戦場に戻らなきゃ」


という感じで、雑居ビルの戦場に戻っていった。

半年後に何とか子会社の上場は実現できた。


一方でヤフーBBの方はオペレーション構築が全然間に合わずで、炎上を繰り返していた。僕のほぼ入れ替わりでコールセンター事業のプロである池羽さんが出向してフルコミットになったり、ヤフーから当時取締役COOでいらしたキタノさんもジョインされるなど、僕のいたチームをマネージして無茶な事業を進めていかれた。僕も身体が2つあったらヤフーBBと子会社上場の両方のプロジェクトを遂行出来たのかもしれないが、まあ途中でぶっ倒れていたと思う。


現に当時足立区綾瀬の家賃6万円のボロアパートで深夜帰宅後に過呼吸になったこともあった。息をしているのに苦しくて、窓を開けても変わらなかった。死ぬかと思った。


あまりにやることが多いのとあまりに処理が終わらなくて、「頭から煙が出る」というのを何度も体験した。


脳の血管がちぎれるような感覚も何度かあった。

「脳がちぎれるほど考えろ!」とはよく孫さんが使っている言葉だけど、僕は自発的に考えるつもりがなくても、ちぎれるほどの状態を経験した。


毎日のように、夢にも孫さんと筒井さんと平宮さんが出てきた。


スキー場のリフトに乗る夢だった。後ろを振り返ったら、3つほど後ろのリフトに孫さんと筒井さんが乗っていた。何かコチラに向かって叫んでいるようだった。


大声で呼ばれる夢を見て「ハッと」目が覚めた。睡眠時間2時間ぐらいですぐに出社しなければならなかった。


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今ではもう社会人生活20年ぐらいになるけれど、僕は仕事で怒鳴ったことはほとんどない。

けれど、1度だけ怒鳴ったのが、そういえばこの時の筒井さんに対してだった。


孫さんの「圧倒的な計画前倒し」と筒井さんの「のらりくらり赤ちゃん言葉」の間に日々振り回されていた。もうどうにもこうにも事が進まなすぎて、佐川急便の宛名書きをやりながら、高度な事業計画を詰めるという深夜のマルチタスクに頭がパンクしてしまい、


「もういい加減にしてください!こんなのやってても進まないだろうが!!もう孫社長がこの事業やるって決めっちゃってるんですよ!!ふざけないで腹くくってください!」


と怒って激しく机を叩いた。

確かその後、平宮さんが珍しく僕をなだめてくれたような記憶があるが定かではない。


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自分で15年前のこれらのデキゴトを振り返ってみると、単なる「社畜ストーリー」に見えた。


でも一方で、そもそも「戦場」では逃げられないものだし、若い頃の経験としてはまあ良かったのだろうし、何といっても、その後どんどん孫さんとソフトバンクが有名になっていくので、自分としては「一生使える社畜ネタ」になったなあと思っている。

追記参考:

2010年ごろに「Yahoo! BBブロードバンド開設の裏話」としてTwitterやりとりまとめられてたのはコチラ。

https://togetter.com/li/11738

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