嫌われても気にならない、鈍感な私

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徹底的にやったら、蛇蝎のごとく嫌われた件

  もし、自分の家族が大けがや病気になったら、なおしてあげたいよね。でも、医者でないと助けられない。今の日本で医者になるのがどれほど大変かは、受験指導をしている自分にはよく分かっているんだな。

 時間もお金もかかる。

 同じように、子どもが数学の解けない問題を前に悩んでいたら手助けしてやりたいだろうけどね。しかし、こちらも簡単に助けてやれない。英検1級レベルとか、京大レベルの数学を指導するためには、準備に時間もお金もかかるよ。

 それに、外科、内科などがあるように、専門を極めないとね。それで、私は京都大学の英語にしぼってエキスパートになると決めたんだ。

「受験英語」「資格英語」「ネイティブ英語」

「受験英語」

  私は、中学校から英語を始めました。だから、受験から入ったんです。帰国子女じゃありません。北勢中学校から四日市高校まで6年間は「受験英語」をやってました。

  つまり、当時はシケ単(試験に出る英単語)を覚えて、学校で行うテストが全てでした。発問問題、アクセント問題、並べ替え、穴埋め、長文、英作文、それぞれに対策を立てて問題集をやりまくりました。

  現役で名古屋大学に合格できたので、それなりに成績はよかったです。大学時代は、アルバイトで英語の家庭教師をしていました。困ることはありませんでした。take it for granted that -- とか、it is not until -- that - とか、いっぱい知っていました。

 でも、話したり聞いたりすることが、さっぱり出来ないでいたんですね。これって、おかしくないですか?ノイローゼで入院するほど勉強しても、使える英語が身に付かない。難関大に合格できるレベルでも英語が使えない。

 何か、根本的に間違いだと漠然と感じていました。

 1974年の大学受験の5日前を迎えた。

  2階の勉強部屋で数学の勉強をしていたら、突然手足が震え始めて椅子からズリ落ちてしまった。そして、
「お父さん、ボク変だ」
  と叫んだ。二階に駆け上がって来た父は、ひっくり返った亀のように手足をバタバタしている私を見て
「お前、何をしてんだ」
  と言った。そして、近くの総合病院に担ぎ込まれた。
  病院の看護婦さんは、私の手足を押さえつけながら
「アレ?高木くん、どうしたの?」
  と言った。北勢中学校の体操部の先輩だった。
  診断は、神経衰弱。いわゆるノイローゼとのことだった。私は頭が狂うことを心配したが、医者が言うには
「そういう人もいるが、身体に症状が出る人もいる」
  とのことだった。

「資格英語」

 日本には、この「受験英語」と異なる系統の英語が存在します。仮に、「資格英語」と名づけておきます。受験英語の究極の目標が、東大や京大、阪大、名大といった難関大とすると、こちらはTOEICや英検といった資格試験が目標だからです。

 受験英語が、予備校や塾で教えられているのと違って、資格英語は英会話学校で指導されます。ECCジュニアの世界です。それで、私も大学のLL教室で英会話の授業を取ると同時に、ダブルスクールで夜は今池にあったECCに通いました。

 そのレッスンは、スキットやダイアログといった特定の状況の会話を丸暗記するのが主流お指導でした。それで、私は必死に丸暗記を繰り返しましたよ。リンガフォンも、NHKの英語講座も聞いていました。

 しかし、さっぱり話せるようになりません。もちろん、オウムのように決められた発音は出来るようになりましたよ。でも、オウムは人のように話しているのではなくて、音声をマネているだけ。私は自分が、オウムになったような気がしていました。

「何か、おかしい」

 とは感じていましたが、答が見つかる前に大学を卒業することになりました。

  アメリカから帰国した私は公的な資格を取ろうと思って、とりあえず英検1級の過去問を書店で入手した。そして、知らない単語や表現を見つけてウンザリした。

  もはや、高校生の時のように
「頑張って勉強しないと」
 と自分を責める気になれなかった。私はネイティブの助けを借りて問題を解き始めたが
「これは何だ?なんで、日本人のお前がこんなものを」
 と言う。それで、
「どういう意味?」
 と尋ねると
「こりゃ、シェークスピアの時代の英語だよ」
 と笑っていた。
  しかし、アメリカから名古屋にある7つの予備校、塾、専門学校に履歴書を送付しても全て無視されたので、私は日本の英語業界で認知されている資格を取らざるをえなかった。

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