好きな街シリーズ第6回 川崎平間

バブル前の平間

いつの事だろう?横浜から離れた南武線の平間に住居を移した。横浜の上大岡に住んでいたので、随分「田舎だなあ」と感じたのは不自然ではなかったかもしれない。

時は1987年の9月だった。まだしっとり暑い残暑の中大学を卒業したばかりで金もなく、家もなく、先輩から譲ってもらったアパートだった。4畳半1間で風呂なし共同トイレ、19000円だった。いや、安いなあ、と皆さん思うかもしれないが、当時の額面月収は14万、手取り10万ほどだった。日本がバブルと消費税導入に走る前、世は好景気で潤っていたのに、初任給はそんなに安かった。


平間といえば、南武線の小さな駅、武蔵小杉から2つ目で街は小さい。当時はフロムというビルが駅前にあり、安い商品を売る店がありましたなあ。あとはイトーヨーカ堂くらいか?それからマルエツ、ほんとにそれくらいしかなかったのです。今の武蔵小杉の繁栄振りからみれば、ここもいまいちな街で、買い物は川崎駅前に行っていたものです。


さらに平間はマルエツしかない。風呂がないので当時4軒の銭湯を代わりばんこに行っていました。マルエツの前にも菊の湯だったかな?おばちゃんが愛想のいい銭湯がありましたなあ。あと記憶にあるのが駅前のエロ映画館と小さな飲み屋街でした。


家が平間駅から徒歩3分だったので金がないといいながらも外食していました。又はマルエツの売れ残りの弁当を半額で買っていたっけ。武蔵小杉まで出て駅前のだいさんげんというラーメン屋とか愛用していたかな?とにかくタワーマンションがなかった時代、のんびりしていたものです。銭湯に行けば刺青の土建やのにいちゃんが入っていて色々話できたし。


この前(2017年)平間に行くとかなり様子は違っていました。駅は変わっていないけれど、店は変わったなあ。蕎麦屋や定食屋は殆ど姿を変えていましたなあ。家の近くにあった酒屋もなければエロ映画館なんてすごいマンションに変貌してしまっていたし。


平間がなぜ好きなのはとにかく交通が便利、ドアトウドアで渋谷まで30分!4畳半の家は住み心地よくなかったけれどとにかく安かった。バブル時期に周辺のアパートがみなすごい値上げで住めなくなっていたのに、19000円は魅力でした。おかげで安月給でも年1回海外旅行は出来たし、貯金も出来ました。もうそんなアパートはないでしょうが、今考えると懐かしいですね。


そういえば三菱ふそうトラックバスの工場が近くて、そこの工員さんもたくさんいましたね。


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