”人生はこれで〇〇〇〇”4度目の美大受験に失敗した男が脇道を猛進して彫刻家になり20年後に悟ったこと

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タケシは大理石の床の上に立っていて、目の前には彼女の両親が笑っていた。

 

カナダから帰国した後、彼女の両親に結婚の許可をもらいに行き、それから彼女が住んでいたマンションで同棲して、3か月後にスパッと入籍していた。学歴も貯金も何も無く、おまけにほぼ無職。ただ、彼女を一生大切にするという決意と、一生彫刻家として作品を作り続けるという覚悟だけが有った。

ちなみに、結婚パーティーは後日、身内と近しい友人のみを集めてささやかに行われた。良い嫁と両親に恵まれたことには今でも感謝している。

 

 

9年後に長男誕生

 

見渡す限り田園風景の中、照りつける太陽の下で、彼は濃紺のポロシャツとカーキのズボンを身に着け、見知らぬ土地の見知らぬ家のドアをノックして歩いていた。

 

結婚後はまともな生活をしようと彫刻を中止。数年間でいくつかの職を転々とした。最後についた訪問販売の営業職であったが、あまりの激務の為、深夜に高速で居眠り運転をして何度か死にかけた。どうせ死ぬなら彫刻家として死にたいと思い、再び彫刻家に戻る。

 

その年の暮れに長男が誕生。生命が誕生するまでの過程や、長男誕生後の育児経験に触発されて、そこからまったく新しい作品が生まれる。胎児と種子は限りなく似ていると感じたのがきっかけだった。

 

 

12年後アメリカに進出

 

ギラギラした黄金色のスポットライトの下で、彼はメディアの取材を受け、カメラマンにパシャパシャと写真を撮られていた。


バンクーバーでの個展をきっかけに、ニューヨークのギャラリーで開かれたグループ展に参加するも、自分は彼らの駒の一つに過ぎないのだという事を思い知り、やがてギャラリーとの別れを決意する。

そして現代アートの本場で、多くのギャラリーや美術館に足を運んでいるうちに、現代アートの空虚さに気付き、それに代わる新たなアートと表現方法を模索していた。

 

希少で高価なブロンズではなく、他の材料で作品が作れないかと様々な素材を試すうちに、身の回りに有り余っているペットボトルを、リサイクルしてアートに利用するようになる。

その様にして、他に類を見ないペットボトルアートが生まれた。

 

 

16年後アートを背負いスパイダーを名乗る

 

ふと気が付くと、彼は大きな金の死神を背負って、摩天楼の隙間に見える青空を眺めつつ、ウォールストリートを歩いていた。


 ペットボトル作品を背負って歩きながら展示するというスタイルを編み出し、2010年にニューヨークで初のストリートショーを開催。その3年後に、タケシは再びこの街で”金の死神”というショーをする。

その後も自分が作るべき作品、作りたい作品を作り、最適な時と場所を選んで発表するというストリートショーを世界各地で開催。ペットボトルのクモやサソリを背負って町を歩き、世界の人々とアートを共有する。

その際に、見知らぬ人からスパイダーマンとか、スパイダーなどと声を掛けられることが多かったので、自然にタケシ・スパイダーと名乗るようになっていた。


こうして昼間は作品制作、夜はバイトを続けつつ国内外で作品を発表し、少しのんきな武者修行の様な日々を送り続ける。

 

20年後に悟る

 

今、目の前には息子と娘とカミさんがいて、オレンジ色の光の中、少しせまいダイニングで笑いながら食事をしている。

 

人生にもしもは無いがあえて言う。もしも、タケシが受験に合格して美大に入っていたとしたら、沖縄にもカナダにも行かなかったかもしれないし、人生の全てのタイミングが狂っていただろう。そうなれば、カミさんや師匠や多くの友人たちと出会うことも無く、この子供達もこの世に存在していないし、彫刻家になっていたかさえもわからない。ちなみに、美大に進学した多くの友人たちは誰一人アーティストになっておらず、教師や会社員をしているらしい。

今までに大きく回り道をした分、多くの人々と出会うことができたことに心から感謝しており、今となっては受験に失敗したことに関しても、後悔を感じることはまったく無い。

人生では、その時は最悪の結果だと思っていたことが、後で良かったと思えることも有る。

大切なことは、失敗したという事実を受け入れて他の道を探すこと。道はいくらでもあるし、脇道にそれるのも面白い。あまりにも生きるのがつらい時には、全てを捨ててしばらく南の島に逃げるのも良い。のんびりと美しい景色を眺め、うまい物をたらふく食べて十分に眠れば、そのうち元気になる。この世界は広大で限りなく美しい。

 

人生は分かれ道と選択の連続だ。どの道がベストだったのかなど、神様以外誰にもわからない。所詮過去には戻れないのだから後悔など何の意味もない。ならば、自分が選択した道であればどんなに苦難に満ちた道であろうと、これでいいのだと、これで良かったのだと思っていた方が幸せなのではないか。

 

4度目の美大受験に失敗した男が、脇道を猛進して彫刻家になり、20年後に悟ったことは、

“人生はこれでいいのだ。”

 

話を全て聞き終えた彼の両目に、光が戻っていた。

その夜がバイト最終日だったので、お別れの握手をすると最高の笑顔を見せてくれた。

「僕も20年後に、これで良かったのだと思える人生にします。」

その一言がたまらなく嬉しい。あの時の自分に聞かせてやりたいと思った。

 

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