【合格体験記】学年最下位から全国模試で1位になって京都大学に合格した話

1 / 14 ページ

「ほら、あれが京都大学だよ。頭のいいお兄ちゃんたちがいっぱいいるんだよ。」


父は僕にそう言って、京都大学を指さしました。


指の先には、「○○を許すな!」「××反対!」「△△を弾劾せよ!!」と書かれた真っ赤な看板がいくつもいくつもありました。


「京都大学には左翼で過激な人もいっぱいいるんだよ。」


当時、まだ小学6年生だった僕には「弾劾」も「左翼」も「過激」も、意味が分かりませんでした。


(なんか、こわいな…)


これが、僕と京都大学との、最初の出会いでした。




この時は、誰も想像していませんでした。




この1年後、英単語のchairが覚えられず、泣きながら勉強し、


この3年後、女の子にラブレターを渡して「ごめんなさい。」とフラれ、


この6年後、大学受験に失敗し、


そして7年後、京都大学に合格しているなんて……






これから、


すべての受験生とその保護者に、


リアルな私の合格体験記を記します。






==========


=======


====




=====【①】鳴かず飛ばず=====

小学校を卒業した後、僕はとある中学校に進学しました。



地元の中高一貫の進学校でした。


しかし、中学受験なんて、しょせん親がどれだけ教育にカネをかけたかという試験。




僕は中学校に入ってから、大していい成績は取れませんでした。


(中高一貫のことを「チュウカンイッコウ」だと思っていたぐらいですから)




入学直後、僕は校内で開かれた相撲大会で優勝し、


柔道部のコーチからスカウトされました。



スカウトされたことで調子に乗り、


「僕には柔道の才能がある!」


と勘違いして、


僕は柔道部に入部しました。




柔道部のコーチは体育大学出身。ゴリゴリの体育会系。


もともと日本を代表する柔道の選手で、


国際大会に出場しないと使わない青色の柔道着を持っていました。




当然、練習は「超」がつくほど厳しい。


生意気だった僕は顧問に「可愛がって」もらいました。




部活漬けの日々。


汗を吸いまくった柔道着を持って帰り、


風呂に入り、飯を食べて、宿題もそこそこにすぐ寝る…


きちんとした勉強なんて、する余裕はありませんでした。






特に、きつかったのが中学2年生のとき。


はちゃめちゃな特訓を受け、


大会の2日前に左足が「蜂窩織炎(ホウカシキエン)」という病気になり、膨れ上がりました。




これはほっておくと膿が皮膚を突き破るという病気で、


柔道の練習による過労が原因でした。



ストーリーをお読みいただき、ありがとうございます。ご覧いただいているサイト「STORYS.JP」は、誰もが自分らしいストーリーを歩めるきっかけ作りを目指しています。もし今のあなたが人生でうまくいかないことがあれば、STORYS.JP編集部に相談してみませんか? 次のバナーから人生相談を無料でお申し込みいただけます。

著者の篠原 好さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。