夜のホーチミンにて - 会社を辞めた23歳が真剣に将来について考える 〜前編〜
こんにちは、こんばんは。蕎麦とサッカーをこよなく愛する翔太です。
今僕はベトナムにいます。会社を辞め、自分の人生を見つめ直す一人旅をするためにベトナム、ホーチミンを訪れました。会社を辞めるという一つの転機の中、自分の頭を整理するために拙いですが文章にしようと思います。
前編では会社を辞めるにいたった経緯を、後編はその後のベトナムでの旅について触れようと思います。
目次
1. 会社を辞める
2. なぜエンジニアになったか
3. 安定より挑戦
4. 好きなことを仕事に
1. 会社を辞める
会社を辞めました。インターン時代も含めれば1年半近くお世話になった会社ですが、先日、この会社とお別れしてきました。
簡単に自己紹介させて頂くと、現在23歳で、前職ではWebサイト、サービスの受託開発を行う会社(以降A社)でバックエンドのエンジニアとして働いていました。
受託開発とは、「こんなシステムを作ってくれないか?」 と依頼を受けて、それにあわせたシステムを作り上げること※1で、そのシステムを開発するのが僕の役割。
大学は文系の学部で、それまでプログラミングの知識は一切ありませんでしたが、独学とインターンを経てA社でインターンさせてもらうに至ったのが2015年の3月のことでした。
2015年3月〜2016年3月 A社でインターン
2016年5月〜2016年12月 オーストラリア、シドニーにてワーキングホリデー
2017年1月〜 A社に復帰
2017年7月 A社を辞める
流れとしては上記のようになります。オーストラリアに半年間行きたいという無茶な要望も受け入れてもらいA社には本当にお世話になりました。
2. なぜエンジニアになったか
そもそも文系の僕がなぜエンジニアになったか。時は2014年に遡ります。その頃の僕は学生向けのビジコン(ビジネスコンテスト)に出たり、起業に憧れるいわゆる「意識高い系」学生でした。起業したいとは言うものの、手段も知らなければ、プロダクトもお金もない。ただその「起業」というキラキラワードに踊らされている一学生でしたが、そんな当時の僕にもプライドはあって、「意識高い系」の特徴でもある「口だけで行動しない」という状況は避けたかった。そんな中、小さな頭を振り絞って考え出した結論が「エンジニアとして自分でプロダクトを作り起業する」ということでした。
その思いはサンフランシスコに行くことでより一層強まります。英語もできないプログラムもほぼ書けない僕は2014年の秋勢いだけでITの本場、シリコンバレーを目指しアメリカに旅立ちました。
本場シリコンバレー
ITの本場シリコンバレー。当時全盛期だったTwitterのオフィスやGoogleのオフィスを見学させてもらったり、UberやAirbnb等、ITの技術を駆使してどんどん世界を変えて行く企業のその様子を本場シリコンバレーで肌で味わい、とても興奮したのを覚えています。これからの時代、IT×○○、ITはある種のインフラになり得ると確信したのもこの時で、エンジニアとしてこれからキャリアを築いて行こうと決心したのもこの時でした。
A社との出会い
興奮状態で帰ってきたあと、本気でエンジニアとしてやっていくためにはチャンスの多い東京に行こうと決心します。いくつか面接に行ったあと最終的にインターンを決めたのがA社でした。
そもそもプログラムがろくに書けない僕にそんなに多くの選択肢はなかったのですが、A社を決めたのは
・ど素人エンジニアである自分をちゃんと面倒見てくれそう
・受託開発をしていて、多くのサービスに関われる
・「エンジニアとして自分でプロダクトを作り起業する」と決めた自分にとって受託開発をしているA社はプロダクトの0→1の段階を多く経験できる。
という3点からA社を選びました。
エンジニアとして生きて行く道
エンジニアと一言で言うもその定義は幅広く、
僕の役割はWebサイトやWebのサービスを作るエンジニア(※なのでアプリとかは作んないです)で、
その中でもフロントエンドとバックエンドにわかれる、バックエンドのコーディングを担当していました。
会員登録のフォームやECの購入やら予約システムとか、他にも検索したり、並び替えたりするいわゆる「機能」の部分を開発してる人みたいにイメージしてもらうといいかもしれません。
アメリカから帰国したのち、A社でのインターンがスタート。プログラムのプの字も知らない当時の僕は、今なら数秒で解決できるような問題も、気づけば30分も解決するのに時間がかかったりと、とても苦労したのを覚えています。
一方で、日に日にわかること、知識が増えていき、前できなかったことがどんどんできるようになっていくこの感覚は、言葉で言い表わせないワクワク感があったし、時間はかかってもその時間を与えて、自分で考える習慣を身につけるように育ててもらった会社には本当に恩を感じています。
順調にインターンでの日々を過ごし、少しずつ手応えを感じてきた僕ですが、それと同時に一つの疑問が浮かびました。
自分はこのままエンジニアとして生きていきたいんだろうか
「エンジニアとして自分でプロダクトを作り起業する」と意気込みA社に飛び込んで1年後。
日々の業務の中で多くを学び、充実した毎日を過ごしていましたが、このあたりから
「自分はこのままエンジニアとして生きていきたいんだろうか」
という疑問をもつようになりました。
エンジニアはまだまだ需要に供給が追いついておらず、売り手市場です。おそらくしばらくは食いっぱぐれないでしょう。
さらに、エンジニアにはそれ相応の力をつければ、時間や場所を選ばず働けるフリーランスという選択肢があります。優秀なフリーランサーは、「時間、場所の自由を確保しながらお金の自由も手に入れる。」こともできるだろうし、それはそれでとても有意義な人生を送ることができるかと思います。独立するといった意味ではある意味、起業と言えるかもしれないし、実際チームを作って開発を請け負えば会社としても成り立つでしょう。しかし、それが自分の目指したいゴールかというと腑に落ちない、引っかかる部分がありました。
