小さい頃、父親と自転車に乗って火事を見に行った話
今朝、自宅の近くで家事があった。大きな通りの向こうの、そう遠くない住宅地から、もくもくと黒煙が上がっている。けたたましい消防車のサイレンが近所に響き渡る。
ひさしぶりに、火事の煙を見た。
ごくごく小さい頃のある晩、実家の近所で家事があった。この時も消防車のサイレンが近所に響き渡っていた。父と物見のために上がった二階の窓からは、そう遠くない西の空が紅く染まっていた。
しばらく、紅く染まる空を眺めていた。
それから下に降りていくと、母屋の隣の農機具倉庫である廃屋から、父が自転車を引っ張り出してきて僕に言った。
「おい、近いで見に行くか?」
なんだかすごい冒険に出るような気がして、父が引っ張り出した自転車の荷台に跨がった。
父はこの騒ぎで路上に出てきた近所の人々を掻き分け、紅く染まった西の空をめざして自転車のペダルを漕いだ。
僕は紅く染まった西の空とランニング姿の父の背中を交互に眺めていた。父の首筋には大きなほくろがあった。僕にもだいたい同じ場所にほくろがある。
10分もしないうちに火事場に着いた。旧道沿いの古い商店街の木造二階建ての、割合しっかりした造りの商家の屋根がぼうぼう燃えていた。商家の回りにはたくさんの野次馬が集まり、燃さかる火焔を眺めていた。
消防士が道に面した二階の雨戸を放水で吹き飛ばそうとしているのだが、なかなかに頑丈そうな木製の雨戸はびくともしない。跳ね返った水がばちゃばちゃと野次馬の頭に降り注ぐ。
「おー、こりゃいかん。少し下がらにゃ。」
と、回りの人は言うが誰一人下がらない。
業を煮やした消防士が商家の二階の庇にはしごをかけてよじ登り、あれは何と言うのだろうか、鈎付きの棒で雨戸を窓枠から引き剥がそうとした。二、三度バンバンと雨戸を叩き、縁に鈎を引っかけそれを引き剥がした瞬間、軒の下から火焔が吹き出し、消防士が庇の上でよろめく。
「おおっ、、、」
野次馬がどよめく。すぐさま引き剥がされた雨戸よってできた二階の窓口にホースの水が降り注がれる。火勢がだんだん弱まっていく。
「まあ、でも全焼だの、こりゃ。」
と、野次馬の中の誰かが言うと、それが合図になったかのように野次馬たちは三々五々消えていった。僕も父が引く自転車の荷台に跨がったまま家路に着いた。
「ぼうぼうだったね。すごかったね。」
僕が少し興奮して言うと、父は頷いた後で言った。
「うん、でも火のことは気を付けんとね。」
家に着いたが、玄関の戸は開かなかった。父と一緒に戸をどんどんと叩くと、すりガラスの向こうに現れた母が言った。
「人の不幸を面白がるような人らは入らんでいい。」
父は苦笑いして戸を少し叩いたが、すぐに諦めた。父としばらく近所を自転車で走り回って時間を潰した。夜遅くの徘徊もそれはそれで面白いと夜空を眺めながら思った。
その後、どうやって家に入れてもらったかは覚えていない。
今でも火事場にはこんな野次馬はいるんだろうか。
当時の父くらいの歳になった僕と、当時の僕くらいの歳になった息子は、窓から黒煙を眺めていただけだった。
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