安定を手放し、起業・独立した女性の想い

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私が安定を手放して、いまの仕事で起業した「想い」を書き綴ったものです。


現場の医師及び医療従事者たちと創りあげたリウマチ患者さんの幸せ


画期的な関節リウマチの治療薬が発売されたということで、困っている患者さんそして、その家族たちの「豊かさ」を届けたく田辺製薬に入社。


この画期的な新薬のおかげで、リウマチの治療が大きく変わり、医療現場は希望に満ち溢れている一方で、現実は高額で副作用の多い薬剤への不安、抵抗、そして戸惑いがとてもあり、門前払い、挫折の繰り返し。

その中で、医療現場で一番の問題となっていたのはいかに患者さん、そして医療機関での負担が少なく安全に使っていけるかということ。

各医療機関のニーズや課題を聴きとった上で、それら一つ一つを解消していくことが仕事の中心。

また、私も医療チームの一員として、お互いを信頼しあい、ディスカッションを重ね、3年かけて地域での基幹病院と開業医の連携体制ができたときには、ただでさえ日常動くのが困難なリウマチ患者さんが遠方の病院までいかないで良くなり、また治療されぬまま放っておかれなくなったときには、感無量でした。


わたしの人生を変えた静岡への転勤

会社の合併に伴い旧ミドリ十字の薬害エイズ問題を背負うことになり仕事の内容が「謝罪」中心となる。

そのタイミングで、これまでの業績を評価され、地元に近い静岡に転勤となる。リウマチの治療薬から少し離れ、エリアの新規開拓要因として。

急激に変化する環境に、戸惑いながらも「期待に応えるべく」売り上げを作ることに必死に頑張る。しかし、私の意気込みとは裏腹に空回りする日々、焦り自信をなくす。

そんな時に、合併会社側の子会社の不祥事にて業界で初めて業務停止となり、私の中で「働く目的」を見失う。


その矢先、1年でエリア交代の辞令により、関節リウマチの中心医師を担当することになる。

願ったり叶ったりのチャンスから、それまでの1年の学びを活かしていく活動を意識。


それは、「期待に応えないと」というプレッシャーから、実績を作るために「売ろうとして」焦っていた私がいて、本来大切にしていた「人としての信頼を構築すること」を見失っていた、ことをきちんと受け止めて繰り返さないということ。


しかし、現実はそんなに甘くありませんでした。

営業所としてだけでなく、支店、そして本社の対応を必要としているその医師に対し、急に手のひらを返したように周りのサポートが無くなる。

そして、上司やチームリーダーの心ない、理不尽な対応に日々悩まされる。

上司、チームリーダーと心からの本音の会話を試みるも、濁されかわされるまま半年近く経ったあるとき…、

私にその医師を担当させた理由が、「今後、業界的に接待ができなく中で、○○先生の接待や無理難題な要求をいきなりは断れないから、女性に持たすことで少しずつ関係を断っていきたいから」と言われ…


「ガラガラガラーッ」と、私の中で何かが崩れ去ったのを感じたのをいまでも鮮明に覚えてる。

「わたしの存在価値って一体?」。

この一言は、わたし自身を否定されたような絶望感を覚えました。


そこからは、一人の人として認めてもらうためにも、がむしゃらに働き、周りから認めてもらおうと頑張る。

弱音なんて吐いてはいけない…。

多少しんどくても、無理すればできるし、言われた以上のこともできる。

辛くても頑張れば乗り越えられる、だから頑張る。


でもそんな日々は、長くは続きませんよね…。

人から認められることで承認欲求を満たし、同時に払った代償として、自分らしさを失っていたのです。

自分と、そして相手とのコミュニケーションのバランスが取れなくなり、心身ともにクタクタになり、その結果、鏡に映る自分の顔が認識できなくなる。


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