中卒女が、スナック〜高級クラブで時給6000円稼ぐキャストになるまで。

もっとお金が欲しい。すべてはそこから始まった。






我が家は、収入源がない。なぜならば父もいない。母も病気で働けない。



唯一の収入源は、母子家庭が受給できる、母子児童扶養手当の月に40,000円ちょっとだけである。



40000円で、どーやって、15歳まで一家で借金もせず暮らしてこれたかと思う人はいるだろう。



家賃は母の叔母のところに一家で居候していた為、かからなかった。



叔母と生計は別だったので、食事は、自分たちで用意するしかない。



米は、母の実家が古米をいつも持ってきてくれた。あと、日持ちする、ジャガイモは、土嚢袋にいつも持ってきてくれた為、大幅に食費が減らせた。



洋服は、家のお金で買った事は15歳まで一度もない。



父方の実家に、長期休みがあると遊びにいき、貰ったお小遣いから、衣類を購入したり、可愛らしい文具を買ったりした。



今、思うと、子供と年越しをしたかったであろう病気の母を置いて、お金欲しさのために残酷なことをしたと言う気持ちがあるが、致し方なかった。







そして、中学3年生になり、冬休みは友達のお母さんが働くスーパーで、レジ打ちのバイトをさせてもらい8万も稼ぐ出来事をきっかけに進学せず就職することを決定した。







卒業して就職した、電子工業では、米粒ほどの電子部品を流れ作業で埋め込んでいく。







就職に夢をみて、卒業したにもかかわらず、黙々と部品を埋め込んでいく作業には耐えられず、そちらの電子工業は、半日で辞めてしまった。







そして次にガソリンスタンド就職した。



この地域でも、かなり厳しい接客を行うスタンドであった。



車が入ってきたら、大きな声で、いらっしゃいませーーー!!!と声を張り上げた。



オーライオーライ、はいオッケーです!



っといった感じで、次々と接客をしていく。



声が少しでも小さかったりしたら、店長から怒号が飛んできた。



でも私はこういった体育会系の仕事が、合っていて、自分の成長を感じることができて、すごくやりがいがあった。



ガソリンスタンドにもノルマがあり、お客様会員カードの取得件数や、水抜き剤の売り上げ等があった。そして洗車の売り上げも評価基準になった。



自分のレジとお釣り5万円を持たされ、帰るときに売り上げとお釣り計算が合わないと、罰金で自分のお金を持ち出して会社に渡さなければならない。



店長の怒号と、罰金は日常であった。



でも、他を知らない私は、接客とは、1つ間違うと責任重大で怒号や叱責される仕事なのだと思った。



洗車機から上がった車の室内洗車は15分で終わらさなければならない。



掃除機による室内清掃、マット洗い、室内窓吹上、タイヤ磨き、最後に車体吹上。



急いで行うが、窓ガラスが雑に吹き上げてたりしたら、また怒号がとんでくる。



次は気をつけてな。なんと甘優しい言葉で言われた事などない。



てめー!このバカ野郎ーー!っと同じく中卒のヤンキーあがりの25歳くらいの店長が、これでもかって程の大声で怒鳴りちらすのである。



いつも怒鳴り終えた後は声がかすれてる。



でも、私は、誰に対しても100%の接客で!っという姿勢の高さと、社員の士気も高い、このスタンドが大好きだった。



とにかくこの厳しい会社に勤めたおかげで、失敗に向き合う大切さを覚え、素直に反省し次にチャレンジする精神を身につけられた。



感謝である。







そして、そのころ、叔母の家から独立し、アパート暮らしになっていたので、家賃や光熱費がかかるため、ガソリンスタンドだけの給料で到底足りず、夜は近くのお好み焼き屋さんでも働いた。



店主が、いつもお好み焼きを賄いで食べさせてくれた。店主はお爺ちゃんで、すごく優しかった。







そんな時、地元の1つ上の先輩から、友達のお母さんが経営しているスナックで時給1500円でお手伝いをしないかと言われた。







その頃、ガソリンスタンドが時給700円、お好み焼き屋が時給800円だった私には破格の値だった。



すぐ働きたいとお願いした。







先輩の友達は隣町では知らない人がいないほどの伝説のヤンキーだった。



頭は白に近い綺麗な金髪。



蛇のような鋭い目つきで、睨まれたら凍りつく。



先輩のお父さんは、そこの街のヤクザの親分さんと筋金入りのヤンキーだ。







ここで、ガソリンスタンドで働いた礼儀が役にたち、元気と明るさの人柄をかってもらい、先輩にも気に入ってもらい週末だけのお手伝いが始まった。







初めてのスナック。



緊張した。



今思うと、ホステスには程遠い出来の悪さだったと思う。



ママ含め10人のホステスがいて、なんの会話をしたか覚えてないが、カラオケで盛り上げたり、1つ1000円のウィンナーや卵焼きをおねだりして、売り上げを上げて、裏でおつまみを自分で作ったりしていた。







そこで、タカさんという女性が働いていた。



極道の妻であった。



すごく、先輩と同じ鋭い目つきをしている。



タカさんにも何故か可愛がってたもらい、私に、いろいろ教えてくれた。



タカちゃんは、店に来なくなっては困るからと、店外デート禁止だと言った。



タカちゃんは、とても硬派で、「身体を貼るな。枕営業するな。親から貰った自分をとにかく大切にしろ」と教えてくれた。



目先のお金欲しさに自分を安売りして、身体を張るんじゃないと。



また、お酒を飲んで接客するなとも言われた。



もちろん16歳だったのもあるが、今後も、水商売を続けていくなら、仕事中は酒を飲むなとキツく言われた。




接客をお酒の力を借りてしてしまうと、いずれ、飲まないと、お客様と会話できなくなる。そして、身体を壊して辞めた人間をみていたタカちゃんは、私に、お酒を飲まないでも場を盛り上げろと話してくれた。




