「許すこと」についての再考察

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前編: 2016年4月4日 滞在リミット4時間で地元警察のお世話になる
後編: 「児童虐待」は時代の変遷と共に淘汰される可能性を秘めている

その後1年あらゆることから「許すとは何か?」について考察し続けた

地元警察にお世話になった時期を前後して私にとって信じられないような許せないことに遭遇していた。自分の常識や理屈からは理解できないことが起こったが、その対象を非難したりすることでは何の解決にも繋がらないことは実感していた。

心理学に関心のある人にとって当たり前の概念となるが「許せない」ことは、実はその対象となる出来事や人物に対してではなく「そういう経験をした自分を許せない」と心の奥深くでは思っていることになる。

意識の表層では「あんな出来事は許せない」「あの人にされたこと・あの人のしていることが許せない」と思っていたとしても、

心の奥では

「その経験をしてしまった自分自身が許せない」

「許せないと思っている対象や人物を許し切れない自分を許せない」と自らを責め続けているのだ。

その後の1年間は徹底して「許すこととは何か?」について考えた。色々な人の書いているブログを見たり、テレビや映画、本などでも「許すこと」についてヒントになると思ったことや、逆に「許せない」ことで自らを見失ったり破滅する作品にも目を向けるようにした。


逆説的だが「もしかして親から慰謝料をもらってもいいのかも知れない」と初めて思ったのもこの時期だった。きっかけは3つある。

1つは帰省する度に「お金がないから」と言いながら5千円を渡されるようになった。正直1万円も5千円も千葉からの片道の交通費にもならないし受け取ってもさほど意味がないのだ。

しかし慰謝料のつもりで渡しているのなら今後受け入れよう思っていたが、ある日普通の子供に対するお小遣いのつもりで渡していることに気がついてしまった。

つまり自分たちが虐待をしたことを全く自覚していないのだ。


2つ目は母親が定年退職をしたと言っていた時に父親の方が年上なので

「これからうちの稼ぎ手は妹しかいない」と言っていたことに危機感を感じた。

妹をどれだけ搾取すれば気が済むのか?妹の人生の自由をこれからも奪い続けるつもりなのか?

以前調べたことなのだが母親から虐待を受けた方が母親の死後に残った借金の返済までしたと言う話や、虐待した親の介護をした人の事例などがあった。

正直今の私にはそこまで考えられない。自分たちの人生の尻拭いは自分たちでしてもらいたい。彼らが借金を残しても代わりに返済したくはないし、自分たちの命の後始末も彼ら自身ですれば良いと思っている。


そして3つ目は彼らは本当に馬鹿なのだ。仮設住宅にあったパソコンはインターネットに繋いでいない。誰かに手紙を書く時に文章を打ち込みプリンターで印刷をするためだけにパソコンを使い

「古くなったから買い替えたい」などと言っていた。

今時パソコンをネットに繋がないのは信じられないし、そんな無駄な使い方をするためにお金を使う人たちは無駄に負債を抱える危険性がある。

児童虐待の損害賠償の事例として思春期の性的虐待に対する慰謝料が三千万円という事例がある。

それを考えると今後の彼らの人生や彼らの負債に対してこちらが責任を負う必要はないし、負債を抱える可能性を未然に防ぐために「慰謝料を請求します」と言って、彼ら自身で生活を送れるように働く意識を持たせた方が良いのではないか?

実際に訴訟を起こすことは、そこに費やす時間やお金と共に精神力・気力・体力の負担も含めて私にはあまりメリットを感じないのだ。「自分たちの人生を自分たちで生きてください」と言う意味で「慰謝料を請求する権利はある」と言ったらどうか?とも考えてみた。



…津波が来た時、隣家の2階まで波が来て隣の家のお母さんが亡くなったり、多くの罪のない人々の命が奪われたと言うのに、私の両親は長年虐待を繰り返してきたにも関わらずどちらも生きたと言うことは

