彼との約束事

最近、自分の周りの環境が目まぐるしく変わってきている。新しい人と知り合って、新しい仕事の依頼が来て、それをこなして、こんな仕事がしたい、こんな風になりたいと試行錯誤する毎日だ。 

ここ、ベルリンは、自分から行動を起こしたい人にはとても寛容な街だ。街の至るところにいろんなチャンスが転がっている。それを見つけて、磨き上げる。この街では、それが可能だ。 

今日の私は、もう昨日の私ではない、という感覚。それが今の私にはある。駆け出しの、売れない物書きの私にとって、そういう変化はとても喜ばしいことだ。 

明日、私は同じところにはいないだろう。1年後、10年後、自分がどこにいるのかさえわからない。でもこちらへ進めばいいと、わかっている。どこに辿り着くのかわからない、でも、行ってみたい。

それはうずくまって、どこへも行けないことよりもきっと幸せなことだ。 

でも次のステージに行く前に、私にはどうしても書かなくてはいけないことがある。それはもうすぐ、私の記憶から消えてしまうから。

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人生には、この人と出会わなければ、自分の人生はまったく違うものになっただろうという出会いがある。私のそれは、まだ私が日本の小さな田舎町に住んでいた頃のことだ。身の丈に合わない野心を抱えて、それをどう扱っていいのかわからなかった時のこと。 

20代前半、私がとても若い頃に出会ったその人は、自分の気持ちを人に伝えることはおろか、私の名前さえもほとんど口に出来ないような人だった。そして恐ろしく、人との間に明確な境界線を引く人だった。それは恋人だった、私に対しても。 

一方私は、好きな男に対してはどこまで自分の扉をオープンにするタイプで、ポーカーフェイスの彼に子犬のようにまとわりつく女であった。

英語に「I get you under my skin」という表現がある。「あなたは私の一部」。そういうニュアンスで使われるけれど、その頃私は彼の皮膚の下に入りたくてたまらなかった。彼が運転中でもどこかしら彼の体に触れていたかったし、二人の間に隙間なんてないようにぴったりとくっついて眠った。 

そうすることで、二人の間には隙間がないと、せめて錯覚していたかった。私は、そうでなければ生きられない生き物だった。彼はそういう私に最初の頃、とても戸惑っていた。彼はそんな風に他人と接したことがなかったのだ。それは同時に、彼が今まで誰も愛したことがないということでもあった。愛する男は自分の皮膚。男をそんな風にしか愛して来なかった私は、彼の態度に衝撃を受け、その度に傷ついた。頑なに距離を保とうとする彼に、泣きながら抗議したのは、一度や二度ではない。薄く、しかしながら確実に存在する境界線に私は時々絶望すらした。

それでも、その境界線がいつかはなくなると信じて疑わなかったのは、私が諦めることを知らない、無邪気で幸せな若者だったからだ。    

最初の頃、彼の主語のほとんどが「俺」という単数だったことを覚えている。でもある日、彼は初めて「俺たち」と複数形で自分を形容した。何について話していたのかもう忘れてしまったけれど、「俺たちのお気に入りの場所」と彼が言った。それは本当に、本当に些細なこと。それでも彼の一部になったようで、私は嬉しかった。 

一緒に食事をする機会が増えれば増える程、私たちの細胞は同じになると信じて疑わなかったし、同じ体験をすればする程、彼の心の中と溶けていくと思っていた。 

今思えば彼は、他人が自分に侵入することで、自分が自分でなくなることをひどく恐れていた。でもそれがわかるのは、もっと後のことだ。 

そんな彼が、私に言った言葉がある。

梅雨時期の大雨で、土砂崩れが起こって、巻き込まれた方が亡くなった、というニュースを車の中で聞いた。私たちは人気の少ないところに車を停車させ、抱き合っていた。外は、豪雨。彼のその時乗っていたスズキのJimmnyは大粒の雨で押しつぶされてもおかしくないほど小さかった。

