18歳の大学生が祖母と二人暮らしした4ヶ月 その1

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『高校卒業したら関西の大学に進学しておばあちゃんの家に住んでそこから通学する』

 

と、いうのが我が家の既定路線でした。

この路線はいったいいつから決まっていたのだろうか。

僕の記憶が正しければ、僕が小学生の時から父はそんなことを言っていたような。

とはいえ、実際に大学受験を目前にした高校3年生の僕も、

『高校卒業したら関西の大学に進学しておばあちゃんの家に住んでそこから通学する』

ということに何の疑問も持っていなかった。

 

・岡山で過ごした18年間

僕の経歴を振り返っておく。

僕は岡山県の海沿いの田舎の町に生まれた。

住んでいた当時は何も思わなかったが、その後大阪に住んだとき自分の故郷はとてつもなく田舎なんだなぁと思った。

家族構成は、父、母、僕。

父はサラリーマン、母は専業主婦、そして僕は一人っ子。

裕福でもなく、でも貧乏でもなく、どこにでもある普通の家庭だ。

 

父は大阪の出身で、就職時に岡山にやってきた。母は生粋の岡山人。一緒に暮らすことになるおばあちゃんは父方になる。

 

僕が住んでいた市には高校が3校しかなく、普通科はそのうちの1校の○○高校。

隣の市は大きい市で、電車に乗ってその市にある高校に行く事もできたが、○○高校と比較して学力的に大差ない高校ばかりだったし、電車で通学するのが面倒だったのでこの選択肢は除外。

ということは必然的に僕の進路は高校まで決まっていた。

 

父・母
お前は○○高校に行くんだぞ。

そして両親の引いた線路に乗り○○高校へ無事進学。

 

 

前述の通り、岡山の田舎に育ったため、周りの人たちはとても地元志向が強かった。

 


高校の先生
みんな岡山大学を目指そう!


と、常日頃から言っていた。

実際岡山大学もそうだし、中学四国地方の大学に進学する人がとても多かった。

そして仮に大学は県外だとしても、Uターンして県内で就職する人も多かった。

僕は実家が嫌いではなかった。むしろ居心地も良かった。

父は仕事が忙しく出張ばかりで家を空けることが多かった。

母も専業主婦で常に家にいるけれど僕にはあまり干渉してこなかった。

我が家はみんな適度な距離を保っていた。だから居心地が良かった。

 

僕は岡山も嫌いではなかった。

確かに田舎だが、都会への憧れもあったが、岡山を嫌いになる理由はなかった。

 

岡山大学だってそれなりに頭のいい大学だと僕は認識していた。

仮に岡山大学のレベルに不満があったとしても隣県の広島大学を目指せばいいと思っていた。

 

ただし父は別。

いつまでも岡山にいてもおもしろくない。だから大学は必ず県外にすること。もちろん関西圏で。
オッケー!岡山はおもしろくないから関西圏の大学に行くよ!

 

 

(…岡山の人、おもしろくないとか言ってごめんなさい。笑)

 

段々僕は、

岡山=おもしろくない、県外=おもしろい、関西圏=特におもしろい

みたいな思考回路に陥りました。

父にうまく洗脳されたという表現でも間違いないでしょう。

 

そして見事、滋賀県にある私立大学への進学が無事決定!

ここまで順調に親の敷いた線路を走ってやりました。

 

・卒業、そして大阪へ

高校を卒業し、3月は着々と引っ越しの準備やら友達たちとの思い出づくりやらに明け暮れた。

幼馴染たちはほとんど地元の大学に進学が決まり、地元を離れるのは僕ぐらいだった。

地元を離れるといっても、これからはおばあちゃんの家に住むわけで全く知らない土地ではなかったのでそんなに不安や寂しさはなかった。

加えて高校時代の仲良かった友達が4人も関西圏の大学に進学することになり、より不安や寂しさはない要因だった。

引っ越しの準備も、家電のほとんどはおばあちゃんの家にあるし、僕が持って行くものはテレビ、パソコン、ゲーム、本、服ぐらいだった。

随分お気楽な引っ越しだ。

 

そして3月末、僕は実家を離れた。

父のワンボックスカーに荷物を載せ、片道3時間、祖母の家に向かった。

そして祖母との二人暮らしが始まるのであった。


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