もう一つ、エンジニアとは上を見だしたらキリがない世界。
僕みたいなエンジニア歴数年の人材はポケモンでいうレベル1~10レベ程度で、そんな人材は溢れるほどいます。さらに僕の周りには仕事が終わってもプライベートでコーディングをして、朝から晩までそれが好きで仕方ないようなエンジニアがたくさんいました。そんな「好き」を仕事にしている彼らと自分を比べた時、その成長スピードの差は明確です。そして彼らのように、エンジニアとして100レベを目指してやっていきたいかと言われればそうではありませんでした。
「エンジニアとして自分でプロダクトを作り起業する」
やっぱり、当時の思いは未だに変わらないし、自分の目指すべきはここなんだろうなと、感覚ではわかっているものの、考えはまとまってないし、今の生活を気にしてリスクの取れない自分がいる。そんなもやもやした状態でしばらく思い悩んでいました。
3. 安定より挑戦
自分の本当にしたいこと、進みたい道はどこにあるんだろう。
そんな悶々とした日々の中、僕の考えを変えたのが一つのエッセイでした。
How to Do What You Love
Y Combinatorの創設者であるポール・グレアムのエッセイで「愛することを仕事にする方法」について書かれています。
英語がそこまで得意でない僕みたいな人も大丈夫。
ペラペラという海外の起業家、投資家のエッセイを日本語訳してくれているサービスがあるので、「愛することを仕事にする方法 Part. 1」を読んでみるといいです。
このエッセイの中でも僕にとって強烈にインパクトがあったのがこの言葉、
"The definition of work was now to make some original contribution to the world, and in the process not to starve" (飢え死を避けながら、世界に独自の貢献を行うこと)※2
彼、ポール・グレアム自身が子供から大人になるにつれ、周りの大人を観察しつつ、仕事の定義について語る場面での言葉ですが、知らず知らずのうちに安定した、無難な道を歩んでいた僕にとっては強烈なメッセージでした。
ありきたりかもしれないですが、「本当に毎日悔いのない1日を生きているか」、「ただただ人生を過ごすのではなく生きているか」と聞かれた時、自信を持ってYESと答えられる自分ではありませんでした。
チャレンジすること
A社ではある程度十分な収入があり、残業もないのでプライベートの時間を取ることもできる。満足できる安定した暮らしができていたのは事実です。
一方で、よく考えず勢いだけで「エンジニアとして自分でプロダクトを作り起業する」と宣言していた当時と比べ、「ワクワクした毎日を過ごしているか」と問われるとその答えはNoでした。
なぜワクワクしないのか、その答えは明確で、「チャレンジすること」を放棄していたからです。
たとえそのチャレンジが失敗しても、日本はセーフティネットがしっかりしています。贅沢な暮らしを選ばなければ時給1000円でバイトをすれば生きるのに十分なお金は手に入るし、チャレンジしない手はないはずなのに、無意識のうちに安定を選んでいました。
若いうちはお金よりも経験に投資すべきだし、若いうちにどれだけ面白い経験をしてきたかが今後の人生を作って行くのは明白です。
「今ここでチャレンジしないと一生後悔する。」その思いから今の環境を捨て、新しいチャレンジをする道を選びました。
4. 好きなことを仕事に
「新しいチャレンジ」という聞こえのいい理由で会社は辞めたはいいが、正直何に対してどうチャレンジすればいいか一切検討がつかない状況でした。
そんな中、一つの指標、目標にしようと決めたのが、「好きなことを仕事にする」ということ。
前述ポール・グレアムのエッセイの中でも述べられているように、
「好きなことを仕事にする」
と口で言うのは簡単ですが、いざそれを実行しようと考えると簡単ではないでしょう。
僕自身、「本当に好きなこと」は何かという答えは出てないし、見通しもたってません。
かといってこればっかりは家にこもって考えていても答えが出る問題ではないと思うので、
まだ若い僕にできること、それは、
「ワクワクするものに飛びつき、とにかくいろんな経験をしてみること」、
「選んだ環境、仕事を愛し120%のパフォーマンスを発揮すること」
だと思います。
実際仕事を辞めて、時間と場所の制約がなくなった瞬間、飛びつけるチャンスは一気に増えたし、ちょっとずつですが視界が開けてきています。
今回ベトナムに旅して多くの経験ができているのもワクワクとチャンスを求めた結果得れたものだと思います。
「飢え死を避けながら、世界に独自の貢献を行うこと」。
まだまだ世界に貢献するような成果をあげるには程遠いですが、若いうちにがむしゃらに人生を模索して積んだ経験がのちのち生きてくると信じて、今できることをコツコツと積み上げ、チャレンジを恐れず、自分の人生に向き合い生きて行こうと思います。
※1 http://programmer-se.net/programming/customized-development.htmlより文言を引用させていただきました。
※2 ペラペラ(https://perapera.co)の「愛することを仕事にする方法 Part. 1」、http://www.paulgraham.comの「How to Do What You Love」より引用させていただきました。
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