カルト教団の信者であった母親の思い出

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親からの暴力を受けた後は、ある程度、怪我を負いはしたが、大怪我をしなかっただけでも、むしろラッキーだったと密かに自分で思っては喜んでいた。当時は、自分の中の幸せのレベルが極めて低かったのである。


だが、母からどんなに虐待されても、へこたれない私の姿が、母親にとってはかえって気にくわなかったらしく、虐待がさらにエスカレートすることもしばしばだった。


そういう時には、私はただただ、その時間だけでも早く過ぎて行きますように、と心の中で祈っていた。


こんな境遇で育った私は、大人になってからも、他人を心から信頼することができなかったり、他人の優しさや愛情を素直に受け取ったりすることができず、咄嗟に遠慮して跳ね除けてしまったりしてきた。


そういう癖は、未だになかなか治らないものなので大変に困りものである。


こうした幼少期の辛い経験は、エホバの証人を母親に持つ2世の方々に共通しているのではなかろうか。


JW2世の他の皆さんは、幼少期に幸せだったという体験はあったのだろうか。機会があれば各人に尋ねてみたい。


あの辛い時期を生き抜いた、というサバイバーとしての共通の体験がベースとなって築かれるJW2世同士の親交というものも実際にあった。


私と同じ世代のJW2世たちのかなりマイコンな母親たちは、皆さんだいたい怖そうだった。


だから、JW2世で集まるとたいていは親から受けた異常な懲らしめについての話題になり、その場に、変な連帯意識というものがよく生まれたものだ。


他のクリスチャン二世達から、母親の懲らしめの厳しさを聞くにつけ「あぁ、この人も自分と同じような境遇で育ってきたんだな」と変に共感したり、安心したりしてしまうことはしばしばであった。


だが、それも極めて歪な共感なのだ。


それらの体験も、エホバの証人の親元に生まれて来ることさえなけば、決してしない体験でもあるわけなのだから。


母親とエホバの証人の姉妹との研究が始まり、我が家の生活は徐々に変わっていった。


カルト色一色に染まり始めたのである。


まず、エホバに関するいかなる「からかいや冗談」も禁止された。エホバ神こそ唯一絶対の神であり、どんな事柄よりも優先されたのである。それ以外の存在は無に等しかった。


なので、たとえ子供であっても、神のご覧になっているこの世界において、子供らしい愚かさを表したり、子供らしいじゃれ合いをしたり、冗談を言ったり、イタズラをしたりすることも全て神に誉れをもたらさないという点で、罪とみなされ罰せられ、体罰を受けた。


唯一の正義である、神やキリストは、絶対にそんな愚行はしないから、という母の思い込みもあったのだろう。


生活面の全てにおいて、そのような神の律法が適用された。妥協は決して許されなかった。


さらには、世間の人たちは、真の神エホバを知らないがゆえに愚か者であり、それゆえに我々は宣教によって、彼らを罪から救い出さなければならないという重要な使命を各人が帯びていた。


それは、たとえ子供であっても同じであった。


だから、あらゆる人たちの前で、子供たちはエホバの証人的な観点で、極めて模範的でなければならなかった。


いつも大人しく親に従順な子供が最善とされ、親からはその型に押し込まれるかのように教育され続けた。


それを常に24時間365日にわたり、強いられていたのだ。


なので、親に対するあらゆる反抗の言葉、ののしりは即悪行とみなされ、親から厳しい体罰を与えられた。主に尻を出して、そこを何度もムチ打ちされるという刑であった。


それで、私たち子供は、何をしても何かにつけて叱られるので、徐々に子供らしさや明るさを失っていった。


私自身、幼少期には、日に一度も叱られなかったという日はほとんどないというぐらいだった。


ただし、唯一母親が、喜んだのは、子供たちが神エホバを讃える時や立派な行動をした時だけだった。


それ以外は、子供の成長を含めて、喜ばれることはほとんどなかった。


エホバの証人的な成長以外には喜ばれることはなかったのである。



虐待は特殊なものではなく、世の中に子供を虐待する親はどこにでもいる。


だが、エホバの証人の親が、神の権威をふりかざして、公然としかも徹底的に子供を虐待する場合は、それら非信者の親の虐待とは大きく異なる点がある。


それは、子に対する徹底的なムチ打ちの理由が、来たるべきハルマゲドンの最終局面において「エホバ神に滅ぼされないため」であり、ひいてはその後に訪れる「地上の楽園で永遠に生きるため」であるという点だ。


