実家の床の間には教育勅語の掛け軸があったという話
僕の実家の祖父母の部屋の床の間には教育勅語の掛け軸が掛けてあった。その掛け軸は「明治百年」にあたる昭和43年に作られたものらしい。
僕は、物心ついたときから、この意味不明な漢字カナ交じり文を見て育った。
しかし、共に最終学歴が尋常小学校卒であった祖父母が戦前の教育体制に特別な思い入れを持っていたわけではないと思う。この掛け軸は、町内の老人会か自治会がまとめて購入し、各家庭に配ったとか、そういう偶発的な経緯でうちに入ってきたのではないか。
そして、祖父母は偶然手に入ったこの掛け軸を、まるで仏様でも拝むような感じで、何となくありがたがって床の間に飾ったのだろう。小さい時、その掛け軸に書かれている内容を聞いても、祖父母は「明治の天皇様と皇后様が言った立派なことば」以上のまともな説明ができなかった。
その掛け軸にはこう書いてある。
父母ニ孝ニ (親に孝養を尽くしましょう)
兄弟ニ友ニ (兄弟・姉妹は仲良くしましょう)
夫婦相和シ (夫婦は仲睦まじくしましょう)
朋友相信シ (友だちはお互いに信じ合いましょう)
恭倹己レヲ持シ (自分の言動を慎みましょう)
博愛衆ニ及ホシ (広く全ての人に慈愛の手を差し伸べましょう)
まあ、僕もこの内容が特に問題だとは思わない。しかも、「恭倹己レヲ持シ」「博愛衆ニ及ホシ」の二文はどこか格調高いような感じがして好きだ。
だが、この勅語の制定にあたっては、国家が家庭内の道徳にまで介入するのは、近代立憲国家として問題があるのではないかという議論があったらしい。明治の元勲というのは、なかなかのバランス感覚を持っていたように思う。
時代は変わって、なぜ今これほどまでに、一部の人々は教育勅語をもてはやすのだろうか。その人々は、家族を大切にしようとか、友達と仲良くしようとか、勅語には至極あたりまえのことがあたりまえに述べられているに過ぎないと言う。
(ちなみに、明治の元勲たちのように家庭内の道徳に国家が介入することの是非については、あまり議論になってないという意味では、この勅語をめぐる昨今の議論は、制定当時と比較しても退化しているようだ。)
至極あたりまえのことをあたりまえに述べているに過ぎないのであれば、今更、古色蒼然とした復古主義的なこの勅語をもてはやす必要はない。道徳教育を強化したいのであれば、それらしい新しい標語とかを造ればよい。
でも、なぜ教育勅語かと言えば、最後の一文がこのようになっているからだと思う。
一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
(国に危機が迫ったなら国のため力を尽くし、それにより永遠の皇国を支えましょう)
一部の人々とってはこれも至極あたりまえのことかもしれないが。確かに国民国家の成立を考えてみれば、国民皆兵制はそれを支える最も基本的な要素であるとは言える。
ところで、ふた昔前くらいの与党政治家には、戦争体験がある者が多かった。
今すぐに思いつくだけでも、田中角栄、後藤田正晴、竹下登、宇野宗佑、野中広務など、みんな徴兵されるか学徒出陣で戦争体験がある。だから、後藤田や野中などのように、政治家の最も大切な使命のひとつは、戦争を起こさないことだと明言していた者すらいる。
まあ、そうはいっても聖人君主であったわけではなくて、戦争をやらない代わりに、金もうけに全エネルギーを注ぎ込んでいたのだろうけども(それで、結構もうけた。そして最後は弾けた。)。
でも、今の政治家は逆で、金もうけがうまくいかないので、その代わりに戦争やりたがっているように思えるのは僕だけか。
ちなみに勅語の最後から2つ目にはこんな文がある。
常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ(法令を守り国の秩序に遵いましょう)
勅語の復活をめざす先生方にはぜひ率先して「常ニ国憲ヲ重シ」を励行し、模範を示してしてもらいたいと思う。まあ、何が何でも「護憲」というわけではないけども。
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