多文化共生のための活動の現状は任侠道のようだという話

その良し悪しはさておき、日本の多文化共生のための活動の現状は任侠道のようだと思う。それは高倉健の網走番外地の見過ぎということではない(いや、少しある)。

任侠道の起源は古代中国の侠客にまで遡る。広大な中華において、中央政府の警備と管理が及ばない辺境の地では、馬賊強盗の類いが跋扈し、人々は自衛を余儀なくされることが少なくなかった。

このような社会の中で時の政府の支配に服することをよしとせず、自由な暮らしを求める人々は、好んで辺境を遊行し気ままな暮らしを送っていた。これが中華における侠客である。

その中でも特に有名なのは、漢の高祖(建国者)となった劉邦。彼は多くの手下を従える侠客であり、ある小さな町の亭長(宿場町の取りまとめ役)であったと史書は伝えている。

さらに、このような侠客の中でも、特に人々に請われて時折来襲する馬賊や盗賊に立ち向かった者たちのことを武侠と呼ぶ。これは平たく言えば「七人のサムライ」のようなもので、武侠をテーマにした映画や小説は現代中国でも人気がある。

それはさておき、話を古代中国に戻す。

諸子百家が自論を以て諸国を遊説した春秋戦国時代において、一際異彩を放っていた集団があった。墨子という男が率いる墨家である。

この墨家集団は、当時の知識階級である士大夫を中心とした儒家の徒党ではなく、宗教化した武侠の集団であったのではないかという説がある。

墨家の墨とは、当時の罪人の証である入れ墨をした人々をさすのだとか、知識階級のシンボルである墨をさすのだとか、諸説ある。おそらくその実態は、墨子という稀代の思想家に率いられた黥面(顔面に入れ墨を入れた)武侠の集団であったのではないか。後の墨家の集団死(守城戦失敗の責任を負って数百人の墨者が自らの命を絶った)の故事からも、その結束の強さと狂気がいかにも侠客らしい。

その墨家集団の思想の核は、兼愛、非攻、そして薄葬である。

兼愛とは、相互に愛するという意味ではなく、兼(ひろ)く愛するという意味らしい。当時よく知られていた儒教が説く仁愛とは、天子を頂点とし、各々が己の分を守るとこよって社会の秩序が保たれる中で施される愛であった。

墨家集団はこの強者から施される権威を帯びた仁愛を否定し、差別のない平等社会の実現を志向した。具体的にはどういうことかと言われれば、これはもう原典にあたってもらうしかないが、もともと儒者であった墨子の仁愛という概念に対する批判は峻烈である(これは世界最古のパターナリズム批判だろう)。

そして、非攻とはもちろん「攻めないこと」であるわけだが、これは非暴力主義を意味しない。むしろ、守るための武力については徹底的に研究を行ない、墨家が守る城は絶対に陥ちないと言われた。故に守城戦の失敗は墨家の存在意義を根底から覆すことになりかねないという事情があった。

中国の城というのは、日本の城廓のような武士団が立てこもる要塞ではなく、一つの町をぐるっと取り囲む壁そのものを指す。だから、功城戦となれば老若男女が城に籠った。だから、落城とはすわわち一つの町の全滅を意味した。

兼愛を説き、人による差別を排し平等な社会の実現をめざした墨家集団は、攻撃を受けている城市からの救援の依頼があれば、どこにでも出かけその城を守った。城が陥ちないことによって諸国の戦いを鎮め、そのことを通して平和を実現しようとしたのである。

ある教えを頑なに守るという「墨守」という言葉の語源はこの墨家による頑強な守城戦の故事に拠る。

そして、薄葬。

守城戦で命を落とした墨者への最高の礼遇はその遺骸を城壁の外に打ち捨てておくことであったという。祖先への祭祀の中でも特に葬祭に重きを置く古代中国にあっては、遺骸を放置するというこの薄葬という考え方はとてつもなく異様であったに違いない。

実際には伝染病の発生を防ぐために土中に埋められることもあったというが、基本的にどのような見返りも求めず、己の信念に従って戦い命を落としたとしても、その運命を従容として受け入れる。究極のボランティアとはこういうことかもしれない。

古代中国において、このように異様とも言える墨家集団は秦による中華統一後の焚書坑儒と内部分裂によって忽然と姿を消す。儒家のほうはその後復活を遂げるのだが、墨家は再び歴史の表舞台に上がることはなかった。

ずいぶんと長い話になったが、多文化共生と墨家集団をあわせて考えてみると、現代の日本社会における外国人とは、制度的な辺境に生きる人々であると言えるだろう。国家による制度的な庇護が行き届かずに、多くの問題を自助努力によって解決していかなければならない場面がしばしばある。日本語習得の問題ひとつをとってもそれは明らかである。

そして現在、そのような外国人支援の主体になっているのは、これまた制度化されていないボランティアと呼ばれる人々である(ちなみに、ボランティアの語源は義勇兵であることはよく知られている通り)。

差別を排し、平等な社会の実現をめざして無償で体を動かす。こういう意味で現在の多文化共生に携わるボランティアの人々は一種の侠客であるだろうなあと思っていて、僕個人としては多文化共生も兼愛と非攻、そして薄葬でやっていきたいと思う。

あとひとつ。

焚書坑儒によって一時衰退した仁愛を説く儒教は、その後復活を遂げたのに対して、なぜ兼愛を説く墨家は復活できなかったのか?

この点はよくよく考える必要があると思う。

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