感謝しても、しつくせない人たち
7回目の、京都大学受験
みなさんは、いつごろ勉強を捨てました?中学生の頃ですか?それとも、高校生のころ?二次方程式くらいまでは何とかなっても、高校の微積分あたりで挫折する子が多いよね。
私も、四日市高校のころ挫折感を味わいました。でも、だからといって人生を捨てるわけにはいかないよね。生きていかないといけないもん。でも、私は、何をしていいのか分からいまま大学を卒業してしまった。
「教育学部」を卒業したから、「とりあえず塾講師」くらいの、いいかげんな気持ちでした。ところが、その塾は毎年生徒のアンケートで講師の評価をしていて、私はなんと初年度にもかかわらず40人の講師の中で2番だったのです。ビックリ!。
「この業界なら、生きていけるなぁ」
と、希望を抱くことができた。
でも、自分は日本にいる何万人の塾講師より何かすぐれたものを持っているかと自問すれば、答は「ノー」。生きていける保証は何もない。
「何かしないと」
と、焦りました。
とりあえず、
「英語講師なのだから英検1級」
と単純に考えました。でも、三重県では、年に一人か二人しか合格しない難関で受かる気がしない。でも、当時勤務していた会社の社長とケンカして辞表を叩きつけてしまい、本当に、にっちもさっちもいかない状態でした。
そんな時、たまたま受けたアメリカで中学をやるテストに合格して、アメリカに行こうか迷った。帰国したら、26歳で失業する。貯金も、資格もなくなってしまう。本当に、自分は大丈夫か不安だらけでした。
そして、その不安は的中して、帰国後に失業して、貯金ゼロ、資格なしの状態に陥ってしまった。ゴロゴロしているわけにもいかず、近所のアパートを借りて細々と塾を始めるしかなくなったんです。
いよいよ追いつめられて、それでも毎日毎日英語の勉強をし続けて、30歳で英検1級に合格しました。でも、何も変化はありません。急に社会から評価されるわけもなく、塾生が増えるわけでもなく。
レベルの高い生徒の方だけ、英検1級の意味が分かるみたいでしたけど、平均的な生徒の方にはそんなハイレベルな英語が必要ない。そんな頃、地元で有名な“神童”と呼ばれているA子ちゃんが登場したのです。
彼女のことは、別のところで書かせてもらいました。
A子ちゃんのために
「どんな英作文が高く評価されるか、データが欲しい」
と思って自分も京都大学を受けることにしました。6回も受けて必要なデータを得られたので、もういいかとも思ったけれど、最後にもう1回だけ受けることにしたんです。。
いつものように、四日市高校に卒業証明書と調査書に代わるもの(何か忘れた。単位を取ったという証明書)をもらいに行った。それから、三重大学でセンター試験を受けて、その受験した証明書みたいなものを京大の願書みたいなものに貼り付けて受験票が来るのを待つ。
三重大の入り口では
「関係者以外は入れません!」
と警備員に制止されたこともあったんですよ。
同時に、夏休み前に近所の旅行代理店に行って、「京都からすまホテル」や新幹線のチケットの予約をとる。夏休み後では、満室になっていたことがあったからなんです。
私は、塾を経営しているので、京大受験の前日まで授業がありました。三重県のいなべ郡にある教室を9時に出れば、新幹線で京都まで行けるだろうと高を括っていました。6回も受けたから、慣れもあったと思います。
ところが、名古屋に着いたら新幹線の最終が終わっていた。慌てました。それで、バス乗り場に向かったら、こちらも最終バスが終わっていました。万事休すと思ったけれど、タクシー乗り場に走りました。
そこで、タクシーの運転手さんに
「今から京都に行けますか?」
と、尋ねたら
「行けますが」
と言う。金額を尋ねたら
「まぁ、だいたい4万円くらい」
と言う。汗が出ました。でも、センター試験も受けたし、二次の受験料も支払ったし、ホテルも予約がしてある。どうしても、行くしかない。それで、泣く泣くタクシーの運転手さんに
「お願いします」
と言いました。
京都駅に着いたのは深夜でした。泊まるホテルは、いつもの「京都からすまホテル」。翌朝の京都大学までの送りのバスをお願いして、そのまま寝ました。翌朝は、近所のコンビニでおにぎりとお茶を買いました。そして、翌朝。2階のレストランで、バイキングの朝食。7時に行って並んでいました。京大受験生らしい親子づれがたくさんみえました。
