事件

 生まれてから記憶の中にある思い出といって一番最初に出てくるのは、母子寮に住んでいる時にキン肉マンを見たくてカブスカウトに行きたくないと駄々をこねた時のことが浮かんだ。

 次に浮かんだのは精神科病院の閉鎖病棟の隔離質(特別室)でなにかの点滴をされた夜に徐々に呼吸が出来なくなり自分ではどうしようも出来ないと死を覚悟した時かな~?

 その次に連想されたのは、生家の近くの溜め池で、溺れたことだろう・・・あの時は、無我夢中で手をかざしたときに手を引っ張ってくれた近所のお兄さんがいなければ間違いなく死んでいたことだろうと考えられる。


 その他の事件といえば父親の弟が何かの拍子に暴れていたことや紙幣を燃やしていたことが思い出される。

 

 あと思い出されるのは、貧乏煮の私に金を貸してくれといってきた丸山智之と伊藤高広と楡井茂雄という男達のことだろう・・・・前者の二人は、貸した金を返してもらえていない10年以上経過してしまったので時効が成立してしまったのだろうか?ただ相手方に時効を通知市内と時効が成立しないというかのうせいがあったようなないような?


 その他に浮かんでくることといえば、日本中にパチンコの文化が浸透してしまったことが残念でならないパチンコが浸透したおかげで幼い子供達が命を失ったりギャンブル依存症になった人間が数多くいてパチンコに夢中になったり過度に期待してしまっていたおかげで給料がそのままパチンコ店に流れてしまうなどの恐ろしい現象が起きたりもしていた。

 

 我が家の長男は、暇さえあればパチンコ店に入り浸っていたし、義理の兄はパチンコの代打ちをして勝った尾t期に金を融通してもらったり飯を奢ってもらっていたりしていた。

 

 代打ちさせていた人間は、当時21歳のセブンイレブンの雇われ店長だったのだが、義理の兄にいいように利用されていたのだろうが、「情けは人のためならず」とか「苦労は買ってでもしろ」というように若い時に色々な経験をしていれば将来的に身を助けるということもあるというのが世の常であるからある意味で任侠の男だったのかもしれないが、義理の兄からこうむった迷惑をその義理の弟から取り返していたわけなので少なくともこいつは損をしていないのであるから本当にずるがしこいや奴だった。

 丸山智之は上越地区の高田高等学校を卒業していたようなので、もっと別の生き方をしていればよかったのにいつか刺したろと考え続けている自分がいる。

 


 ちなみに我が家には、3本のナイフが用意されている。

 一本は10得ナイフのようなもので、もう一本はサバイバルナイフで・・・・最後の尾一本は第二次世界大戦の際に使用されたナイフで見る人が見れば歴史的価値やその他の付加価値もありそうなのだが、現在の平和な世の中では無用の長物であるというのが現実だろう。


 このナイフ自体よりもこのナイフに付加価値をつける必要がある。

 強いていうなら世界最大の極悪人の命を絶ったとかそういった歴史と学術的に付加価値をつけることが出来れば国宝級の一品になりそうだと考え続けている。

 

 現時点でこのナイフの付加価値といえるのは現代の神が所持しているという部分であろう。

 

 今日も朝から自分は何者なのかと自問自答をしていたのである。

 現実的に考えればtだの貧乏なにんげんであるがもし仮に自分が死んだ場合は、世界が無になるという現実は変わらないのだが、神という概念を証明することは不可能に近いものである。

 

 時便の死んだ後のことを考えている人間は、いないわけではない自分押しが近いことを知り家族に自分の存在を忘れて欲しくないと記録を残したり手紙を書いたりして何かしらを伝えたいと考えるのが普通なのだが、死期を知ることが出来るのは癌などの余命がある程度推測できる病気でなければならないのである。

 しかし、まだ自分は死期を知らないので普通とは言いがたいが特に代わり映えのない生活を送り続けて眠るように死ぬことが理想なのである。

 

 特に心配して家を訪れるという人間は、すでに排除しているので後はいつそういった状況が訪れても食いはない状況なのである。

 今のままの状況ならば、自分の死後の処理をするのは上越市役所の建築住宅課か福祉課の誰かになることだろう、まぁその際に生活保護制度から全て賄われて自分は無縁仏になりそうだと予想は出来ている。

 強いていうなら母方のお墓に入るのが無縁仏にならない最善の方法なのだろうけどその辺の血の繋がりを上越市は把握していないのだろうか?戸籍謄本があるから親戚にそれらの話がイってもおかしくないだろうから無縁仏の線は防げそうkな?





 

 





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