「死ぬ時は、こんな風に抱き合っていられたらいいなぁ」

彼が珍しく照れもせずにそう言った。それはまるで、明日は晴れるといいなぁ、なんて言うような調子で。 

車の中には、私と私の愛する男だけ。それはまるで、世界中で二人しかいないみたいだった。土砂崩れのニュースを聞きながら、彼と二人ならそれはそれでいいなぁ、なんて思っていた。

その時から、その言葉は私の中に住み着いた。「結婚しようでもない」、「一生一緒にいよう」でもない、不謹慎な愛の言葉。その言葉は、自分の気持ちをほとんど表したことのない彼の、私に対する最大の愛の言葉だった。

彼と抱き合って迎える人生の終わりは、私にとってこの世で最も幸福なことに思えた。

 

しかしその数年後、私は彼を置いて、一人で日本を出た。彼は一緒には来なかった。年月を重ねるごとに、私は自分の人生のすべてに飽き飽きしていたし、狭い田舎町で今後一生暮らしていくことに、何の希望も見いだせなかった。こんな田舎町ではなく、国際的に活躍する機会が私にはあったはずだ。私が自分のやりたいことをできずにこんなところで埋もれているのは、彼のためだ。私はもう少しで、その言葉を口にするところだった。すんでのところでその言葉を飲み込むことが出来たのは、私のプライドだ。でも私はその言葉を殺せなかった。生き延びた言葉は、私の中でどんどんどん蔓延して、私自身が殺されそうだった。私は毎日苛立ち、よく泣いた。それはかつて、彼の皮膚の下に入りたくて流した涙と同じではなかった。

それでも彼は日に日に自分を失っていく私を抱擁しようとした。自分に投げつけられた暴言にさえ、彼は耐えた。その頃、彼の私に対する境界線はもうすでに消えていた。私がどんな姿になっても、受け入れる、と彼は決めているようでもあった。でも皮肉なことに、その頃私は彼との間に境界線を引いていた。蓄積された不満が醜い壁を築いていた。 

私は、出奔し、街から街へ、大陸から大陸へと放浪した。彼を愛していたのに、なぜ、とよく聞かれる。でも、あのまま一緒にいたら、私は彼を憎んでいたと思う。それは私に残る、最後の理性でもあった。スペイン、オーストラリア、シンガポール、そしてドイツ、ベルリンへ。未来に何の後悔も残さないように、見たい世界を見た。 

人には糸のない凧がふわふわと大気をする浮遊ように見えただろう。もしくはどこにも根を張らない植物のように。でも、それは違う。私には帰る場所があった。だから私はいつでも自由でいれた。いつか新しい世界を見ることに飽きたら、私は彼の腕の中で死ぬんだろうと思っていた。それは、大洋を漂流する小さな船である私にとって、唯一の心の支えでもあった。 

私たちはもう正式にはカップルでさえなかったのに、滑稽な話だと自分でも思う。それでも繋がっていると私は信じてた。肉体的な繋がりを持たなくなって始めて、私は彼の皮膚の下にいると思うことができた。 

本当の別れが来るのは、それからだった。私がベルリンで生活を始めた1年後、彼は私なしの、新しい人生を歩んでいくことを決めた。それは、私と一生会わない、という選択。その頃、彼は彼で自分の生活があったし、私はベルリンにやっと慣れ始めた頃でもあった。律儀な彼は、わざわざ私の一時帰国を待ってそのことを告げた。私はただ青ざめることしかできなかった。私はここにいて、彼はもう対岸にでもいるようなそんな気分だった。いつから、私たちはこんなにも離れてしまったんだろう、私はそればかりを考えていた。 

そして、人は一人で生きていけないのだ、とも。出会った頃、彼は彼の周りに誰も寄せ付けない人だった。あの数年の間に、彼は弱くなったのだと思った。彼はそうなりたくはなかったのに。あの境界線。あれはきっと、無くしてはいけないものだったのだ。 