それゆえ、その親のJWから刷り込まれたそれらの誤った信条が、その後の被害児童の思想や考え方、世界観等に、長期的な影響を与え続け、本人の人生を台無しにしてしまうという点で、大きく異なっている。


だから、幼少期から信者の親から虐待されてきた子供たちは、普通の子供たちとは全く異なった世界観を持つ。


それらJW2世の子供たちにとっては、ハルマゲドンにおける神による裁きは、非常に現実味を帯びており、それに対して彼らは本当の恐怖心を抱いているのだ。


感情的にムチを打ちまくる母親の姿に違和感を感じる一方で、神による裁きに対する恐怖心は、ますます現実化していく。


皮肉なものである。


私は、幼いながらも、うちの母親は他の信者の母親と比べて、感情的に怒り過ぎていて明らかにおかしいと思う一方で、それでも神は正しくて、必ずやハルマゲドンにおける裁きの日はやってくる、と信じていたのだから。


その考えは、本人がエホバの証人社会から離反しない限り、大人になるまでずっと育まれ強化されていくのである。


それで、JWを辞めた後も、その恐怖におののく元信者は大勢いるだろう。


他にも、輸血拒否の教理を破る恐怖、偶像を崇拝したり、淫行や姦淫、汚れ等を犯して神の律法に違反してしまった場合の恐怖心を心の片隅でもしくは潜在意識の中で未だに抱えている元信者たちは大勢存在しているのではなかろうか。


こうして、エホバの証人の信者を親に持った子供たちは、教団からもたらされた様々な意味不明の制約や、偽りの教理がもたらす裁きに値する罪に対する恐怖心にずっと苛まれてしまうのである。


母親がエホバの証人と勉強を始めてからというもの、子供たちのするあらゆる事柄に制約や規制がかかっていった。


3、4歳のころの私は、見ることのできるテレビ番組が様々、制約された。


「ロンパールームとポンキッキー、みつばちハッチ、サザエさん、笑点、まんがにっぽんむかし話、家族対抗歌合戦、欽ちゃんのどこまでやるの」などは大丈夫だったが、それ以外はことごとくNGだった。


だから子供たちは、いつもそれらの番組が始まる時間を首を長くして待っていた。


そして、それらのテレビ番組を見ている時間だけが、決して親に怒られることがなく、自分がエホバの証人であることを忘れられる、とても平和な時間だった。


たまに、父親が海外から帰ってきて、別の番組を見ようとした時には、それはそれは大変な喧嘩騒ぎになったりもした。


なぜなら、海外の単身赴任で父親がずっと自宅にいないが為に、日々、JWマイコン信者である母親からの過酷な虐待を受けざるを得ない子供たちにとっては、その時間だけが唯一の憩いの時間だったからだ。


(母親はいつも黙ってその喧嘩を静観していた。世の人である父親は飽くまでも神の教えをしらない無法者であり、一応、教えを受けている子供たちのほうが、父親より優位に立てたのだ)


だから、子供たちだって必死である。それらのテレビ番組が当時は「外の世界を知る手段」また「生きる力」そのものだったと言っても過言ではない。


それで、たまに母親に無理やり、野外奉仕や交わりに連れ出されてしまって、楽しみにしていたそれらの番組を見られないときは、非常なショックを受けて、がっかりしたものである。


当時は、ゴレンジャーなどの戦隊モノやコンバトラーVなどのロボットアニメ、水戸黄門などの時代劇も流行っていたが、内容が暴力的、戦闘的で不道徳という理由で全てダメだった。


母親がどんな番組を子供たちに見せるのかを含めて、生活上の全てを決定していたのである。


それ以外の時間は、遊具であそんだり、外であそんだりしていたが、近所の友達と遊ぶことはなく、遊び相手は常に妹だった。


さらに、母親に連れられて、野外奉仕に行ったり、集会に行ったり、仲間たちと交わりをしたりしていた。


そこでなされる会話は、たいてい聖書にまつわる話か、来もしない楽園の話か、終わりが近いと連想される世の中の事件の話、大会や集会の話、それに研究生や兄弟姉妹たちの噂話だった。


ただし、それら、いわゆる霊的な事柄に携わる時間は信者である母にとっては、神聖な時間だったので、その時間帯に子供たちがふざけたり、ダラダラしたり、あからさまに不満な様子を浮かべると、すぐさまムチが与えられた。


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