何度堕ちても再生してきた ドラマのようなジェットコースター珍生

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薫見てるとわたしも頑張らなきゃ!って勇気をもらう


大人になった今

そう話してくれる


高校時代のとんがっていたわたしを知る貴重な親友である(笑)


そんな彼女が今度結婚するのである

お呼ばれしているので

楽しみ!!



高校を卒業後


耳が聞こえない人を専門にした大学が茨城にあり

進学のために親元を離れた


周りが手話でぺらぺらと会話している中で

手話がまったくわからない初心者のわたしは目をパチクリ


大学では寮が備えられていたので

学生のほとんどが寮生だった

その環境を利用して

隣の人と仲良くなったわたしは

毎日隣の友人を相手に

指文字の練習をしていた


その彼女とは今でも一緒に旅行に行く仲だ


講義もほとんど手話でのやり取りだったので

(教授もみんな手話ができる)


毎日毎日必至で手話に食らいついて

1ヶ月後にはほとんど手話で話せるようになっていた


今では使いこなしている


パソコンを勉強したかったので

電子工学を専攻していた

4年制で学ぶ内容を3年制にギュッと詰めた内容だったので


2年のときは地獄でした(笑)


毎日実験があり

終わるまで帰れないので

夜遅くまでやって

帰ってもレポートの仕上げ


朝の2時までやって遅くても必ず2時には寝て

次の日の朝起きてまたやる


という生活を1年続けた


何度ボイコットを考えたことか・・・(笑)

泣いたことも数知れず(笑)


無事留年することなく進級が決まり

3週間のニュージーランド旅行へ出発


ニュージーランドでは現地の耳が聞こえない友人たちにホームスティをさせてもらいながら

バスで各地を回って観光やアクティビティなどを体験した


異文化との交流が楽しくて

もっともっと世界を見たい

と思い始めた


3年に進級すると

今度は卒研が始まり

また夜遅くまで卒研の日々・・・


わたしのテーマは

ロボットを動かせるように分解しで組み立てて

動かすためのプログラミングを入れて指文字を表示させる


というもの

ここで使われたお骨さん


ドイツからより寄せた100万円!!という高級モノ・・・(笑)


これがなかなか難易度の高いもので

色々試行錯誤して

毎晩夜中まで教授とふたり頭を悩ませた

(教授も初経験)


卒研発表ギリギリまで仕上げ

なんとか卒業をもぎ取り


その後すぐにわたしは手術・入院

なので実は大学の卒業式には出ていない


3歳のときに祖母が運んでいた味噌汁を被り

左胸から腕にかけてケロイド状の火傷を負っていた


その箇所は皮膚が伸びない

なのでもし子供を出産したときや将来を見据えての治療だった


右腹の皮膚を一部胸に移植

脇のところを切って可動域が拡がるようにつなぎ合わせる


といった手術を受けた



執刀は

なんと世界仰天ニュースで風船おばさん(?)の状態を診察した教授さん


その分野ではすごい人だった

10時間に及ぶ手術は無事終わり

1ヶ月のほとんどをベッドで過ごし


傷がまだふさがっていない内に入社式に合わせて

病院から会社の寮に直行したのである


先生からはまだあと1ヶ月は入院したほうがいい


と言われていた


今思えば無謀(笑)

1ヶ月もベッドで過ごしていたので

筋肉も体力もない

歩くのもやっとな上に傷口もまだふさがっていない・・・

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