2015年12月 ばあちゃんの入院

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前編: 2014年9月 帰省 果たして許すとは何か?
後編: 2016年4月4日 滞在リミット4時間で地元警察のお世話になる


2015年は10月に帰省した


今回初めてばあちゃんの死のイメージが自分の中に入って来た。

今までは「絶対先に死んで、ばあちゃんのことをじいちゃんと一緒に迎えに来る!」とずっと思っていた。

私が小さい時から狭心症のばあちゃんに

「10年でもの20年でもいいから私の寿命を分けて下さい」とお願いしてきたから大丈夫だと思っていた。

「ばあちゃんとはずっと永遠に一緒にいられる」と思っていたので、初めてイメージが入って来た時は、とても苦しくて混乱した。

じいちゃんのお墓詣りをしてからばあちゃんの家に行ったら、病気で10キロも痩せたそうだ。

ショックで抱きしめられなかった自分がとても情けない。自分の器の小ささを実感した。今は元気になって毎日どこかしらに遊びに出かけているらしい。

健康長寿の意味を持つブレスレットを購入して行ったのだが、ばあちゃんの腕にはキツくて、自分のブレスをその場で壊してビーズを置いて来た。

ちょうどばあちゃん家に行く前に天神山の神社で私のブレスを清めてから行ったのだ。それにこのブレスは普段から神田明神で清めている。きっとこの水晶なら、ばあちゃんのことをこれからも守ってくれるに違いない。



妹がブレスレットを作れるそうなので、妹にばあちゃんのブレスをお願いした。テグスはそんなにお金はかからないが

「お金が必要なら払うし、やりたくなかったら持ち帰ってお店の人にお願いするけどどうする?」と確認した。

「直す」と言った妹の言葉を信じてお願いした。


母親とも状況的に話をした「今は大分楽に生きれるようになった」と言っていた。

少なくとも自殺願望を抱えているようには見えなかった。

妹がボソッと両親に対する本音をぼやいた。

「こんなこど(震災)でもながったら、ずっとまどもな家さ住めながったべな。」

つまり「貧乏でボロい家から復興住宅と言うまともな家に住めるようになるよね」と言う意味だ。

(※来年、復興住宅に住む予定らしい。)

それを分かっている上で妹は親と一緒に住むようだ。言い方を変えれば断ち切ることのできない共依存の関係に抗えないでいる。これに関しては何度も考察したことだった。


私があの家を出た後で父親の暴力の矛先が妹に向いたのに妹も母親も「警察に電話をする」と言いつつも実行に移さなかった。妹は高校を出た後で自分の意志であの家を出ることができたはずだ。

(※一時期は他の県に住んでいたこともある)それをせずに親と同居していることについて、PTSD時の担当セラピストに話したことがある。

「妹さんはまだ親から愛情と言う名のミルクをもらえると無意識に思っているのですね。」と言われた。無意識の支配と服従。目には見えない強固な鎖。両親と妹は今も互いを不自由にし合っている。


一時期はそれに危機感を抱き、何とか両親から妹を救うことはできないかと色々思案した。

本家の叔母さんに「妹がまた虐待されるかも知れないので妹のことを守ってください」とお願いしたこともあった。

しかし私の懸念は届かなかった。

私よりも先に自分たちが両親に虐待を受けたと気づいた時の妹は、一体どこに消えてしまったのだろうか?


私は親と同居なんてできない。肉体的にも精神的にも死と直面するような環境に再び身を置くなんて、考えられない。きっとできないと思う方が健全なのだ。




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