毒母に育てられて13
育ち合い…子育てをしながら自らも育ち、子供の成長と共に私の心は成長して行った。親業という名の修行をする如く、悪戦苦闘しながら、ここまで来れたのは家族の絆があったから。そういう感情が湧き上がって来た頃、毒母が癌になった。
今まで葛藤もあったし許し難いことは多々あったから迷ったけれど、気付けばバスに飛び乗り、また電車を乗り継ぎ病室へ向かっていた。
毒母は子宮頚がんになっていて、浸潤している箇所が大幅な為に大部分を切り取る手術をしてベッドで弱り果てて居た。
苦しいと言って力無い様子を見ると手を握って大丈夫だよって言って背中をさする事しか出来なかった。
涙を流してる様子を見て、死ぬ間際になって良心を取り戻したのかもしれないなって思って、もしかしたら今の母ならば色々と後悔して心を入れ直すかもしれないと期待した。
しかしながら、奇跡的に退院をして復活を果たし、また相変わらずの毒母に戻って居て遊び歩いてる感じだったので、私は愕然とした。やっぱり死んでも治らないって、こういう事かなぁ?って思った。
祖父の最後に自分の事をボケて分からなくなった事を後悔し、そして自らも祖父と同じ癌になったのにも関わらず、周りの人への感謝の気持ちは出て来ず、更に自分の為に生きる!って気持ちを助長させたに過ぎなかった。
改心のチャンスが2度訪れたのにも関わらず…
そんなに甘くはなかった。
その後、風の噂で私の知らぬ間に離婚したと聞いた。
私が再婚によって、どんなに傷付いたか、あんなに離婚を引き延ばしておいて今更?って感じだし、結局は再婚相手の子供である2人も同じく傷付けただけで今まで何だったんだろう?って思った。
毒母に子供を愛する気持ちと、愛する者を守る強さがあったのならば、誰も傷つく事なく生きていけたんではないだろうか?
結局、弟が今は妹と母の面倒を見て生きている。
負の連鎖が始まったキッカケは、もっと以前に始まって居た…
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