「もう死ぬまで、会うこともないだろうね」

別れ際、彼はぽつりとそう言った。彼との恋愛は友情ではなかった。熱が終われば、残るものが何もなかった。思い出以外は。 

「もう死ぬまで会ってはならない」と最愛の男と約束させられた気がした。私たちは、死ぬ時は一緒にいるはずだった。その約束は、新たな約束に置き換えられた。あの頃私は「死ぬ時は一緒」という子どもじみた言葉を本気で信じていて、その言葉が唯一の支えであり、生きる目標でもあった。いつか、その場所へ辿り着くために私は長い旅をしている、とでも言うような。 

私は、その支えを失った。あの日以来どうやって死んでいいのか、わからなくなった。それは同時に、どうやって生きていっていいのかわからなくなった、ということでもある。 

この世の終わりの気分で飛行機に乗って、ベルリンに帰って来た時、私は瀕死の重病人みたいだったと思う。自分がどこにいるのかわからなくて、日常で使っている英語がほとんど出て来なくなった。皮肉にも私の心は、あまりにも日本にいたのだ。かろうじて息をして、植物がするように水を飲み、ただ生を繋ぐ毎日だった。 

でもそのただ生きているということは、この世で一番強いことだとも知った。倒れたまま、うずくまって、息をするのも苦しく、もう一生歩けないと思ったとしても。 

少しずつ食べることができるようになって、こんなことがあったと話せるようになって、笑えるようになった。弱り切っていた足腰を奮い立たせて立ち上がり、やっと歩き始めた。紆余曲折あったものの、今こうやって少しづつ物を書くようになった。今はうずくまってもない、立ち竦んでもいない。転んだとしても立ち上がることができると学んだ。

仕事はまだまだ順調とは言えないけれど、ずっとずっと書いて行きたいと思う。どうやって死んでいいのかは、正直に言って今でもわからない。でもその代わり、どうやって生きていけばいいのかはわかるようになった。それは死に場所に向かって彷徨うよりも、明日死んでも構わないと一秒一秒を生きるよりも、ずっと健全だ。  

だからか最近、見える世界が随分と変わったように思う。自分の内側もじわじわと変化していくのがわかる。毎日がドキドキする。明日が来るのが楽しみなのだ。過去ではなく、未来へ進んで行く力が、今の自分を作っていっていると確信が持てる。過去が、急速に色褪せていく。それは、悲しいことだろうか。忘れることが悲しい、忘れ去られることが悲しいと泣いていた自分を思い出す。

でももう、いい。私は自分が進む次のステージに、あの言葉を持っていけない。約束は、叶わなかった。でも、私はもう、ここにはいられない。  

彼の言葉は、愛の言葉であったと同時に、呪縛でもあったということに私はやっと気がついた。心の中で何度も何度も舐め続けたあの言葉は、知らない間に私を蝕む毒となっていた。私が、自分でそうした。      

彼とのことをまたどこかで書くこともあるだろう。でもそれは、思い出から感情を排除して、経験を抽出する作業だ。そこにはもう感傷などないだろう。 

もう同じ気持ちでこのことを書くことはない。それだけがしっかりとわかる。彼と出会ってからの10年。そしてこれからの10年。一つのサイクルが終わり、新しいサイクルへと変わっていく。新しい景色を見るのが、私はとても楽しみだ。 

***

「でも君のことを、一生忘れることはない」という言葉を、最後に聞いた。  

それは、私とあなたの、最後の記憶。大きな川に月の光が反射していた。満月。繋がれた船たちが波に揺られてきしきしと音を立てていた。その船の中には、海に出ることもなく、小さな港で朽ちていたものもあった。

そんな風にはなりたくない、例え海原の中で大破したとしても、自分にはそっちの方が幸せなことのように思えた。 

あの愛しい横顔。日に焼けた腕。私は、あなたをもう忘れる。 

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