3.11-新潟地震被災者の孫が東京で取った行動-1
私の祖父母は1964年(昭和39年)新潟地震の被災者です。
1964年(昭和39年)新潟地震
詳細は下記
1964年新潟地震オープンデータ特設サイト(防災科学技術研究所)
http://ecom-plat.jp/19640616-niigata-eq/
祖母、2004年(平成16年)新潟中越地震でも被災
大叔母(祖母の妹)に会う為に新潟へ行き、帰りの新幹線の中で被災しました。
帰ってくる予定日の次の朝、JRが手配した代行バスで東京に戻ってきました。
家族みんな不安な夜を過ごしたことを憶えています。
そんなこんなで、私は防災教育はかなりしっかりとされてそだったと自負しています。
祖母のこの経験から、必ずバッグにお菓子と飲料は入れて出歩くようになりました。
そのご祖母は永眠し、祖父と暮らし始めた数年後、東日本大震災が起こります。
3.11その時
その日は飲み会に出かける予定で、その前にかかりつけの内科に行って
持病の薬を貰おうと思って病院で順番を待っていました。
大きな揺れが発生し、初めて区の防災無線という物を聞きました。
隣で待っていた揺れに怖くなったおばあちゃんが私に掴まって来たことを憶えています。
なんとか診察を終えるも、内科のビルのエレベーターが止まってしまい
会計後非常口に案内されて出てきました。
薬局も、狭く危険な為、大きな余震が来る度に薬剤師さんと一緒に外に避難しました。
そんな中で薬を貰い、家に帰ると、祖父がいました。
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