私は、オレンジジュースと、スクランブルエッグと、パン。それに少々のフルーツを食べて一休みしたら、8時。玄関で、点呼をとって専用のバスで京大に向かう。
初めて受けた時は、
「ご父兄は乗れません」
と言われたけれど、7回も受けるとホテルの方も覚えてくれたようです。途中で、京大病院前で止まる。医学部受験生を先に下ろす。
なるほど、秀才っぽい顔をした子ばかり。
次が時計台の見える交差点です。予備校の応援団やら、受験生がたくさんいる。本当は、注意書きの掲示板などを見るべきなんだろうけど、7回目となると慣れてしまって、そのまま集合場所へ向かった。
その日は、時計台と反対側が受験場所。教室に入っていくと、いつもの視線。高校生に混じって変なオジサンが入ってきたら、そうなる。気にせずに、国語から。監督の先生も私を気にもせずに事務的に問題配布してスタート。
昼休みは、コンビニのおにぎりを食べて昼寝。午後の数学に備える。数学は、みずものだからねぇ。でも、私は合否は関係ないので、気が楽。受験生の子は、この数学でガックリきて、二日めのペースを乱す子が多い。
さすがに、京大受験生は礼儀ただしいので、センター試験の会場のような騒ぎは見られなかった。
帰りは、ホテルのバスがないのでタクシーを見つけて帰った。晩御飯は、ホテルのレストランは高いから外出しようかと思ったけれど、翌日用のオニギリをコンビにで買ったらホテルの中華料理屋さんで、夕食をとって自分の部屋へ。テレビを見て、風呂に入って、寝ました。
2日めは、午前中は(文系で受けたので)「社会」。午後は、「英語」でした。終わったら、そのままタクシーで京都駅に。新幹線で名古屋に行って、近鉄で桑名にもどり、北勢線で上笠田。そこに自分の車が置いておきました。
合否の結果は、3月10日前後に出るけれど、私にはあまり意味がない。とりあえず、当日にネットで見ようとするけれど混雑していてつながらない。結果が郵送されてくるのを待つ。
成績開示は、5月の初旬だった。私は、高校生に英語と数学の指導をさせてもらっているので、この2教科が重要。結果は、以下のようでした。
平成18年、20年(文 学 部) 正解率の平均 66%(受験 英語)
平成21年、22年(教育学部) 正解率の平均 76%(資格 英語)
平成24年、25年(総合人間) 正解率の平均 79%(ネイティブ英語)
学部を変えて、解答スタイルも変えて、
「どういう英語が高評価を受けるか」
をチェックしてみたんです。その調査結果は、別のところに書かせてもらいました。英語の8割越えで“ほぼ然受験生のトップ”だと判断して、調査は終了。数学も7割だから、ボーダーは越えているので問題がなく、成績開示をホームページで公開しました。
すると、全く知らない人から突然
「京大を受けるつもりなのですが、周囲にチェックしてくれる適当な人がいません」
といったメールを受け取った。それで、通信生を受け付けることにして現在にいたっている。今では、北海道から鹿児島まで通信生がいてくれて、5年連続「京大」に合格者がでました。
こうやって、その経緯を書いたり、Youtube に投稿しました。「受験生」ランキングで1位になったり、動画再生回数が合計50万回を越えました。挫折と不安しかなかったのだけれど、最近やっと落ち着いてきました。
結局、塾生の方の要望に真摯に応え、人の役に立つことが大切なんだね。私はフラフラしている頃、両親に心配をかけて支えてもらいました。結婚してからは、娘たちが支えになりました。
A子ちゃんを初めとする、すばらしい生徒たちに背中を押されました。そういう人たちがいなかったら、とっくに挫折していました。高校生に混じって受験するのって、けっこう恥ずかしいもんね。
今は、通塾生の半数くらいが四日市高校の生徒です。四日市高校というのは三重県の県立大学ランキングで不動の1位の高校です。日々、充実した生活をさせてもらっていて、本当に感謝しています。
あっ、もう一人感謝すべき人が。それは、アメリカでホームステイさせてくれたブレアーさん。年頃の娘さんがみえたのに、自分は日本と戦争していた世代なのに、私を家族あつかいしてくれた。
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