そのタカちゃんの教えが原点となり、以後ずっと心得て働いた。







それから昼間の仕事だけで生活できるようになるまで、二足のわらじで、せっせと働き、水商売を初めて8年ほど、私は地元で有数の高級クラブで働いていた。

クラブでは、とにかく、お客様との空気を読むことが大切だった。

がむしゃらにベラベラと、喋れば良い訳ではない。

何のお仕事してるんですか?何歳ですか?など、初対面からの質問責めはNGである。

膨らまない話しは、すぐに切り替える判断も必要だ。

とにかく、接待の上座に座って入りお客様を中心に会話を盛り立てる。

初対面の場合、話すきっかけを作るために、ニュースは多少知って無いとならない。また流行り物についても話題性作りに勉強した。

そして、コミニュケーションが取れて来た頃 お客様が、私への関心が見えて来たら、昼間は会社員で働いてる旨を話、さりげなく日中は忙しいアピールをする。


下心があるお客様は、ここで、バッサリと切られるが、単なる店の中だけでのお付き合いのお客様には、指名が貰えた。


一か八かのふるいにかける事が重要で、下心がありそうなお客様には、そもそも指名が取れなくても仕方ないなと思って働いた。


私のお客様は、女の子目的ではなく、付き合いで来られる方や、接待の医師などから指名をもらう事が多かった。


アフターも、同伴もできない私は、メールだけはこまめにした。


今日は、暑いですね〜 や、

昼間の仕事でヘマしちゃったーなど。

そして、聞かれてもないのに

明日は、恒例の母の病院に見舞いに行って来ますっ〜などメールする。

メールのおかげで、お客様が休みの日のデートに誘ってきても、前に言ったじゃん。その日は、お母さんの外泊なんだ。と断りやすくなる。

実際、嘘ではなく、本当のことだから、そんなに罪悪感もない。


メールを事前にしてないと、真実なのに見え透いた嘘ついて断られたとめんどくさい事になる。


メールは短文であったが、断りやすくする為と、コミュニケーションで、いずれか収穫(指名)が取れるかも?と、種蒔きだと思い、小まめにメールを送った。


そんな感じで、いつもNo.2か、No.3になれるまでになっていた。


私のお客様は、そんなに、色恋を目的としていない方が多く、終点がないため、長いスパンで通ってくれた。

最後のクラブでは、最低時給は、3500円で、2週間の合計指名本数わ、出勤日数で割り、1日の平均指名本数で時給が変わっていくスライド制だった。


例えば、指名が2週間に10本でも、出勤日数が5日だと、平均して1日2本の指名比率になり、時給は3500円。指名が2週間に10本で出勤日数が2日だと、1日の指名比率は5本になり、時給は4000円といった感じで高くなる。


28歳を過ぎたころ、私は昼間の会社を転職して、残業も22時近くなる事が多く忙しい毎日を送っていたのと、昼間の会社の給料だけでも、歩合給のおかげでかなり稼げる事もあり、お店の出勤日数は月に2回行けば良いほうだった。

(本来は月に2回など、御法度だが、特別待遇として、出勤していた)


もちろん、お店に行くときにお客様に連絡すると、10本くらいの指名が入る。


指名比率なので、出勤日数が少ない私は最高時給6000円で働かせていただき、こうして水商売のラストを迎えた。

ラストの日は、誕生日と同様、沢山のお客様と、花に囲まれ、長い間、お疲れ様と昼間働いていた不動産会社の社長まで駆けつけてくれ涙ながらにネオン街を後にした。 


本当に忙しい身だった為、お客様と映画すら行ったこともない。


たまに、誕生日近くになると、勝って欲しいものはあるか?と聞かれて、現地集合、現地解散方式で、電気屋にいったり、デパートにいったくらいであった。


あとは、数ヶ月に1回、店の前にファミレスにいくくらい。


それでも、飽きる事なく、私に、指名をいれてくれるお客様は、どの方も良い人が多く、純粋に私を応援してくれる方ばかりだった。


本当に、今でも、体調に気をつけているかな?などと、幸せな人生を送って欲しいと心から思っている。


働いている間、本当に楽しい時間を過ごせてくれた沢山のお客様に感謝し、いつか、また、お金と時間に余裕がでたら、私は場末でも良いのでスナックを開き、恩返しができたらと思っている。




※※※※※※※※※※※※※※※※※




長くなりましたが、読んでくださりありがとうございます。




水商売は、どうしても身体を貼るイメージがつきものです。


仕事の固定観念は人それぞれですので、決して身体を張ってる方が悪いとも否定もしませんが、私のように身体を張らずに仕事をしている方もたくさんいて、逆に、お客様と恋人同士になったり結婚したキャストはいましたが、お客様に身体を張ってまで、指名を貰っているキャストは私の周りには殆どおりませんでした。


(たまたま、そういうお店だったのかも知れませんが)


生活をする目的のため、どうしても働かなければならず水商売の道へ進みましたが、心構えをしっかり持つことで危険な目に会う事もなく逆に社会的地位のある方に、たくさんの社会勉強をさせてもらったと思います。

読んでいただきありがとうございました。




著者の稲山 洋子さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。