「彼らにはこの世に留まってまだ何かすることがあるのかも知れない。」

そう思わなければ、どうしても自分の中で辻褄が合わない。

彼らがこれからも生きることに対して肯定する。

むしろ私がこのように「虐待されたことを多くの方の目に触れられる形で公開している」と気づいた後も彼らが生きることを望む。

「死んでお詫びします」などと言うことがあれば、それは保身であり逃げの口上でしかない。

彼らがこれから死を選択したとしても私が虐待された事実は覆らない。

失われた時間も傷つけられた多くの尊厳も決して変わることはないのだ。

「生きると言う形」でこれからの人生をかけて一生罪を償って欲しい。

または事実を否定して生きようとすることも、彼らにとっては1つの人生の選択かも知れない。


※東日本大震災で多くの方の命が失われたことについて

私も被災地出身者ですので沢山の知人・友人を亡くしました。とても悲しく痛ましい出来事であったと、今も心から思っております。

上記のことは自分が虐待を受けた両親を許すための気持ちの落し処であり、

「被災されて命を奪われた多くの方の人生がこの世に必要なかったと言う意味ではありません。」

上記の文章を読まれて不快になった方がおられましたら、配慮が足りず誠に申し訳ございませんでした。





そして私には「どうしても許せない」ことがあった。


Aちゃんが自殺後に親族が彼女にしたことを自分の死後にされたとしたら「私は絶対に許せない!」そう思い続けてきた。



児童虐待可視化プロジェクトで写真家長谷川美祈さんに取材・撮影を受ける中で私が1番悩み迷ったことは、自ら命を絶ったAちゃんとMちゃんの人生に触れるかどうかだった。

1度目の取材では彼女たちのことはほとんど触れなかった。長谷川美祈さんを信用していないのではなく、亡くなった子たちのプライバシー、広義では残された遺族のプライバシーをも含めて考えると伏せた方が良いのではないかと考えたからだ。

取材を継続的に受けて行く過程で彼女たちのことを伏せたために長谷川美祈さんに誤解を与えてしまっていた部分に気がついた。

「真摯に現実と向き合い真実を突きつめられている方に対して失礼なことをしてしまった」と感じた。

それでも「彼女たちのことを話した方が良いのか?」「話すとしたら、どこまでが妥当なのか?」を何度も何度も繰り返し自己に問いかけ続けた。


なぜなら彼女たちに確認したくても、二人とも、もうこの世にはいないのだ。



AちゃんにもMちゃんにも話したいこと・聞きたいことはたくさんあるのに、それは叶わない。



死んでしまったら、どんなに言いたいことがあっても伝えられない。



真実を語れるのは、生きているからこそできるのだ。





言える範囲で彼女たちのことを長谷川美祈さんに伝えた。

あくまでも自分の主観でしか伝えられない。

そして私はAちゃんの自殺後に親族が彼女にしたことを改めて「許せない」と強く感じた。


残念だが自分の子供に虐待をしても、自らの子を虐待死させても、そしてAちゃんの様に虐待が引き金となって我が子が自ら命を絶ったとしても、虐待を悪いと思っていない・自分なりに子供を愛したと思っている親もいるのは事実だ。

そう認識するのは虐待した親自身の生育環境まで追って掘り下げることで原因となる事象が予測できることもある。

以前の記事で触れたように我が国においては「家父長制」の影響により家庭環境の中で児童虐待を温床する背景があったと厚生労働省がホームページで明記している。

一筋縄ではいかない家庭環境と言う複雑な無意識の構造が深く影響を与えているのだ。

そして同時に「もうこのような理不尽な構造の弊害で大人自身も苦しむ必要はないし、


「何よりも未来を担う子供たちが苦しめられたり命を奪われる必要はない」

と、現在の大人を含めた多の人々は気づき始めているのではなかろうか。





私はどうしても知りたかった。Aちゃんが死後に親族にされたことを今、どう思っているのか?



私なら死んだ後にまでそんなことをされたら絶対に両親も妹も許せない。

「最後の最期まで理不尽なことをされて絶対に許せない!」





彼女の人生の尊厳を奪い、彼女の精神を破壊し、彼女を死に追い詰めた後も人としての尊厳とその存在を最期まで否定した行為を許せない!



AちゃんもMちゃんも今は穏やかな場所で過ごしていて欲しいと願いつつ…

特にAちゃんの死後にされたことは許せないが「このような事実がある」と伝えていいのか確信が持てなかった。きっとAちゃんと同じように言葉にならない声に出せない死後の理不尽な扱いを受けた子供たちは、目には見えないだけで、たくさんいるだろう。

ニュースや新聞記事にさえならない死後の扱いについて、どんなに悔しくても悲しくても死んでしまった子供たちは何も言えないままなのだ。


声にならない子供たちの声を、一体誰がどのようにして形にしたら良いのだろうか?



私には霊感がない。

しかし、どうしてもAちゃんに聞いてみたかった。

有名な霊能者を探して聞いてみようかとも思ったのだが

Aちゃんは私にとって大切な妹のような存在だった。私にとってかけがえのない存在だった。

「自分で彼女に問いかけてみよう」そう思った。


自分自身の深い意識を探るために独自の方法でダウンジングを活用したことはあるが、ある本にダウンジングは交霊術だと書かれていたのを読んで以来、独自の方法でするのは良くないと思い活用していなかった。

みんなの読んで良かった!

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