おばあちゃんのドライバーは早稲田卒

大変と言えば、弟の結婚式出席のため、日本へ一時帰国したときのことである。久しぶりにトーキョーに帰ってきて驚いた。あらゆるものが小さく感じられて仕方がなかった。まるで小人の国に紛れ込んでしまったような感覚である。それは完全に錯覚で時間の経過とともに修正されたのだが。また、町中至る所に見られる看板のけばけばしさや雑音が気になってしかたなかった。極めつけは地下鉄に乗ったときのこと。なんと周りの人々と歩調が合わなくなっているのだ。なかなか人ごみの流れに乗ることができなかった。あたかも、幼児が母親に手を引かれて、初めてエスカレーターに乗る直前で躊躇するかのごとく・・・。 

 
これを駐在員の間では「リハビリが必要になった」というのである。豪3、ヨー8、アメ6(アメ8、ヨー6だったか?)という言葉がある。豪はもちろん豪州、ヨーはヨーロッパ、アメはアメリカを指し、それぞれの数字は駐在期間を示している。つまり、それらの地域に、数字で示された年数以上駐在してしまうと日本に帰国後、相当のリハビリ期間が必要になることを意味しているのである。俗に言う「浦島太郎化現象」である。 
  
シドニー赴任後、2年目だったか、3年目だったか、ある平日の午後、シテイの高層階に入っているオフィスでいつものように執務していた私はふと、仕事の手を休めて何気なく窓の外を見やった。すると遥か西の方角に1本の細長い煙が立ち上っていることに気がついた。広いオーストラリア大陸のことである。地平線の彼方に突然、立ち上った1本の狼煙のような感じである。(どこかで焚き火でもしているのだろうか?)最初はそう思って気にも留めなかった。 
煙の立ち上っている辺りは目測でも、シドニー市内からはゆうに100キロ以上離れており、煙は人家のない山間部から上がっていることは明らかであった。 
次の日、オフィスの窓からまた同じ方角を見ると、焚き火の煙は消えるどころか、煙の本数が増えている。日を追うごとに煙の本数や太さは増してゆき、まるで空に向かって何本も立ち上る巨大な竜巻雲のような様相を呈してきた。やがて快晴の天気だというのに西の空だけ、不気味な灰色の壁ですっかり覆われてしまったのである。 
 
テレビや新聞では、シドニー西方の山間部で大規模なブッシュ・ファイヤー(山火事)が発生したことを報じていた。何百台も出動した消防車やレスキュー隊員、そしてヘリコプターによる必死の消火活動も大自然で発生した山火事には全く無力に等しかった。火は衰えるどころか益々その勢力を拡大し続けた。好天気の多いオーストラリアは空気が非常に乾燥しており、ユーカリの木などに含まれる揮発性の高い油が発火の原因と考えられた。 
 
 一つ気がかりなことがあった。シドニーという都市は海岸部を除けば、周囲を低い灌木(ブッシュ)で覆われおり、山間部にとり囲まれた地形をしているのである。その山間部で発生したブッシュ・ファイヤーの勢力が衰えず、未だ拡大しているということは、シドニー市街にも火の手が迫りつつあることを意味していた。実際、私の知り合いは、奥さんの出産日当日、ブッシュ・ファイヤーが自宅近くで発生し、病院と自宅とを何度も車で行ったり来たりしたと後で聞いた。 
その後、ブッシュ・ファイヤーは1か月の間、猛威を振るい続け、火の手がシドニーの住宅地まであと数キロに迫った頃、ようやく勢いが衰え、鎮火した。 
「歴史に残るブッシュ・ファイヤーであった」と当時のシドニー・モーニングヘラルド紙は伝えている。 焼き尽くされた地域は、東京都全体の面積に匹敵するという。 
向こう50年間は、森林の再生は不可能とされた。コアラの主食とするユーカリの木が多く燃えたため、コアラの絶滅を心配する声も出たほどだった。ブッシュ・ファイヤーが鎮火した直後の週末、車で現場近くを通ってみたが、緑の森はすっかり焼き尽くされ、あたり一面、黒焦げの炭と化してしまっていた。 
黒こげの枯れ木の背後から見えるシドニーの海が悲しいほど青かった。 
  

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