欧米人とつきあうためのキリスト教の基礎知識(9)
欧米人とつきあうためのキリスト教の基礎知識(9)
クリスチャンは、「自由意思」をとても重んじるんですよ。
私がアメリカのホームステイ先の家に着いた翌日、目が覚めたら家に誰もいなかった。私は、ビックリして
「どうして、私を放置しておいたのですか?」
と、尋ねたら、不思議そうに
「お前の好きにできるように、何の干渉もしたくなかった」
と言われました。
逆に、日本に来た欧米の人の感想が下のようなものなんです。
、「日本の町をふらふら歩き、久しぶり会う知り合いとゆっくりお茶でもしようと思っていたんだけど、ドタバタと、見たくもない観光地を次々と連れ回されてしまって、まったく自由がなかった。向こうが明らかにいい気持ちで案内してくれていたから、断りようがないし、厄介な経験だった!」と悲劇的な感想を語ってくれた。
こちらは、日本式のビッシリと組んだスケジュールに辟易しているわけです。この違いは、学校で作られます。日本の学校は、早朝練習から下校時間までビッシリスケジュールが組まれていて、それだけではなくて帰宅後も宿題がいっぱいあって、みんなそんな生活に慣らされているよね。
私は、そんな生活でノイローゼになって大学入試の一週間前に倒れてしまった。入院させられたんです。私は、日本の学校が大嫌いです。人権無視をしてますよね。自由を束縛してます。少なくとも、クリスチャンはそう感じるはず。
欧米人と勉強したり、仕事したり、遊んだりする人は、気にした方がいいですよ。
私は塾経営者なんですが、たまに保護者の方が
「宿題をバンバン出して下さい」
と言われます。勉強とは教師が強制的にやらせるものだと固く信じてみえるんです。日本の教育を受けたら、そうなりますよね。でも、私の生徒たちの半分は四日市高校の生徒で、学力が高いんです。
私も、四日市高校の生徒だったから分かるんですけど、強制的な宿題なんて合格に結びつくと思えない。というか、生理的に受け付けないんです。先日も、
「課外をとったら役に立ちそうにないので、喫茶店で勉強していました」
という子がいた。「勉強」と「自由」って両立しないんです。
私も中学3年生の夏休みの宿題は提出していません。夏休み前に学年主任の先生の自宅に電話をして
「学校の宿題より自分で選んだ問題集をやりたいので、それでいいですか」
と、許可を得ての話ですけどね。
難関校に合格する子って、多くはそんな感じなんですよ。好きでやらないと学力なんか伸びません。好きでやっている子に、無理やりやらされている子は勝てません。
こういうことを書くと
「そんなことはない!!放っておいたら非行に走る」
という反論が必ずくるんです。そういう子もいます。いや、多くがそうなのかもしれない。動物のように調教しなければならないのかもしれません。刑務所の指導なんて、まさにそれ。
そういえば、制服を着た日本の中学生や高校生の写真をアメリカの生徒に見せたら
「これは刑務所か?」
と言われました。制服があるのは、アメリカでは刑務所か軍隊くらいだからね。
私は、そういう人と議論しません。すぐに激高するだけで、冷静な話ができないから。
私の塾から、毎年四日市高校や京都大学に合格者が出るので
「宿題を山ほど出すのですか?」
と、尋ねられることが多いのですけど、宿題を出したことは一度もありません。
ところで、ニーファイ第二書には、たくさんの神様の教えが出てくる。その中には、悪魔や復活のことも含まれます。
「あんた、悪魔や復活って。まさか、本当に信じてるんですか?」
と思いました?
でもね、たとえ話なのかもしれないし、本当に人間は輪廻転生のようにいつか復活するのかもしれないし、いきなり否定するには聖書の全体に書かれていることが正しすぎるんですね。
これは、一体どういうことなんだろう。クリスチャンは、常に考えていると思いますよ。
なんじら、鼻から息の出入りする人間に依りたのむことをやめよ。かようなものがなんでかぞえるに足りようか。(ニーファイ第二書、第十二章二十二節)
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