元不登校生の生い立ち⑤

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よくある不登校生の話です。再びアルバイト編

(写真表現をするための道)


身寄りも何もなく、ただそこのカメラマンアシスタントの会社に入りたいというだけで、単身一人で東京から地方に移り住み、住んでから面接を受けて、運良くそこの会社に入った。


自分自身が感じていた通り、日本の閉鎖的で高圧的な社会に、古くからの職人的な世界なのか、理不尽に怒られ、性格までもを指摘され、自分を偽り続けて働かなければなかった。また、北の人間が西にやってきたため、方言も違ければ、性格的なものも全て違った。


そこの会社は、色んなカメラマンの下でアシスタントの仕事をする、いわば、派遣型のアシスタント専門会社だった。


なんで、東京から来たの?イギリスに居たの?なんで、東京のスタジオ受けないの?毎回毎回そんなこと言われていた。東京の方が、たくさんスタジオあるじゃん。なんで?と、そんなこと言われることが驚きだった。また、地方から地方にやってきて、イギリスに留学していたことも毎回ネタにされていた。それも、先輩方が新しく入ってきた子の情報を先回しに言っていたからだった。


わざわざ地方に来て、その会社に入ったにもかかわらず、東京でのスタジオを受けたい気持ちが鼓舞して、東京のスタジオに見学に行き、その会社の面接を受けようと、この会社を辞めようと、たった3ヶ月しか居なかった。その会社に。ただ、3ヶ月の間、怒涛のように色んなことを吸収した。


こんな自分を面白いと、思って面白がってくれる人も居た。シェアハウスでお世話になった管理の女性はとても良くしてくれた。一緒に住んでいた、みんなも仲が良く楽しかった。自分が落ち込んでる時も励ましてくれ、関西の人は本当に情に熱いんだな、と感じた。かなり怖いカメラマンの方も、自分を指名してくれて、色んな話をして、たった3ヶ月の技量しかないアシスタントに、最後にはお小遣いと言って、多めにお金を見繕ってくれた。


私がついたカメラマンは、ほとんどの人が厳しかった。事前な打ち合わせもなく、その場に居合わせて何をカメラマンが求めてるのか考えて、先回りして率先して小回りを効かせる、仕事だった。


「仕事はな、創意工夫が必要なんやで」

「小学生でもできることを、先にやるんだよ」

「猿でもできるよ、こんな仕事、けど仕事をする上で任せるのは、信頼やねん」


そこでお世話になった、カメラマンの方達の言葉が今でも忘れられない。


3ヶ月、あまり休みも休みと取れず、休みの間も自分は写真を撮る人間になるんだ、と言い聞かせてストリートスナップを撮りに行き、スタジオでも演習をしていた。


菜食の人間が、カメラマンに合わせて炭水化物で同じご飯を食べることが、どんどん太っていった。いくら頑張っても頑張っても疲れと、過食でうまくアシスタント出来ない時がほとんどだった。コーヒーも、もともと飲めないのに、コーヒーを作ることも一つの仕事で、我慢して一緒に飲む時もあった。タバコも、一時期タバコを吸っていた時もあったが、もともと身体が丈夫ではなく、小さい頃に摘出した扁桃腺が無いためか、喉が弱く、タバコが無理だった。スタジオに行けば、タバコの臭いがひどいスタジオもあった。


こんな状態で、作品を作る環境なんて、とてもじゃ無いけど、自分の感性が潰されて、うまく行かない。そう直感で感じてたんだと思う。東京のスタジオに希望を託していたけど、東京のスタジオに行ってもうまく行かない、そうも感じていた。見学に行った際に、ここは軍隊のようなところだから。と言われていた。


この会社は単発の仕事で仕事を任せてくれてる会社だったため、辞めるのは簡単だった。そう、このカメラマンアシスタントの仕事は入れ替わりも激しく、最初から、辞める人もたくさんいるから、あなたが辞めても周りはなんとも思わない。と言われ、辞めるのは楽だった。




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