東日本大震災から6年。3度の津波に耐え、そびえ立つ「ポプラの木」を知っていますか?

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暗闇に満天の星と、生き続けるポプラの木


復興を目指して戦っている地区は、もう、日本全体といってもいいでしょう。


その中でも、東日本の広い範囲を襲った【東日本大震災】

あれから6年。


岩手県大船渡市の中でも沢山の人が亡くなったという、越喜来地区に僕は行くことにしました。



こんにちわ!シンガーソングライターDai-Go!Lowです。

この曲が出来たきっかけの衝撃のストーリーを描きたいと思います。

「ポプラの木」音源↓

http://daigolow.com/wp-content/uploads/2017/03/97c70fa966d6f7a95c7fd569141e1c9d.mp3

先日、電車を乗り継ぎ、気仙沼と大船渡に行ってきました。


僕は、どこでも地べたに座って、路上演奏をしちゃいます。

「土地に歌う」

そんな意識で、向かいました。


事前にゲストハウスに連絡をしておきました。


寝床くらいは確保!

たまたまネットでお見かけしたゲストハウス。

安いし、交流もあるかも?


そんな気持ちになり、ワクワクしながら、ゲストハウスにメール。


これで、予約完了!

多分、、大丈夫。ww

最悪、盛駅で寝ちゃえばいいし。

あまり不安は無かった。


数日後

ゲストハウスの人は、大関氏という方だとわかり、個人のFacebookと繋がり、こんなやり取りを。




ということで、三鉄の三陸駅(越喜来)に向かうことに。

気仙沼からは、BRT(バス)に乗り、未だ空き地の多い陸前高田の街と海を見ながら揺られていく。


越喜来に到着

人がいない。

でも、なんか、人に見られているような気がする。

怖くない。不思議と。

悲しさはあるんだけど、怖くはない。


少し歩くと、砂利道になり、呆然と立ちすくむ。


駅前に引き返し、自販機の明るいところで歌うことにした。


、、、、、本当に、大関さんは迎えに来てくれるのだろうか?


奇跡の出会い

と言っても、、大関さんには、わかっていたらしい。

僕が、土地に歌うつもりで路上演奏すると、必ずこうなること。


「わいち」さん。


この地区に、今も奥さんと住み続けている。


僕が、路上演奏をしていると、近づいて来てくれた。


なんか、誰かに電話している。


もう一人、来てくれた。「わいち」さんが呼んでくれたんだ。


この時、大関さんが「わいち」さんに声を掛けてくれていたと思ったのですが、

大関さんは、声をかけなくても、こういうの「わいち」さんは好きだから。

と、かけてなかったらしいです。


大関さんからすると、狙い通りですが、僕と「わいち」さんは、自然と出会ったことになります。


5曲くらい聴いてもらって

家に入れ!って、ことで、暖をとらせていただいた。

話の中で、この地区のすごさを知ることとなる。


左が、「わいち」さん

右が、わいちさんが呼んで駆けつけてくれた人。


テレビは、アナ雪。

ちゃんと、生活がここにはあるのだ。


奥様が入れてくれたお茶が、めちゃ美味しい。


話の中で、、

あの人も、この人も、もう出るらしいよ。と喋ってる。


僕は、聞きました。

どうやら仮設住宅に住んでいた人が、家を建てて、仮設を出ることらしい。


ワカメの時期で、誰々が忙しいとか。聞いていて、こちらの状態が伝わってくる。


さらに、こんな話が。


昼に来れば、「潮目」で歌って、ポプラの木も見れたのに。

この段階では、ポプラの木の生命力は、想像しか出来なかったが、、

とにかく、三回も大きな震災にあって津波をかぶって、まだ生きているらしい。


「わいち」さんは、ご自分のことなので、あまり言ってなかったが、

潮目は、「わいち」さんが瓦礫を捨てるならば、と、、もらって取っておく。

それを使い、手作りで作った子供の遊び場風に作られた、建物であり、オブジェであり、公園である。



そんな話をしていると、、、、大関さんが合流。


お邪魔しましたってことで、「わいち」さんたちと別れて、、、


大関さんの車に乗せてもらいました。


潮目に行って、一曲やってください。

先ほどの場所か?やりたい!と思い、即決で、「はい!」ってことで、行って見て、ビックリだった。


僕らは、暗い中だけど、中に入りました。

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