潜在意識という呪いに気づいて、自分を開放し人生を好転させたアラサー女の話

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私は長年、典型的ネガティブ人間でした。




自分のことが大嫌い。




脳内の口癖は

「どうせ私なんて」

「私なんかが」

「私なんていなくなればいいんだ」

「私はどっかおかしいんだから人並みになるには人の100倍努力しないと」

「ブスでデブで救いようがない」


自分を無意識にいじめまくってきました。



そんな、自分大嫌い・自己肯定感0の

こじらせ女子が、

人生を思い通りに変容させて、

ストレスのない毎日を過ごし

天職に出会うまでのストーリーを

綴っていきます。



お付き合いいただけたら嬉しいです。







私の家族は、

視覚障害者の父

パート勤めだった母

8つ離れた姉

がおり、



大黒柱の父が視覚障害のため仕事も限られ

あまり裕福な家庭ではありませんでした。





そのため、母からは

「うちは貧乏だから」

「うちは他の家とは違うから我慢して」

と言われ続けて

お金はあまり使ってはいけないものだと教えられてきました。




そのため自然と

「わがままを言ってはいけない」

「他の子と同じようにものを買ってはもらえない」

「私は我慢しなくてはいけない」

「私は他の子と違うのだ」

と思うようになりました。






8つ離れた姉は

自分の好きな事を選び、大学にも進学しましたが

結局就職がうまく行かず、フリーターの期間があり

母が姉のバイトの送り迎えをしていました。



その時に母が愚痴を言っていたのを聞いて、

私は中学生ながら

「あぁ、私は失敗してはいけない。

好きな道を選んで親に迷惑をかけてはいけない。」

という気持ちが自然と芽生えました。




このこともあって、自分の意見や希望を口に出すことが

どんどん下手になっていったのです。




一番近い存在のはずの姉も年が離れているため、

私の言うことは軽くあしらわれ

全く取り合ってもらえない関係でした。






親や姉に自分の気持ちを上手く伝えられず、

正面から向き合ったり、

相手にしてもらった記憶がなく、

思い返すと思春期の頃は

イライラや悲しみの記憶がほとんどです。


褒められた記憶もほとんどありません。



やり場のない苛立ちで、自室で一人、

布団を殴ったり、スリッパを投げつけたり

していたのを、よく覚えています。






私なんか結局受け入れてもらえない。

わがままを言ってはいけない。

私なんて親にとっては居ない方がいいんだ。

生まれてこなければよかったんだ。



いつもこんな風に思っていました。





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