化け猫
どんな生き物でも、齢100をすぎると本来の生物を超えた力を身につけていても不思議はない、と言う。
白猫の「ゆき」が、実はその化け猫なのではないかと言う噂は僕の子供の頃からあった。
ゆきの飼い主は一人暮らしのおばあさんで、僕らはよく通学途中におばあさんの家の庭先で見かけることが多かった。
ゆきは他の猫に比べて、品があって、あまり表に出てきたりはせず、僕らが見かけてもつんとそっぽを向いてしまう。
それは女の子たちにも同じだった。
そのせいかもしれないが、夜中に赤い目をして二足歩行している、とか。
縁側でおばあさんと世間話をしていたとか言う、他愛ない噂話が横行した。
おばあさんには息子か娘の夫婦がいて、時折あの家に遊びにきていた。
孫娘の女の子が僕らと同じくらいの歳だったけれど、彼女もゆきとはそれほど仲良くなかったようだ。
同じクラスのトキオが、夕方にゆきをおぶった女の子に出会ったと言うが誰も信じなかった。
何故なら僕らは誰も、おばあさん以外と仲良くしているゆきを見たことがなかったからだ。
「っていうかさあ、あの猫、おばあさんより偉そうだよね」
カンナの家はおばあさんの家の近くだったから、よく観察しているのかもしれない。
だいたい妙な噂の出どころも彼女なのではなかったか。
「きっとさ、100歳以上生きてるんだよ。あの猫」
シオリがまた、無責任に言う。
「そっかあ、おばあさんはせいぜい70歳ってとこだもんね」
カンナが何となく納得する。
「あの娘なんかさあ、ゆきに命令されてたんだぜ。もっと早く歩け、とか」
トキオの言葉に、僕らはぶうぶう文句を言った。
「あほ、猫がしゃべるか。」
「ゆきは化け猫なんだって。」
トキオは耳を赤くして反論する。
「あの娘はきっと、化け猫にとりつかれちゃったんだって」
僕は時々見かけた、色白で細い眉の、痩せた娘を思い出した。
確かにあまり活発な少女とは言い辛かった。
「こら、マリちゃんの悪口言うな」
カンナがぴしゃりと言った。
「そういえば、そんなことあったよなあ」
津川登喜夫との昔話に僕は、一瞬で20数年前に戻っていた。
「あの後すぐにさあ、おばあさんの家、火事になってなくなっちゃっただろう」
登喜夫が記憶に追い打ちをかける。
「ああ、そうだそうだ。おばあさん、亡くなったんだっけ?」
「いやいや」
登喜夫は手を振る。
「おばあさんもゆきも無事だったんだよ。消防隊に救助されて」
それは良かった。と僕は素直に思った。
「確か奇跡的な生還、みたいな騒ぎ方だったぜ」
大袈裟な。と僕は思う。
しかし、つい今まで僕がおばあさんは亡くなっていたと思っていた事を考えると、それほどの火事だったのだろう。
「でもさあ、いま考えてもあの猫、怪しいんだよなあ」
僕は苦笑した。
あれから何年も経っているというのに、ゆきのことを「化け猫」だと思っている登喜夫が可笑しかった。
「いや。だってさあ俺、あの娘に会ったんだぜ、つい最近」
ほお。
「ほら、いつかそこの地下鉄の駅で殺人事件があっただろ、あの時」
その事件なら僕も記憶している。
僕らと同じくらいの歳の男性が刺殺された事件で、まだ犯人は捕まっていない筈だった。
「名前なんて言ったっけ、あの娘」
確か僕らのグループでは井澤栞菜が親しくなって、名前を聞いていたのだ。
「坂井真里ちゃん。でさ、ゆきを抱いてたんだよ。これが」
あほ。
と栞菜だったら今でも突っ込むだろうか、と僕は思った。
「しかも、おばあさんを助け出したのは、あの猫だったなんて噂もあったしな」
もう僕は、登喜夫の話を馬鹿馬鹿しいとは思えなくなっていた。
「だとしたら」
本当にいるのかもしれない、化け猫は。
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