【合格体験記】学年最下位から全国模試で1位になって京都大学に合格した話
「ほら、あれが京都大学だよ。頭のいいお兄ちゃんたちがいっぱいいるんだよ。」
父は僕にそう言って、京都大学を指さしました。
指の先には、「○○を許すな!」「××反対!」「△△を弾劾せよ!!」と書かれた真っ赤な看板がいくつもいくつもありました。
「京都大学には左翼で過激な人もいっぱいいるんだよ。」
当時、まだ小学6年生だった僕には「弾劾」も「左翼」も「過激」も、意味が分かりませんでした。
(なんか、こわいな…)
これが、僕と京都大学との、最初の出会いでした。
この時は、誰も想像していませんでした。
この1年後、英単語のchairが覚えられず、泣きながら勉強し、
この3年後、女の子にラブレターを渡して「ごめんなさい。」とフラれ、
この6年後、大学受験に失敗し、
そして7年後、京都大学に合格しているなんて……
これから、
すべての受験生とその保護者に、
リアルな私の合格体験記を記します。
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=====【①】鳴かず飛ばず=====
小学校を卒業した後、僕はとある中学校に進学しました。
地元の中高一貫の進学校でした。
しかし、中学受験なんて、しょせん親がどれだけ教育にカネをかけたかという試験。
僕は中学校に入ってから、大していい成績は取れませんでした。
(中高一貫のことを「チュウカンイッコウ」だと思っていたぐらいですから)
入学直後、僕は校内で開かれた相撲大会で優勝し、
柔道部のコーチからスカウトされました。
スカウトされたことで調子に乗り、
「僕には柔道の才能がある!」
と勘違いして、
僕は柔道部に入部しました。
柔道部のコーチは体育大学出身。ゴリゴリの体育会系。
もともと日本を代表する柔道の選手で、
国際大会に出場しないと使わない青色の柔道着を持っていました。
当然、練習は「超」がつくほど厳しい。
生意気だった僕は顧問に「可愛がって」もらいました。
部活漬けの日々。
汗を吸いまくった柔道着を持って帰り、
風呂に入り、飯を食べて、宿題もそこそこにすぐ寝る…
きちんとした勉強なんて、する余裕はありませんでした。
特に、きつかったのが中学2年生のとき。
はちゃめちゃな特訓を受け、
大会の2日前に左足が「蜂窩織炎(ホウカシキエン)」という病気になり、膨れ上がりました。
これはほっておくと膿が皮膚を突き破るという病気で、
柔道の練習による過労が原因でした。
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